第289話 故郷で見た顔

◇故郷で見た顔◇


「おお…。この様子じゃ加勢は要らなさそうだな」


 偽る妖魔プーカの導く先は化け蟹カルキノスの巣であった。岩の切れ目からはボタボタと水が湧き出しており、窪地となっているそこに沢を形成している。本来であれば澄み切った水を湛える明媚な沢なのだろうが、今は残念ながら血と泥で濁ってしまっている。


 化け蟹カルキノスは身の丈を軽々と越えるほどの大きさの巨大蟹だ。その甲殻は頑強であり、その巨体に見合わず、移動速度はかなり速い。また、生息域で様々な亜種も存在し、故郷のネルカトル領でも、こいつの亜種の子供を狩る蟹狩りという恒例行事が存在していた。


 そして、狩人の質も高いネルカトル領でも、狩るのは子供ばかりで親となる蟹が狩られることはほとんど無く、それは単純に子供の方が味が良いということもあるが、成体まで成長した化け蟹カルキノスが割に合わないほど強いため誰も狩りに行かないという事情が存在するのだ。


 化け蟹カルキノスの武器となる重機のような鋏は人間など簡単に切断してしまうし、切断するだけでなくハンマーのように叩き付けるようにも使用する。そして器用な多脚は驚くほど早く動き、逃げ出そうとしてもすぐさま回り込まれてしまうのだ。なにより成体の甲殻は岩のように硬く、大抵の攻撃を防いでみせるのだ。


「この質量相手に固まっても意味はない!絶えず回り込むように動き回れ!」


「真後ろだ!真後ろなら奴らの攻撃は届かない!」


 俺らは俯瞰できるような岩場に登り、覗き込むようにして戦う彼らを観察する。観察流石は中層で活動している狩人だからか、偽る妖魔プーカの罠にはまんまと嵌ったものの、化け蟹カルキノスの群れを相手に臆する事無く戦っている。


 実力が高いこともあるのだろうが、なにより化け蟹カルキノスに対して効果的な武器を彼らが持っているのも大きいだろう。斬撃を防ぎ殴打も軽減する甲殻をもつ化け蟹カルキノスに効果的な武器、それは鶴嘴である。武器としてではなく、採掘のために持ち歩いていたのだろうが、鶴嘴の強力な刺突は化け蟹カルキノスの甲殻を貫通することができる。他の狩人達が上手く化け蟹カルキノスの注意を引き、鶴嘴を持つ狩人が攻撃をしやすいように立ち回っている。


 俺もロジャー専用蟹殺し棍棒(模造)という蟹専用武器を持ってはいたものの、残念ながら随分前に焚き付けに使ってしまったため、現在は所持していない。…まぁ、布を巻いた棍棒なので直ぐに作ることができるんだが…。


「強いというより、慣れてるといった感じですわね。遠距離攻撃は弓矢のみ。基本は近接ですか」


「地の利のせいでなかなか引き離せずにはいたが、いざとなったら魔法を使って逃げれば問題無さそうだな」


 俺らが観戦している間に、とうとう男達は最後の化け蟹カルキノスを討ち取った。複数の怪我人は出ているようだが、それでも誰も脱落する事無く打ち勝ってみせた。


「ハルト。どうする?向こうは戦闘で疲弊してるけど…」


 ナナが冷たい視線で彼らを見据えながら俺に尋ねる。ナナは今後の安全のために奴らをここで殺害するかと聞いているのだ。


「今声を掛けたところで、どうせあいつらは惚けて退くだけだろ?強襲するには状況が悪いしな」


 山や街道などでは賊と疑われる行為を行った場合、殺害することが自己防衛の範囲内として許可されている。だが、後を着けてきただけでは理由としては少し弱い。人を殺害しても無罪となる権利であるがために、その行いには第三者から見ても納得できる正当性が求められるのだ。


 そういった自身の正当性を証明するための面倒ごとを排除するため、たとえ潜んでいる賊に気がついたとしても、先制攻撃をすることはなく、警告などの声掛けをしてから戦闘に移る者も多いのだ。


 この場合、俺らがとる模範的行動は、有無を言わさず襲い掛かるのではなく、背後を着けてきた事を問いただす事だ。たとえ俺らが確実に黒だと認識していても、向こうに俺らがいきなり襲ってきたと反論される隙を生じてしまう。彼らが彼らだけのチームであるなら反論する口を黙らすことができるが、残念ながらそこまでの情報はない。


「そうですわね。今は彼らの顔を記憶するに留めるべきでしょうか。…今回の探索が終わったら狩人ギルドに報告を入れましょう。そうすれば次に多少手荒な事をしても、こちらの正当性が確立されますわ」


 俺らが意見を統一をしている間に、彼らはその場を引き上げ始める。俺らが化け蟹カルキノスにやられたと判断したのか、あるいは追跡を諦めたのか、足元の痕跡を気にする事無く先へと進んでいった。


 その場が静寂に包まれたことを確認してから、俺らは岩の上から沢へと移動する。沢の傍らでは死体となった化け蟹カルキノスを何処かから現れた偽る妖魔プーカが漁りはじめている。厳禁な奴らで、罠として利用していたのに死体となったら遠慮なく食べるつもりらしい。


「あれが…、偽る妖魔プーカですか…?お猿さんみたいですね…」


「あいつらは放っておいて大丈夫だ。向こうから襲ってくることはない。…それよりも、ちょっと気になることがあるんだよな。メルル、沢の水を退かすか綺麗にすることはできるか?」


「構いませんけど、何をなさるのです?」


 戦闘のせいで今は濁っているものの、この沢は非常に綺麗で澄んだものだ。恐らくだが壁面内部を流れる水脈が一時的に露出したものがこの沢なのだろう。事実、池のような形状なのに絶えず水が動いている。


 俺らを追跡していた男の一人が、この場を去る際にやけに沢の中を気にしていた。飲料にする水を求めていたのかとも思ったが、この沢をよく観察してみれば彼が何をしようとしていたかは簡単に予測できる。


「…当たりだな。化け蟹カルキノスが巣にしていたせいで誰も調べてなかったんだろう。ここは砂金溜まりだ」


 多少の興奮を孕みながら、俺はメルルが水を避けて露になった沢の底の砂を手でさらってみせる。そこには金色の小さな粒が輝いている。足元の沢の砂場も、意識してみてみれば星空のように輝く小さな光の欠片が見て取れるだろう。


 金はもともとが硫化鉱物内に極々微量に含まれるもので、金鉱石1トンあたりの金の含有量は数g以下といわれるほどだ。そのため、金鉱山では山のような石を掘り返してひたすらそれを精錬するのだが、それを自然現象が変わりにやってくれているのが砂金だ。水の浸食作用により金が磨かれ、それが比重の違いで堆積するのだ。


「タルテ、集めなさい。端から端まで掻っ攫いますわよ!」


「そ、その…金は動かしづらいので…少し待っていてください…!」


「待ちますわ。ええ、水なら私がいつまでも退けていますので。あなたは金に集中して」


 幸せそうな笑みを浮かべたメルルが即座にタルテに指示を出す。タルテは慌てながら金の集積に取り掛かり、ナナは苦笑いを浮かべながら、周囲の警戒を買って出ていた。


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