第287話 再び逆さ世界樹へ

◇再び逆さ世界樹へ◇


「ついたな…。ここが浅層と中層の境目、暗闇洞穴だ。もっとも、暗いよりもっと強烈な個性があるとこだが」


 坑道の下へ下へと降りていくと行き着く、洞窟の中でも一際広い空間。天井も際立って高く、背の高い壁面の上部からはささやかだが清水が湧き出しており、壁を濡らしながら俺らの足元にまで伝うように流れて来ている。そしてその水のお陰で光苔が群生しており、穴の中だというのに異様なほど光に満ちている。


 ここまでに通過してきた坑道とは違い、この空間はその清水が作り出した天然の空間だ。そしてその空間の先、俺が見詰める先に暗闇洞穴は存在する。ここは天然の空間ではあるが、中層に至る直前でもあるため、一部が休憩場所となるように岩壁がくり貫かれている。


「ナナさん…、これが例の薬草です…。お願いしますね…?」


「うん。ありがと。ハルトは煙の誘導を宜しくね」


 その休憩場所に腰を降ろしながら、タルテが荷物から乾燥した薬草の束を取り出す。暗闇洞穴に向けて声を掛けて、返答が無いことを確認した後、俺らは先へ進む用意に取り掛かった。


 ナナはタルテから受け取った薬草の束を暗闇洞穴の前に置くと、指先に灯した火で薬草に火をつけた。薬草からは予想よりも多量の煙が湧き上がり、俺は風を制御してその煙を暗闇洞穴に向けて流し込む。


 暗闇洞穴。いままで洞窟とも呼称しても不自然ではない坑道を通ってきたのに、なぜこの洞窟が坑道とは分けられ別の名前で呼ばれているかと言うと、手前の光苔の群生地帯との対比でより暗く感じると言う点もあるが、純粋に坑道とは大きく異なる点があるのだ。


「うう…。土蟲のおかげで慣れたつもりですが、こうも犇いていると、流石に…」


「私もちょっと…。小さいから気持ち悪いのかな。…タルテちゃんは相変わらず平気そうだね」


「私は山育ちですから…!煙で弱ってますから平気ですよ…!」


 人一人が通るのがやっという狭さの洞穴を一列になって進む。その洞穴の壁には洞窟ムカデと呼ばれるゲジゲジに似た虫が大量に蠢いている。…この暗闇洞窟はこの洞窟ムカデの巣窟なのだ。洞窟ムカデよりも洞窟の壁の方が見える面積が少ないほどで、先ほどの光苔の群生地帯では神秘的にも見えた濡れた壁面も、洞窟ムカデとセットで見ると何故か粘性を持つように感じられて不快指数を高める要因となっている。


「まだ俺らはマシなほうだぞ?風の壁で足元の虫を脇に避けたり、頭上から落ちてくる奴も弾いてるからな。調べたところ、大半の狩人は虫塗れになりながら抜けるらしい」


「ハルト、あまり想像させないで。…この虫、見た目だけじゃなく音も臭いも気持ち悪いよ…」


 今更虫程度に慄く女性陣ではないが、流石にこの量ともなると気が引けるらしい。かくいう俺もあまり長居はしたくない空間だ。…虫程度、ナナの火魔法やメルルの闇魔法で一掃することもできるのだが、それは狩人ギルドによって禁止されている。


 洞窟ムカデはいつぞやの土蟲と同じように魔物の嫌がる臭気を発しているため、こいつがこの暗闇洞穴に巣食っているお陰で、浅層に登ってくる魔物のストッパーへとなっているのだ。そのため、通る際に踏み殺したり、忌避剤のために採集する程度は許されているが、殲滅することは許されていないのだ。


 グシュリグシュリと、湧水なのか洞窟ムカデの体液か分からぬ湿った靴音を立てながら、俺らは無心で前方へと歩みを進める。最初はみな戦々恐々と牛歩の如く歩いていたが、前方に光が差しているのが見えると、今度は逆に足早になってその光の下に早くたどり着こうと急ぎ始めた。


「計算したわけじゃないが、まさにちょうど良い時間帯だな。正午に近いもっとも光の多い時だ」


「おおぉお…!ここが光の原ですか…!」


 俺らは皆、暗闇洞窟を抜けたところであまりの眩しさに目を細めた。ここは現在確認されている中でも、逆さ世界樹において最大級の岩棚、光の原と呼ばれる草原だ。


 見上げてみれば、遥か頭上に大分小さくなった逆さ世界樹の入り口が見える。円形に縁取られた青空はいつにも増して光に満ちているように思える。この深度ともなれば、たとえ夏至の北中に太陽があったとしても、直接ここまで光が指す事はない。しかし、逆さ世界樹に降り注いだ日光は鉱物を多量に含んだ壁面に反射され、最終的にこの光の原に降り注ぐのだ。


 もちろん、地上の草原と比べれば決して明るいとは言えない草原だ。しかし、地の底において異様ともいえるほどこの草原は光に満ちているのだ。


「あの洞穴の出口だとは思えないほど清清しいところだね」


「逆に言えば、逆さ世界樹で最後の光に満ちた場所ですわ。ここから先は暗くなる一方ですわね」


 俺らは光の原を歩きながら周囲の地形を確認する。ここが中層の始点と言うだけあって、様々な箇所に先駆者達の痕跡が見て取れる。中には大規模に物資を輸送したような大きな痕跡も残っている。


 光の原の淵に立って下を覗いてみれば、大分近くなった暗闇が俺らを誘うように穴の底に満ちている。だが、穴から登ってくる匂いをかいでみれば、それはどこか森の香りにも似た複雑なもので、この光の無い地の底にも多種多様な生命が蠢いていると俺に教えてくれた。


「さて、ここから先は決まった道がない。ガイシャは陣取り合戦と言ってはいたが、まさしくそれぞれのクランやパーティが各々の道を開拓しながら下層へと下っていく…」


「重要なのは戻れる道を選択することですわね。…あら、こんなところを降っていく人たちも居るのですか」


 今回の探索で目標とする地点は決まっている。最初のが存在する中層の中でも最も重要な箇所。光の原から様々なルートに分岐するが、枝から先はそれ以上に道が分岐する。その最初の枝だけでも葉に向う過程で複雑に分岐しているのだが、枝が他の枝に交わることで、他の枝へと移る道が無数に存在するのだ。


「さぁ、降りるぞ。ここからが本当の迷宮ダンジョンだ。気を引き締めていくぞ」


 俺がそう声を掛ければ、皆が神妙な顔で頷いた。俺らは光の原から続く、次の岩棚へと向うルートを選択し、その一歩を踏み出した。


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