第279話 世界樹の埋もれる街

◇世界樹の埋もれる街◇


「随分な道だな。馬が随分と歩きずらそうだ」


 乗合馬車から少しばかり身を乗り出し、ネムラへと続く街道を見ながら俺は小さくそう呟いた。王都から続く主要街道を通っているあたりまでは走りやすい道であった。土魔法使いによって固められた石畳は、その交通量を支えるべく強固に作られていたからだ。


 しかし、この道は幅もあり決して人の手が入っていないような田舎道ではないのだが、いかんせん轍がきついのだ。地面には馬車の車輪が作り出した二本の線がはっきりと刻まれており、一本道ではなく二本道と表現するべき様相だ。


「ネムラの領地は岩塩に鉱石が主要産業ですからね。通る馬車はどれも重量があるためこうなるのでしょう」


「ああ、もしかしてあの煙はそのせいか?煮炊きにしては随分多いよな?」


「そうなんじゃないかな?多分、精錬所か塩釜の煙でしょ。それか、炭窯かもしれないね」


 道の脇の森の向こうからは白い煙が幾条も上がっており、始めは温泉地があるのかと期待してしまったが、残念ながらネムラには温泉地は無いらしい。ナナの言うとおり、あの煙は炭を作る炭窯か、その炭を利用する木炭高炉。あるいは岩塩窟に注水して得られた塩水を沸かす塩釜のものなのだろう。


 道の脇に広がる森も大半が炭や木材として優秀なオークが立ち並んでいる。もしかしたら自然の森ではなく、植林が行われている人の手が入った森なのかもしれない。まだ葉が散る前でその葉は紅葉しているが、光を奪うように広がった枝葉のせいで、紅葉を楽しむというよりは薄暗い印象を抱いてしまう。


「皆さん、そろそろ森が終わりますよ。この辺は鬱蒼としていますが、本来のネムラはこの先にありますので」


 俺たちがオークだらけの代わり映えの無い森に嫌気が差していたのに気が付いていたのか、乗合馬車の御者から声が掛かる。俺ら以外の客もその声に釣られて馬車の進む前方へと視線を向けた。


 頭上に広がる木々のアーチを抜け、馬車へと光が指すと同時に前方の景色も一気に開けた。森を抜けた先にはまだ緑を蓄えた牧草地帯が広がっており、遠方には羊や牛らしき動物たちが群れを成しているのが見える。


「おお…。見渡す限りの牧草地だな。あの街がネムラか…」


 俺は感嘆の声を零しながら、牧草地帯の先に見えるネムラの街を見詰める。赤レンガの建物がひしめくように並んでおり、いくつもの煙突からは黒煙や白煙が吐き出され青い空へと消えてっている。遠めで見ても活気があるまさに鉱山街や炭鉱街と言うべき街だが、不思議と牧草地帯の牧歌的な風景とマッチしている。


「見てください…!あそこ…!建物の向こう…!」


「ああ、街の直ぐ近くに在るとは聞いていたが、まさに一体化しているな」


 街道が一際大きな丘の上を通過する際、タルテが身を乗り出してネムラの街を指差した。ネムラの町は遠方から観察すると、不自然に建物が途切れているように見えるのだ。なんてことは無い。そこには全てを飲み込むような大穴が開いているのだ。


 厳密に言えば手前に見えている街がネムラの街で、その奥の穴の向こう側に連なっている建物は精錬所らしい。そして驚くべきことに、逆さ世界樹の絶壁というべき壁面にも建造物がいくつか連なっている。岩をくり貫いたり木材を打ち込むことでそれを足場とし、その僅かなスペースに建物を建てているのだ。さらにはその建物同士を繋ぐようにして地上まで続くトロッコのレールまでもが敷かれているのも確認できる。


「凄いですね…。あんなところで過ごしているのですか…?」


「流石に住んでいる訳じゃないでしょう。位置からして…鉱石の運び出しの建物かしら」


 タルテが崖の只中に建っている家々を指差して恐々としている。そして、手甲に巻いた鎖を取り出すと、膝の上で操る練習をし始めた。一応、あの鎖が彼女のいざと言うときの命綱だ。たとえ空中に投げ出されたとしても、落ち着いて鎖を魔法で操れば直ぐに復帰できるはずだ。


 強いて言えばタルテが高所恐怖症かどうかが問題だろうか。ナナとメルルはハンググライダーを経験しているため、高所に恐怖が無いことが判明しているが、タルテはまだハンググライダーを経験していないため、高所への耐性が不明なのだ。


 ちなみに今回の旅路でハンググライダーを利用しなかったのは単純に言って寒いからだ。特に三人を運ぶためには俺が往復する必要があるため、悲惨なことになる可能性がある。急ぐ旅路でもないので陸路でのんびり行くことに皆も文句は言わなかった。


 そうこうしている内にネムラの街が目の前にまで迫って来ている。大通りの左右にひしめく露店には他の街であれば食料品が多いものだが、ネムラの露店には原石やら宝石、それを用いた工芸品なんかが並んでいる。


 今も買い付けらしき商人が露店の前の丸椅子に座り、拡大鏡を目に当てて原石を一つ一つ吟味しているのが見受けられる。


「へぇ…。露店なんかでも宝石を扱ってるんだ。…意外と女性の客は少ないんだね」


「そりゃ、この街に来るのは商人だろうからな。それに露店に並んでいるのはどれもクズ宝石。二束三文って程じゃないが、そこまで高価な品ではない」


 これでも彫金師でもあるのだ。遠目でもある程度の宝石の価値は判別できる。ただ、ナナの言いたいことも解からなくは無い。富の象徴でもある宝石達が、未研磨品とはいえ、このような露店に並べられていたり、袋売りされていたりする光景に違和感を覚えるのだろう。


「ここいらは、商人向けの通りですからなぁ。他の街じゃ見れない光景でしょう。中心部に近づけば飯屋なんかも沢山ありますよ」


 物珍しげに宝石がわんさかと並ぶ露天市を見詰めている乗客に、御者が楽しげに声を掛ける。彼からしてみれば乗客の反応は良く見た光景なのだろう。たとえ宝石目当てに来た商人じゃなくとも、宝石の並んだ露店はつい目で追ってしまう。


「さぁ、皆さん。もう馬車駅につきますよ。ようこそ、世界樹の埋もれる街ネムラに。忘れ物の無いようお気をつけ下さい」


 御者の男がそう言うと、馬車は一段高くなった停留所へと滑り込んだ。どこからか響くハンマーの音を聞きながら、俺らは荷物を掴みその背に背負い込んだ。


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