第272話 不可視の剣

◇不可視の剣◇


「打ちのめしてやるよ。次はお前が負ける番だ」


 ネイヴィルスが剣を凪ぐように払うが、俺は舞うように身を翻しそれを回避する。そして追撃をしようと距離を詰めてきたネイヴィルスに対し、あえて隙を見せて攻撃する箇所を誘導する。


 人間には盲点と言うものが存在する。眼球の内部には網膜という光を感知する受容体が並んでおり、その網膜で風景というものを認識する。しかし、唯一網膜が視神経と繋がる箇所は構造上、光受容体が存在しない。


 つまり、人間の視界の中にはぽっかりと見えない場所が存在しており、それが盲点と呼ばれるものだ。


 しかし、普段の生活ではその盲点を意識することなどはない。なぜなら、まず左右の目でその盲点を補完しあうため完全な死角とはならないうえ、盲点と焦点がずれていることで視点と盲点が重なることが無いからだ。


 だからこそ、ゆっくりとした足取りと風の魔法を用いた瞬間的な切り替えし、そしてあえて隙を見せるような行動を取ったのだ。ネイヴィルスの姿勢や視線を誘導し、俺が隠したいところに盲点が来るように戦闘を組み立てたのだ。


「シィッ…!」


「通るかっ…!こんなもん…!」


 俺の右手の突きに素早く反応して、ネイヴィルスが素早く体を流し、剣を振り上げて弾こうとする。しかし、俺はあえて右手の剣を手放した。


 俺の剣はネイヴィルスの剣に弾かれて放物線を描いて飛んでいく。手放したことにより感電する危険性も無く、なにより、唐突な武装放棄にネイヴィルスの注意が僅かにその剣に逸れた。


 斜に構えた面に剣を追う視線。今こそが好機。この僅かな瞬間にネイヴィルスの盲点が俺の左肩周辺へと重なったのだ。もちろん、いきなり視界が消失するわけではない。むしろ消失しないからネイヴィルスは警戒ができない。


 たとえ盲点により見えない箇所が存在しても、人の脳は目で見た映像を編集しその見えない箇所を埋めてしまうのだ。似たような視線で突きを繰り返したのはそのためでもある。


 姿勢を崩さぬように…、それでいて鋭く左腕の突きを放つ。通常であれば即座に反応できるような突きなのだが、ネイヴィルスはこの瞬間だけ、の幻を見ている。


「ハァッ…!?」


 ほんの数瞬の僅かな幻。それでも戦闘中においてはその数瞬が命取りとなる。ネイヴィルスは自身の喉元に突きつけられた剣先に驚愕して声を上げた。彼からすれば、いきなり俺の剣が喉元へと出現したように見えたことだろう。


「どうだ?よく見えたか?俺の剣は?」


「なんだ…?どうやって…!?」


 唐突な不思議体験にネイヴィルスは慌てている。俺も荒くなった呼吸を整えるように、大きく息を吐き出した。繊細な剣術ゆえに、気疲れからか想定以上の疲労がたまっている。


「イ、イカサマだ…!こんなん…!」


「タネも仕掛けもあるイカサマみたいな剣術だが、勝負がついたことは事実だ…」


 ネイヴィルスは納得がいかないように吠え、剣先が喉元にめり込む。刃の付いていない模擬剣ではあるが、それでも皮膚が擦れ、血が滲むように垂れはじめる。流石にこの状況ではノーカンにはなりはしない。


 呼吸を数回繰り返す間、そのままの姿勢で俺とネイヴィルスは膠着する。互いに喋ることは無く、静寂が二人の間に流れた。どうやってもこの状況からでは俺が剣を押し込むほうが早いと納得したのか、ネイヴィルスは振りぬいた位置で静止していた剣から手を離す。そして、唾を地面に吐き捨てると、その場にドカリと胡坐をかいて座り込んだ。


「チッ…!…次は吠え面をかかせる…!」


「…機会があればな。頼むから闇討ちとかは止めてくれよ?」


 試合は俺の勝利だが、未だにネイヴィルスの戦意は衰えていない。…流石に逆らわぬよう徹底的に痛めつけるのは趣味ではないので、この場の争いはここで集結だ。


 俺はちらりとホフマン達が去った方向を見てから、踵を返して砦の方へと向う。…もう既に待ち合わせの時間には遅れてしまっているため、ここで時間を使うのは得策ではない。あいつらが簡単にやられるとは思えないが、直ぐにでも駆けつけるべきだろう。



「随分綺麗に勝敗が付いたようだね。満足はしたかい?」


 物陰からホフマンが現れて、座り込む俺に手を伸ばす。その顔を殴りつけたい気持ちにもなるが、何だかんだホフマンには世話になっている。煮えたぎる脚気を押し込んで俺はその手を取った。


「満足するわけねぇだろ…!…つうか何でお前がいるんだよ。何のために俺が殿をやったんだ…!」


「そもそも君が一対一で戦いたいって言っていたから、あんなふうに動いたんだよ」


 確かに言った。そもそも俺がこの競技会に参加したのもアイツを倒すのが目的の大半であった。


「…本当は君に力で押さえ付けられる側の気持ちを知ってほしかったんだけど…、その調子じゃ収穫は無さそうだね」


「別に力で食い物を奪ったり金を取ったりはしてねぇだろ。ここは戦う力を身に着けるための兵士科だぞ?力を見せ付けて何が悪い」


 傭兵だって騎士だって兵士だってなめられたら終わりなのだ。俺だってむやみやたらに暴力を振るっているわけじゃない。俺を侮る奴らに力を見せ付けているのだ。


「貴族の奴らが権力を欲しがるのと同じだ。商人だったら財力か?俺には暴力これが一番向いているから只管に求めてるんだよ」


「ネイヴィルス…。それはそのうち修羅道に落ちるよ。力はあくまでも手段だ。力を求めることが目的になってはいけない。…君はもう少し、自分が何を成したいのかを考えるべきだね」


 大して疲れてるわけでも無いだろうにホフマンは大きくため息を付く。相変わらず俺の言うことに逐一ケチをつける面倒な奴だ。それこそ、まるで師匠のようだ。だからこそ普段からついつい世話になっちまうのだが…。


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