第242話 コレット、お前薬草は?

◇コレット、お前薬草は?◇


「ハ、ハルト君…、たのむよ。たす、助けてよ…。ねぇ…。……あ、このお粥美味しい…」


 幽鬼もかくやといった表情を浮かべるのはコレットだ。頬はこけ、目は窪んで深々と刻まれた隈が闇のように澱み、縋るように視線が俺に纏わりついてくる。緊急事態を知らせるように、彼の顔にはレプタの影が取り付き、忙しなく歩き回っている。


 サフェーラ嬢が企画した軍事演習競技会は学院側から正式に発表された。すでに噂として随分広まっていたのだが、正式に発表されたことで、その勢いは更に加速した。


 その勢いに巻き込まれたのは兵士科の生徒だけではない。学士科の生徒にもその話が飛び火し始めたのだ。


 と言っても俺のように出場のお誘いではない。彼らに課されたのは大量の回復薬の生成だ。治療師の人数が心許無いということで、膨大な数の回復薬の生成の任を負っている。その過激なスケジュールによってコレットはこのように幽鬼のようになってしまっているのだ。


「助けろっていたって、次は種の選別だろ?たいした作業じゃないんだから自分でやれよ」


「なんで…、なんで回復薬を作るのに開墾から始めなきゃならないんだよ…。第一、植生学の実習が開墾って…どう考えてもおかしいだろ…せめて農学だろ…」


 学生食堂で提供されるポリッジを口に運びながら、コレットが恨み言のように呟く。現在の食堂には、コレット意外にも疲れ果てた学士科の生徒が数多くうな垂れている。


 回復薬を大量に作れといわれても、そう簡単に対応できるものではない。まずは素材の入手からということで、俺らは使用していなかった敷地を畑に変えるために鍬を振るう羽目となってしまったのだ。


 薬草の育成期間も考えれば直ぐにでも作付けをしなければ間に合わなかったため、ここ数日は学生とは奴隷か何かかと言いたくなるような過酷なスケジュールであった。それもこれも、植生学や薬学を受け持つクスシリム準教授が乗り気になったのが原因だ。


「おい、コレット。パイ食わねぇのか?粥だけじゃ午後の授業もたないだろ」


 やつれてしまったコレットは、食事と言うより作業のように粥を口に運んでいる。全員で食べようと個別に頼んだミートパイを目の前にちらつかせるが、コレットは静かに首を横に振った。


 俺やタルテにとっては肉体労働も大したことはないが、いかにも研究者といった風貌のコレットにとっては開墾作業はそれほど大変なものであったのだろう。


「しっかりしなさいよ。まったく、頼りないわね」


「大丈夫ですか…?全部食べちゃいますよ…?」


 イブキとタルテは次々とミートパイを平らげていく。小柄な二人ではあるが、美味しそうに沢山食べる姿は、見ていて気持ち良い。彼女達は他の者と異なり随分と余裕がある。タルテが土魔法で早々に担当していた範囲を畑に変えたため、イブキの担当範囲も手伝っていたのだ。


「問題は政務科の奴らの要求だよぉ。魔法薬ポーションなんて購入したやつで良いじゃないか…。学生が作ったものだけ持ち込み可能とか…、今度はそっちでの勧誘で忙しいよ…」


 軍事演習競技会では、学院が配布する物資以外でも、生徒が作成したものであれば持込が可能となっている。勧誘合戦はある程度落ち着き、コレットを斥候代わりに声を掛ける者は減ったものの、今度は魔法薬ポーションを作るように方々から声が掛かっているらしい。


 回復薬も魔法薬ポーションの一種ではあるが、コレットの言う魔法薬ポーションとは、魔法的な効果を肉体に付与するための薬のことだ。呑むと恐怖心を薄れさせるといったものや、肉体を一時的に硬くするなど様々な種類が存在する。特異な物では人に鰓を作り出すといったものもあるらしい。


 そして、そういった魔法薬ポーションの作製依頼は薬学を習っている学生へと声が掛けられているのだが、その中でも優秀な成績を収めるタルテが競技会への参加を表明しているため、同じく優秀な成績を収めるコレットへと集中してしまっているのだ。


 コレットは授業で作製させられることとなった回復薬とは別に、出場予定者から依頼されている様々な魔法薬ポーションを作ることとなってしまった。中には初めて作る種類の魔法薬ポーションもあるため、練習の時間も含めればかなり忙しくなることだろう。


「あの…、少し私の畑から薬草を都合しましょうか…?」


「いや…、政務科の貴族だけあって薬草の購入費用は出してくれるんだ。問題は調合だよ…。そりゃ他の人たちよりは自信あるけど、タルテさんと比べちゃうと…」


 タルテは今回開墾した畑とは別に、既にクスシリム準教授から薬草畑を任されており、そこには彼女に自由にできる薬草の類が茂っている。中には栽培難易度の高い薬草も平然と生えているため、クスシリム準教授も自身の研究のためにタルテから都合してもらっているらしい。


「コレットさん…。作る回復薬の種類にも寄りますけど…、自作した新鮮な物を使ったほうが効果は高いですよ…?」


「ううん…。それだったら少しばかりお願いしようかな。後は銀竜草や幽霊茸も欲しいけど、それは流石に乾燥物かな…。ちょっとレシピ見てもらって良いかな?」


 俺とイブキは調薬に関してはそこまで詳しくないため、タルテとコレットの相談をぼんやりと眺めている。それこそ俺とイブキも履修している植生学では薬草の知識も触れるが、それは田舎の薬師レベルの薬草をそのまま、あるいは乾燥させて処方させるという漢方に近いものだ。


 一方、タルテやコレットが履修している薬学になると、化学的な手法で成分の分離や反応促進などを行うため、興味が無い者にとっては意味不明な単語がポンポンと飛び出てくる不可解な会話となるのだ。


「そういえば、一応あなたに知らせておきたい話があるのだけど…」


 議論を白熱させるタルテたちを見ていると、イブキが俺の袖を引きながらそう呟いた。


「サフェーラから聞いたのだけど、最近個人持ちの薬草畑からの盗難が増えてるらしいのよ。タルテの畑は特に警備がきついって聞いているけど、一応気をつけておいてね」


 彼女の小さな口から不穏な言葉が零れる。一応と言ってはいるものの、彼女の視線は何かしらの対策をしておけと警戒を促がすように鋭い視線であった。


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