第238話 男臭い地下室
◇男臭い地下室◇
「…タルテ。本当にこの先なのか?」
タルテに案内されたのは、学生街…、厳密には学院の中ではないのだが、学生や教員を相手にした店が所狭しと並んでおり、店も道も学生たちで溢れている。
ここには授業や研究で使う魔物素材や教本などを扱っている店も多いため、俺のような学士科の生徒も良く利用している商店街だ。
しかし、タルテが案内したのは、そんな学生街の奥の飲み屋が立ち並ぶエリア。その道の脇の一画にある寂れた酒場の地下だ。どのようなところに向っているのかは聞いてはいるが、このような所に集っている輩となると少々心配になる。
「はい…!今日は開催日なので既に皆さん揃っているはずです…!」
石畳の道の脇にぽっかりと明いた地下への階段を下りていく。夕暮れ時であるため、地下への入り口は薄暗く、店先に吊るされているランタンの明かりもほとんど届いていない。
木製ながらも重厚そうな扉をタルテが押し開けると、中から熱気と歓声が漏れ出てくる。
そこは本来は単なる地下倉庫なのだろう。不揃いな大きさの石で組まれた壁は洒落っ気もなく無骨な様相で、天井付近でアーチを描いている。強度を出すために柱が多い造りではあるが、部屋の中心付近は柱も無く、腰ほどの高さの木柵で囲まれている。
そしてその中心部に集まるようにして、上半身裸の男達が屯していた。…ここがどういった所なのか事前に聞いてなければ、剣を抜き放ちたくなる情景だ。上半身裸の男達は、タルテだけでなくナナとメルルという女性陣の存在に気が付いたのか、照れながらその体を腕で隠す。
「いけ!殴れ!殴れ!」
「引くな!前へ!前へ進め!」
「潰すよ今日は!オラ!よく見とけよ!オラ!」
木柵の内側では二人の男が殴りあっていた。肌を拳が強かに打ちつけ、汗や血が飛び散る。周囲を囲む男達も、闘っている当人のように気迫に満ち、誰も俺らのことに気が付いていない。
「もっと!!お前を!!教えてくれッ!」
「あぁあああぁああああ!」
拳闘は彼らだけではなく、一部の人間の文化として存在するが、正直言って流行ってはいない。炭鉱夫や漁師など屈強な肉体労働者の間で、スポーツや比武というよりもアンダーグラウンドな余興として存在している。
「おい…!双拳だ…!」
「え!?タルテさん…!?」
勝敗が付いたであろう男達が、肩を担がれながら木柵の外に出ると、入り口近くに佇む俺らに気が付いた。そしてその声に釣られるようにして、周囲を囲っていた血と汗に塗れた男共も俺らの方に向き直る。
「そ、その…タルテさん。そちらの方は…」
「ギルさん…。今日は別件でして…。ちょっとお話良いですか…?」
ギルと呼ばれた男は鎧下を羽織ると、タルテの前に出てそう話しかけてきた。
「…その前に、あなた達その怪我をそのままにするつもり?ちょっと治療をするから並びなさいな」
メルルが眉を顰めて男達に目を這わせる。男達はメルルの言うとおり、体中に傷を負っている。上半身裸の男達は、勢い良く返事をすると粗雑な台と椅子…、恐らくは診察のために拵えたであろうスペースの前に並び始めた。
「ほらもう…。ここなんか膿んでるじゃない。ちゃんと消毒しないからこうなるのですわ」
「い、いえ…このぐらいなら放っておいても…」
「駄目ですわ。小さな傷でも感染症にはなるのですから。…洗うから裾を巻くって下さいまし」
タルテとメルルはその診察台の前に移動すると手早く治療を開始する。外傷の治療は光魔法がメインではあるが、消毒をおこなう闇魔法も欠かせるものではない。タルテはメルルに治療の手伝いをお願いしたくて、一人だけで話をつけるのではなく、俺らの同行を頼んできたのだ。
「君、確か学士科のハルト君だよね?学院でもタルテさんと一緒にいるのを見たことあるよ」
俺とナナが二人の治療を眺めていると、褐色肌の男が俺に話しかけてきた。彼は俺のことを見たことあるようで、確かに思い返してみれば俺も彼の姿を授業の中で見かけたことがある。
「ああ、俺も君の事は見たことあるな。…同じクラス…ではないよな?」
見たことはあるが話したことも名前を聞いた覚えも無い。これでクラスメイトであったら少々気まずいこととなってしまう。
「知らなくて当然だよ。在籍しているのは兵士科だしね。単に僕が学士科の授業にちょっとお邪魔してるだけ」
皆からはブランと呼ばれている。そう言って褐色肌の男は俺に手を差し出してきた。授業の中には科を跨いで履修者を募集しているものもあるし、一部は不可能だが、望めば別の学科専用の授業も受けることはできる。彼はそんな科目のうちの一つを履修しているのだろう。
俺らはその手を握って握手すると自己紹介をする。そして彼の目線がナナにも動いたので、ナナも彼に手を差し出し自己紹介を行った。
「…なるほど。政務科のあなたがここに来るという事は、学院での例の噂に関することですか?」
ナナの自己紹介を聞いて、ブランは探るようにナナに目線を投げかけた。
「ええ。腕っ節の強い者を探していたところ、タルテちゃんがここを紹介してくれてね」
「…分かりました。あそこにいるギルと言う男が、一応は僕らのリーダーですので話してみましょう。…おい!ギル!そこで鼻の下を伸ばしてないでこっちに来てくれ!」
ブランは治療をしているタルテとメルルを見守っていたギルという男に声を投げかける。ギルはその声を聞くと、顔を赤めながらこちらに大またで近寄ってくる。その様子に治療のために並んでいる男達からからかうような野次が飛ぶ。
「ブラン!変なことを言うんじゃない!…誤解しないでください。今のはコイツの冗談みたいなもので…」
ギルはナナに取り繕うように言葉をかける。妙に慌てているものだから、かえって鼻を伸ばしていたことの真実味が増してしまっている。
そんなギルにブランが貴族であることを教えるように耳打ちをする。それを聞いてギルは電流が流れたように背を伸ばし、身だしなみを気にし始めた。
「ああ、いいよいいよ。私がいきなりお邪魔した訳だしね。…今日はちょっと君らに相談事があって来たんだ」
ナナは今度はギルにお邪魔した目的を話し始める。学院でも噂になっているが、競技会が開催されること。それに参加するため自分たちと組むための人を探していること。そしてタルテにここのことを紹介されたこと。
それらの説明をギルは黙って聞いたはいたが、悩んでいるような不安そうな複雑な顔をし始めた。
「そ、その…。俺らに声を掛けてくれたのは嬉しいのですが…、俺らで良いのですか?」
拳闘で鍛えられたであろう肉体を縮ませながら、ギルは眉を顰めて尋ねてきた。
「あの、タルテさんは僕らを評価してくれているみたいですが、正直言って学院での僕らは落第生のようなものです。貧民街の出ですから、剣術なんて未熟なものですし、ギルが別格であるだけで背丈も小さい者ばかりです」
説明するようにブランが言葉を挟む。それが言いたかったことなのか、ギルもブランの言うことに頷いて返した。確かによくよく見回してみれば、筋肉が良い感じに育っているため大柄に感じてしまっていたが、背丈は全体的に低いものが多い。
貧民街の出身ということは、幼少期の栄養失調が響いているのだろう。だが、まだ成長期は終わっていない。あれだけの筋肉を育てているのだから、食事関係は既に改善しているのだろう。なればこれから十分に育っていくはずだ。そう。俺だってまだ背は十分に伸びていくはずだ。
しかし、どうしたものか…。人数合わせと割り切ってしまう考えもあるが、それはそれで誘っておいいて彼らに失礼な振る舞いだろう。俺は相談するようにナナと目線を合わせるが、ナナも困ったように眉を顰めている。
「それならば…、ためしに闘ってみるべきです…!ギルさんも、拳で語るって言ってたじゃないですか…!」
俺らの話を聞いていたのか、治療をしていたタルテから声が掛かる。タルテの闘争を望む声に答えるように、ギルの大胸筋がピクリと動いた。
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