第229話 初陣で乗り越えるもの

◇初陣で乗り越えるもの◇


「あら、狩人ギルドでの話はそのようなものでしたのね。確かに私のほうには無茶をする生徒の話も寄せられています」


 週末の休養日、俺らはサフェーラ嬢とイブキを伴って湧水の森へと向かっていた。その道中にてサフェーラ嬢には例の狩人ギルドで聞いたオルドダナ学院の生徒の問題点を打ち明けていた。


 水源へと向かう軍用の林道を俺らは進んで行く。サフェーラ嬢は公務としての同行ではあるが、他に護衛のものは存在しない。あまり王府の動向は把握していないが、今回の件に関しては彼女に一任されており、余分な人員は不要と判断して断ったらしい。


 メルルが言うには、王府では妖精の小花ブルーベルの植え替えはサフェーラ嬢の手柄と評されているため、箔付けのためにも余分な人員を受け入れるのを控えたそうだ。


「正直良い迷惑よ。森には森の理があるのだから、そこに敬意を払えない人間が踏み入れるべきではないわ」


「ううん…。私は少し、生徒の気持ちも分かるかなぁ。私も実家で修練ばかりしていた頃は、実戦したくて堪らなかったしね」


 イブキが憤慨したように呟くが、ナナは逆に学院の生徒に同情的だ。これは二人の狩人としてのスタイルの違いもあるのだろう。ナナは実家の騎士と共に鍛えてただけあって、狩りの中に戦いを求めるタイプだ。体が闘争を求めているのだろう。


 一方、イブキとはそこまで狩りをする姿を見たことは無いが、話を聞く限り理想的な狩人のスタイルだ。情報収集を含め事前準備は念入りに。ひたすら身を潜め、敵の前に立つ事無く、安全に確実に一方的に敵を仕留める仕事人スタイルだ。


 ナナには森に対する敬意が無いとは言わないが、イブキのようなタイプはそれが人一倍高い。彼女にしてみれば森を荒らすものは犯罪者予備軍のようなものなのだろう。


「私もその話を聞いてから少し探りましたが、受付嬢の言うとおり教員の方々は別のことを危惧しているようですわね」


「なんですか…?別のことって…?」


 受付嬢は学院と足並みが揃わないと言っていた。薬草学や魔性生物学の教諭なんかは環境保護の意識が高い。俺やタルテに話しが来ていないことを考えると、やはり問題の生徒が在籍している兵士科や魔法兵士科で話が止まっているのだろう。


「それはですね。初陣の経験ですわよ。下手な初陣を経験すると、兵士として使えなくなるそうですわ」


「初陣…?初めての狩猟体験ってことか?」


 メルルの言ったことに俺は頭を傾げる。俺と同様にタルテやサフェーラ嬢も首を傾げてメルルの次の言葉を促がす。


「…サフェーラが疑問に思うのは分かりますが、ハルト様やタルテは通過した儀礼なのでは?私は家業に携わる折に経験しましたわよ?」


「あー…。タルテちゃんは分からないけど、ハルトは多分、ハルトの両親との修練で知らずに経験していると思うよ…?特にハルトのお父さんって…殺す気で手合わせするんでしょ?」


 俺の代わりにナナがメルルの疑問に答える。…確かに父さんとの立会いだと、死を感じることがあるが、なぜ俺のことなのにナナの方が把握しているんだ…。母さんが話したのか…?


「ハルトはそうやって無意識に通過しているから分からないかもだけど、意外と死を意識する状況ってハードルが高いものだよ?…それこそ、個人的には殺人のハードルより高いと思う」


「私にはよく分かりませんが…、イブキ?そういうものなの?」


「…狩人の中にも死の恐怖を乗り越えられずドロップアウトする人がいるわ。兵士もそれは一緒でしょ」


 皆の意見を聞いて、俺にも思い当たる節があることに気が着いた。幼少の頃、両親との訓練では一時期それを乗り越えることに費やしていた。実際、その訓練では俺が泣いても怪我をしても父さんは俺を切ることを止めなかった。


 …それこそ、これを越えなければいずれ死ぬから今死ねと言うような凶刃であった。あれより恐ろしいものが無いから、今でも俺は危機的状況でも奮い立てる。…というか、少々死への警戒心が下がって危険を危険と思わなくなった節もある…。


「言われて気が付いたよ。…確かには呑まれるとなかなか抜け出せないな」


 前世では、気の強い女性でもいざ痴漢にあうと恐怖で何もできなくなるといった話があった。もちろん、痴漢の被害者の大半が女性であるため、女性にフォーカスが当たっているが、恐怖で動けなくなるのは男でも変わらない。


 よくよく思い出してみれば、高校生の頃、他校の生徒と喧嘩になったときに似たような状況に俺は陥っていた。声や手足が振るえ、視野が極端に狭くなる。体は強張り簡単な動作でもいつものように動くことができなくなる。頭は冷静とは程遠く、深く考えることが不可能といった状況に陥る。


 それが恐怖だ。身の危険を感じて本人の意思とは関係なく体が暴走するのだ。…そして、いやらしいことに、武道や格闘技の修練でそれを完全に克服することは不可能だ。なぜなら武道を長年習っていた俺がそうなったのだ。


 もちろん、まったく効果が無いわけではないのだが、命の危険を感じない訓練を幾ら積んだところで、いざ命の危険を感じる状況に陥ったとき、恐怖を完全にねじ伏せる胆力がつくとは限らない。


「ああ、お兄様に似たようなことなら聞いたことがありますわ。修練では優秀な兵士なのに、いざ実戦になると途端に使い物にならなくなる兵士がいると…」


「教師の方々はそれを心配しているようですわね。未熟なまま戦場に立って下手に心が折れれば、兵士としては使い物にならなくなりますから…」


 サフェーラ嬢とメルルが納得したように頷きあう。…そういう点では土蟲はちょうど良い相手だったのかもしれない。死を感じるほどの群れの規模でありながら、一体一体は非常に弱いため、冷静に集団で当たれば確りと討伐することができる。


「…ちなみに、タルテは何かそういった訓練はしたのか?」


 我がパーティーのおっとりバーサーカー。タルテは敵と見定めた瞬間、躊躇なく殴りつける。徒手空拳であるためその間合いは誰よりも小さく、敵に肉薄するほどに距離を詰める彼女の胆力は見習うものがある。


「えと…、私の場合は…里の周りが…魔境ですので…」


 言外に、命の遣り取りが日常ですといいながら、タルテがはにかんだ。どうやら豊穣の一族の里は戦士養成所も兼ねているらしい。どおりでタルテも初陣と聞いて首を傾げた訳だ。彼女にしてみれば初陣は初めてのお出掛けと一緒に済ましてしまうものなのだろう。


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