第227話 猫のような何か

◇猫のような何か◇


「うぉぉ…。人より猫の方が多いじゃないか…」


 頭上に浮かぶ下弦の三日月は、夜空が割けたかのように明るく、あたかも口だけの巨大な何かが笑っているようにも見える。そんな月明かりに照らし出された学院の一画には数えるのが億劫なほどの猫達が集っている。ここにいる猫達だけで、猫カフェが二、三店舗は経営できそうだ。


「はぁあ…。楽園はここにあったのですね…」


 猫好きらしいサフェーラ嬢は既にトリップしかかっている。夢遊病者の如くフラフラと猫達に近づいていくので、イブキがサフェーラ嬢の服を掴んで引き止めている。


 俺らが猫の量に圧倒されていると、猫の群れの中から見知った毛並みの二匹が歩み出てくる。真っ黒な猫と茶トラの猫だ。その二匹は俺らの眼前にて小さく鳴くと、あたかも着いて来いと言っているような仕草で先導し始める。


「見て、ハルト。猫達がついてくるよ…」


 猫の群れは俺らの周囲を取り囲んで行進している。サフェーラ嬢ほどでもないが、ナナも可愛いものへの耐性が低い。心から迸る愛しさが抑えられないようで、周囲を歩く猫達の様子に歓喜している。


 猫達に導かれて、図書館の方へと足を進める。そこに向かうに連れて、他の猫達が合流したのか、猫の行進はより大規模になっている。そして蛍火のような妖精光がどこからか湧いてくると、それらも俺らを取り囲むように漂い始めた。


「ふふふ。幻想的な光景ですわね。まるで御伽噺の中のようで…」


 妖精光と戯れる猫をメルルも楽しげに観察している。猫だけではなく、俺らにも妖精光は纏わりつき、手をかざせばそこに妖精光が戯れるように舞い、虚空へと消えていく。


 俺らがその光景を楽しみながら進んでいくと、前方の一角に人影が見えた来た。植樹に囲まれた図書館の外壁の前に、その人物は猫と共に佇んでいた。


「あら、ダイン教諭も猫ちゃんに誘われたのですか?」


「…おや。…結局あなた方も妖精猫アルヴィナに働かされたので?…まったく。妖精猫アルヴィナは過保護であったり、かと思えば生徒に挑戦を求めたり…。本当に気ままなお方だ」


 巻き髭を指先でいじりながら、ダイン教諭がこちらを睥睨する。彼もまた猫と妖精光に囲まれてそこに立っていた。…正直言ってこのファンシーな光景に似合っていないが、誰もそのことは指摘しない。


「あ…光が…」


 俺らがダイン教諭の元まで歩み寄ると、宙に漂っていた蛍火のような妖精光が、彼の背後の壁へと集まり始める。仄かな光だが、大量に集うことで俺らを緑白色に照らす。俺らは僅かな眩しさを感じながらも、その光景に見惚れていた。


 仄かな明かりが壁の一面を覆い隠すと、次の瞬簡には弾けるようにして光が霧散する。先ほどまでは一面がレンガ造りの壁であったのに、そこには猫の装飾がされた両開き扉が佇んでいる。


「これが、秘密の部屋…。分かってはいましたけど、確かにあるのですね」


「ちょっと、サフェーラ。不用意に近づいたらだめよ」


 警戒心の薄いサフェーラ嬢が扉に腕を伸ばすが、それをイブキが引き止める。それでもサフェーラ嬢がフラフラと扉に足を進めるが、彼女が扉にたどり着くよりも前に、扉が静かに軋む音を立てて、こちら側に開かれた。


「ああ…ようやく外に出られた…」


「ねぇ、ネモノちゃん。大丈夫…?」


「大丈夫よ。ほら。…先生に、皆様方…助けていただいたことは窓を通して見ておりました。ありがとうございます」


 扉から警戒するように顔を覗かせたのは二人の女性であった。二人は扉を押し広げると、俺らの前に踊り出た。そして軽く伸びをすると、俺らに向かって深々と頭を下げた。


「ネモノ嬢にミファリナ嬢。無事なようで何よりだ。…まったく、ここまで長期で匿うなど…前代未聞ですよ。…ミネット」


『あら、授業の遅れなんかは無いわよ?なんていったて、この私が手ずから教えていたのだから』


 ダイン教諭が声を掛けると、唐突に暗がりの中から声がする。その声はネモノとミファリナの背後、扉の中の暗がりから聞こえて来ていた。


 その透き通るような声に、全員の視線がそちらに向く。暗闇のなかで浮かび上がる、月のような金色の瞳。その瞳の周囲に妖精光が群がることで、その声の主の姿があらわになった。


 白い長毛種の猫。…猫?

 

「…猫?」


 俺の疑問をナナが口に出してしまう。お気に触ったのか、その瞳が指すようにナナに向けられる。


『猫じゃないわよ、お嬢ちゃん。私が学院に住む妖精猫アルヴィナよ。私のことは愛を込めてミネットと呼ぶように』


 妖精猫アルヴィナの口は大して動いていないのに、そこからは綺麗な声が紡がれる。…俺やナナだって、目の前に現れたのが猫ではなく妖精猫アルヴィナだという事は分かっていた。なぜ疑問を覚えたかと言うと、単純に妖精猫アルヴィナが大きかったからだ。


 …デブ猫。俺は必死でその言葉を飲み込んだ。


 単純に猫のサイズではない。大型の犬…、あるいは小型の虎といってもいいほどのサイズである。それでいて全体的なフォルムが猫のままなのだから、どうしてもでっぷりとした印象を抱いてしまう。


 俺の知識では妖精猫アルヴィナの見た目は通常の猫と大きくは変わらないが、知性を感じる雰囲気を纏うとある。しかし、ミネット…さんは通常の猫よりも格別に大きく、知性…というよりもふてぶてしさを感じてしまう。


「ミネット。それだけではないぞ。…できれば生徒を巻き込むのはやめて欲しい。今回の件なんてかなり危険があったのだろう?」


『あら、私はできる者にできる事を頼んだだけよ。それに、そっちの方が都合がよかったのよ』


 ダイン教諭のいうことも一理はある。俺に指示された仕事は危険もあったし、何より違法行為に片足を突っ込んでいた。オルドダナ学院は教育機関ではなく研究機関という色が強いとはいえ、あまりにも乱暴な指示であった。


 …恐らく、妖精猫アルヴィナには違法行為という認識は無いのだろう。猫で、その上で妖精なのだ。自由奔放の代名詞が二つも揃っているため、その辺を気にするほうが間違いなのかもしれない。


『そんなことより、まだお願いしたいことがあるのよね。ほらミファリナ、あの花を』


 追加のお願いと聞いて少し辟易としてしまうが、声を掛けられたミファリナが秘密の部屋の中から持ってきたものを見て、俺の視線は釘付けになってしまう。


「あの、あなたがタルテさんよね?これ、ミネットさんがあなたに渡せって…」


「ほえ…?こ、これって…?」


 妖精の小花ブルーベル…。珍しくも妖精と共生関係を築く植物の一つだ。成長するには妖精光が必要とされるため、妖精の協力がなければ人の手で増やすことは不可能とされている希少植物の一つだ。


「私達、ここに閉じ込められている間、この花のお世話をやらされたのよ。ま、主な世話はミファリナがやったのだけれど…」


『角のお嬢さんなら、これの植え替えなんて簡単でしょ?植え替える場所はそっちのお嬢さんが案内してくれるはずよ』


 タルテがその鉢植えを手にすると、周囲の妖精光が妖精の小花ブルーベルに降り注ぐ。確かに妖精猫アルヴィナの住まう秘密の部屋であれば、妖精の小花ブルーベルの育成も可能だろう。


 そっちのお嬢さんと妖精猫アルヴィナに指名されたサフェーラ嬢は、まじまじとその花を見詰めながら口を開く。


「あの…これってつまり…湧水の森に頂けるってことですか…?」


『そうよ。あなたなら渡りが付けられるわよね?あの森が荒れると私も困るのよ』


 サフェーラ嬢が首をかしげている俺らに、事情を説明してくれる。彼女曰く、以前の事件のせいで、水源の汚染は防がれたものの、荒らされてしまったせいで妖精や精霊が隠れてしまっているらしい。


 妖精の小花ブルーベルはその解決策の一つだ。共生関係を築く植物であるため、荒れた地にそれを植えれば、妖精達を呼び込むための呼び水となれるそうだ。サフェーラ嬢はお父様に良い報告ができると喜んでいる。


『それで、今回の件はお終いね。もうほんとに私も大変だったわ。泣き女バンシーを宥めたり、教会を少しはましにしたり…。炊き出しがないとご飯を奪われるもいるからうるさいのよ』


 そう言って妖精猫アルヴィナは満足そうに笑う。…どうやら、ネモノとミファリナの救護を出しに妖精やら猫の救護もやらされたらしい。別に悪いことではないのだが、あんまりな理由に俺の肩とダイン教諭の巻き髭が萎びたように垂れ下がった。


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