第223話 屋敷の中でただ一人
◇屋敷の中でただ一人◇
「あ…あ…あ…」
下げたくも無い頭を下げて、散々探し回った妖精が目の前にいる。本来ならば直ぐにでも飛びついて妖精を確保するべきなのだが、あまりの情景にそんな考えは微塵も浮かんでは来なかった。
その部屋は物置として使用されている部屋であった。板張りの壁には土埃が吹きつけられたようにこびり付いており、光の灯ったランタンによって妖精の不気味なシルエットが映し出されている。
そして、部屋の床には見覚えのある男が倒れ伏している。少し前に私が叱咤した組員の男だ。だが先ほど見たときとは異なり、その組員はおぞましい物になってしまっている。
「あなたたち、アタシの羽を潰したでしょ?ふふ、人は羽が無いものね。でもね、羨ましいからって人のを取っちゃだめだよ!」
妖精が何かを語ってるがその言葉が上手く頭に入ってこない。目の前に立つ傭兵崩れもそれは同じようで、脂汗をかきながら目の前の惨状をただただ見詰めている。
「どうこれ!?素敵な羽だと思わない?羨ましかったみたいだから私が取り付けてあげたの!」
それは確かに翼に似た形状をしていた。だが、形状を似せているだけで、正確に言うのならば花束だ。男の背中を苗床にして二つの花束が生えている。
茨に似た植物が組員の男の背中で真っ赤な花を咲かしている。皮膚の下ではうねうねと、恐らく根っこが蠢き、それが全身へと伸びていっている。突き破られたであろう背中の皮膚からは血が流れ出し、床の上に血溜まりを作り出していた。
その血を一匹の猫が、オイルランタンの油を舐めるかのように舐めている。その血を舐めるぴちゃぴちゃとした音が部屋の中で不気味に響いている。
「いぎぃぃいいいぃぃいい…!!」
血を舐める音に耳を傾けていると、唐突にゴキリと…骨が軋む音が鳴り、部屋の中に組員の男の悲鳴が響く。男がまだ生きていると思わなかった私と傭兵崩れは、飛び退くようにして後ろに下がった。
「あら、眠りの香が切れちゃったのね。この花はね、気に入った子を逃げられないようにするから少し痛いらしいのよ」
よくよく見れば組員の体は不自然に長く、関節が曲がらない方向へと曲がっている。蠢く根っこが骨の間に入り込み、体中の関節を外しているのだろう。あまりの痛みに気絶したのか、組員の男は口に血の混じった泡を浮かべて再び沈黙した。
「お前、復讐をしに来たのか…?」
男の悲鳴によって我に帰ったのだろう。傭兵崩れは剣を向けながら妖精に尋ねた。わずかだが声が上擦ってしまっている。
「復讐?違うよ。遊びに来たんだよ。猫ちゃんが面白いことをするって言うからね」
そう言って妖精は座っていたランタンをロッキングチェアのようにガタガタと揺らす。それに伴い、ともった光も揺れて、部屋の中の影も不気味に蠢いた。
物置代わりの部屋には武器やそれに類するものが収まっている。光が揺れたことでそれらに反射していた鈍い光も合わせて揺れている。しかし、その中には金属とは異なる赤い煌きも混じっていた。
既に全身に冷や汗をかいていたが、それを見て再び汗が噴出した。
「なぜそれがここにある…!?」
炸裂水晶…!帝国から裏流ししてもらったそれは厳重に保管されていたはずだ。なんたって衝撃と火に弱い。暴発する可能性のあるそれは、こんなところで無造作に置かれているはずがないのだ。
「ねぇねぇ。ここにランタンを落としたら、面白いと思わない?猫ちゃんが教えてくれたんだよ?」
うろたえる私を尻目に、妖精は笑みを浮かべて揺らしていたランタンを炸裂水晶の方へと傾ける。その口ぶりからして、炸裂水晶が何か知っているのだろう。
幸いにして、炸裂水晶の衝撃が私を逆に冷静にしてくれた。あまりにもおぞましい光景であったが、人を人として扱わぬ光景は今までも散々見てきたのだ。多少今までとは趣向が違ったためうろたえてしまったが、こんなものなんて事は無い。
そう自分に言い聞かせて、心を落ち着かせる。ゆっくりと息を吐き出して懐にしまっていた包みを取り出した。所詮、相手は妖精だ。知性に劣る存在なのだ。頭を使えば切り抜けられる状況だ。
「そんなことをしたら火事になってしまう。ほら、この焼き菓子をあげるからこっちに来なさい」
何を言っているんだという顔で傭兵崩れがこちらを見てくるが、こいつには私ほど知性がないから仕方が無い。この妖精を仕入れてきた者は菓子で妖精を釣って捕らえたと言っていた。つまり、この交渉は非常に有効な一手だといえるだろう。
「わぁ!焼き菓子ってビスケット!?あの美味しいやつね!」
そう言って妖精は傾けていたランタンを元に戻す。やはり頭の足りない妖精だ。自分が菓子に釣られて捕まったことなど理解していないのだろう。
私は傭兵崩れに視線で合図をする。菓子を貰いにのこのこと近づいてきた瞬間に妖精を捕らえるのだと。
妖精はランタンごとこちらにゆっくりと飛翔する。そしてあと少しというところでこちらを観察するようにして止まった。…飛びつけない距離ではないがまだ早い。なぜなら妖精の真下に炸裂水晶があるからだ。もし、飛びついた弾みでランタンを落としてしまったら、この部屋など簡単に吹き飛ぶだろう。
私は包みから焼き菓子を取り出して妖精にアピールする。娼館で高級客向けに使う高い焼き菓子だ。
たまたまサンプル品を一枚ほど取っておいて助かった。最近は運が悪いと思ったが、どうやらつきが巡ってきているようだ。
「んん~。泥棒さんに貰ったお菓子よりは小さいね。それだったら二枚ちょうだいな」
「…一枚しかない」
「なんだぁ、残念。それじゃぁ落とすね」
「ああああああああああああ!」
ランタンが炸裂水晶に目掛けて落ちていく。視界の隅では妖精と猫達が一斉に部屋から脱出していくが、私の目は落下していくランタンに釘付けだ。
時間が引き伸ばされたような感覚の中、私は動くことができず落ちゆくランタンを見詰めていた。床に落ちたランタンからは油が漏れ、そこに火が移り、あっという間に部屋の中に広がっていく。もちろん、そこには炸裂水晶も含まれている。
「クソガァアアアア!」
傭兵崩れの怒声が響く。その声で我に返ってからは早かった。彼と連れ立って廊下へと転がり出る。私の背中を押すように背後から爆風の追い風が吹き、轟音と共に建物を揺らした。
私は傭兵崩れと一塊となって廊下を転がり、暫くして停止した。頭上からは土埃が降り注ぎ、あがった火の手が暗かった廊下を煌々と照らしていた。
「おい!いつまで私の上に乗っている!…ひぃ!?」
私は上に乗っていた傭兵崩れに顔を向けたが、彼の半分は黒焦げていた。たまらず彼の下から這い出て立ち上がる。
「おい!誰かいないのか!」
私は助けを求めて叫ぶがどこからも返事は無い。あんな轟音を響かせたのだ。トラガーテ辺りが飛び出してきそうなものなのだが、その様子も無い。
「誰か!誰か答えてくれ!」
私を守っていた傭兵崩れはもう答えない。途端に寂しくなって私は声を張り上げる。だが、それでも誰も答えない。…ただ、どこかで猫が鳴いた声がした。
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