第222話 ジャンドの瞳に映るもの
◇ジャンドの瞳に映るもの◇
「ジャンドォ!!おめっ!いつまでちんたらしてるつもりだ!あの虫は買い手がついてんだぞ!」
耳障りなトラガーテの声が、奴の投げた灰皿と一緒に飛んでくる。あの虫とはトラガーテの部屋に置かれていた花妖精のことだ。昼過ぎに花妖精が逃げ出したことが発覚してからというもの、ハニーグールは蜂の巣を突いたような大騒ぎだ。
それからというもの、一気に機嫌が悪くなったトラガーテは、一時間おきに私を呼び出しては捜索状況を報告させてくる。彼が言うには、花妖精がいなくなったのは私の責任らしい。あまりにも理不尽な叱咤であるが、この業界ではよくあることだ。上の言うことは絶対。どんな不条理な内容であっても従うしかないのだ。
「今、組員総出で探させてます。羽が潰れていますから、そう遠くには行っていないかと…」
「そう言ってどんだけ経つ!もう夜になるじゃねぇか!俺は見つけました以外の言葉は聞きたくねぇんだよ!」
内心で舌打ちをしながら、ただただ頭を下げて癇癪が収まるのを待つ。灰皿が当たった額から血が流れるが、それを拭うわけにはいかない。拭えば許可無く動いたと火に油を注ぐこととなるからだ。…もちろん、拭わなければ床を血で汚したと激昂する可能性もあるが…。
「いつまでそこでじっとしてやがる!さっさと探せと言っただろ!…ったく、ホント使えねぇな…」
「…失礼します」
刺激しないよう、なるべく静かに部屋を出る。私が出た瞬間、部屋の中で何かが割れるような音が響く。あの堪え性の無いトラガーテが、怒気が納まらず何か物に当たったのだろう。
「クソッ…。自分じゃ何もできない無能め…!」
ハンカチで血を拭き取りながら私は聞こえぬよう悪態をつく。…無能の方が操りやすいと、先代とその長男を処理し、次男のクソガキをハニーグールの頭目に据えてから随分経つ。だがこうも煩いと、あの女の股の事しか考えていないクソガキをハニーグールの後継に据えたのは間違いであったと思えてくる。
後悔…。後悔といえば妖精の保管場所についてもそうだ。そもそもあの妖精を自分の部屋に置くように言い張ったのはトラガーテだ。どうせ馴染みの娼婦に自慢したかったのだろうが、その際にもっと強く止めるべきだったか…。
金切り声を上げて騒ぐ妖精がトラガーテの部屋に入った途端静かになるもんだから、私も強く反対しなかったのだ。…護衛に雇っていた傭兵崩れは妖精避けのせいと言っていたな。とにかく、暴れて自傷する妖精が大人しくなるならと思ったのがそもそもの間違いだったのだ。
「おい!妖精は見つかったのか!」
「スイヤセン!まだ若いのが捜索に行ったっきりです!」
「見つけて来いって言っただろ!なんで言いつけたことを守れないんだよ!」
私は事務所に顔を出すと、詰めていた組員に怒声を発する。組員は中腰になって頭を下げるが、あまりにも情けない返答をするものだから、私はその頭に拳を振り下ろす。…どいつもこいつも使えない者ばかりだ。どうして私のように頭を使って行動できないものか。
部屋の隅では傭兵崩れが、我関せずと酒を飲んでいる。あいつは他の奴よりは使えるが、いかんせん契約以上のことをやりたがらない。散々美味しい思いをさせてやっているというのにその態度なのだ。使えない奴ではないが使い勝手の悪い奴ではある。
「クソッ…!」
そのままソファーに腰を下ろす。思えばあの妖精が来てからとどうも運が悪い。あの名簿が盗まれた事だってそうだ。後ちょっとで効率のいい集金システムが完成したものの…。
王都は物事を知らぬ馬鹿がのこのこと田舎から集まってくる。そんな無知な奴らを騙して借金漬けにするのは容易いことだ。そして借金漬けの奴らから効率よく金を回収するのが娼館だ。借金をしたのが女ならそのまま。男ならそいつの連れ合いや家族の方に負債を移して女の身柄を押さえてしまえばよい。
もちろん、そんなことをすれば教会が黙っていない。しかし、教会も一枚岩ではなく、金にならない娼婦の保護を嫌がる神官も意外なほど存在する。都合の良い事に、王都の教会はそんな神官が多く在籍しており、ちょっと鼻薬を嗅がせれば簡単に名簿を流してくれる運びとなったのだ。治療師さえ自前で用意できれば、教会の世話になることなんて無い。なんならその治療師にも客を取らせたっていい。
だが、そこまでだった。名簿を盗まれ治療師の配備が頓挫した。取引中に盗まれたから神官に追加で名簿を要求しようとしたが、次の日には教会の警備が厳重になり名簿を写すことが不可能となってしまった。なんとか取引した神官から聞き出せたのは、学院に在籍する治療師の名簿を裏流しした生徒の情報ぐらいであった。
足を揺らし、私の靴が床にぶつかりカタカタを音を鳴らす。そしてその音を縫うようにして傭兵崩れの足音が私の方に近づいてくる。
「ジャンドの旦那ぁ。…少し気ぃ張ったほうがいいかもです」
酒が入って少し怪しくなった発音で傭兵崩れが私に話しかける。視線を向ければ意外にもその眼差しは真剣なものであった。既に傭兵崩れの手は腰元の剣に伸びている。
「血です…。血の匂いがしますぜ」
「…私の額の傷ではないのか?」
既に血は止まっているものの、ハンカチは血に濡れている。水で洗ったわけではないので、額にもまだ血の跡があることだろう。
「いえ、もっと沢山流れないとここまで臭いませんぜ?」
そう言って傭兵崩れは鼻をひくつかせる。この馬鹿は飲みすぎたのではと思いはしたが、確かに言われてみれば私の鼻にも僅かに鉄臭い香りが漂う。
しかし、事務所は静かなものだ。何者かが争えば品の無い怒声が届いてもおかしくないのだが、そんな声はまったく届いていない。
気が付かなかったが、先ほど私が頭を叩いた組員が怪我でもしていたのか?そういえば先ほどから組員の姿が見えない。捜索のために大半が出払っているとはいえ、館全体が嫌に静かだ。
不意に不安になり、私の視線は開かれた部屋の扉へと向かう。もし何者かが侵入しているのなら、視線の先の扉からやってくるはずだ。傍らの傭兵崩れも、油断無く扉の方を見詰めている。
「ニャーン」
「は?猫?」
トットットっと軽やかな足音を響かせて、一匹の猫が開かれた扉の向こうの廊下を横切っていく。予想外の存在が登場したことにより、一瞬気が緩むものの、直ぐに引き締まる。
なぜなら赤いのだ。横切っていった猫の足跡。横切っていった猫は一際目を引く赤い足跡を廊下に残して消えていったのだ。
傭兵崩れと言葉も無く顔を見合す。そして私は無言で傭兵崩れに顎で指示をする。傭兵崩れは剣を抜き放つと、猫がやってきたほうへと足を進める。事務所で一人きりになるわけにも行かないので、私も距離を置いて傭兵崩れの跡に続いた。
廊下にでると、私の鼻にもはっきり分かるぐらい血の匂いが強くなる。そして猫が来た方向。事務所を出て左手を見れば、突き当りの部屋の扉が小さく開かれ、そこから明かりが廊下に漏れている。
漏れているのは明かりだけではない。何者かが小声で喋るような声と、ぴちゃぴちゃと水気を含んだ音もその部屋から漏れている。
傭兵崩れは忍び足でその部屋に近づく。そして、直前にて静かに息を整えると一気に扉を蹴破り、部屋の中へと剣の切っ先を向けた。
「あら?後ろのスケベ顔は見覚えあるわね。こんばんわ。遊びに来たわよ」
そこには散々探し回っていた妖精がいた。彼女は、部屋の中のランタンを椅子代わりにして、不気味な笑みを浮かべながらそこで待っていた。
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