第220話 三千世界で猫が鳴く

◇三千世界で猫が鳴く◇


「呪物をこんな一纏めに…。ある意味凄い度胸だな」


 絵画や壷、宝石などが飾られた棚やショーケースの間を進み、目的の物があろう一画へと足を進める。


 ナナやメルルには良く空気が読めてないだなんて言われるが、俺ほど空気の読める存在はいないだろう。周囲に展開させた風により、僅かな呪物の気配を感じ取る。呪物はある意味で使であるため、魔法を近場に展開すると抵抗感を覚えるのだ。


 そして、部屋の中でも一画だけ抵抗感が強い。見てみれば凡そ呪物に分類されるものが一箇所に取りまとめられている。民族的な文様が描かれた仮面や、何かの皮で装丁された古書、…そして兎の足で作られた魔除けアミュレット


 こういった呪物の類は干渉しあわないように保管するのが常なのだが、どうやらここの住人にはそのような知識は無いらしい。


 …兎の足で作られた魔除けアミュレットがお目当てのレプスの護り足ラビットフットであろう。レプス・コルヌトゥスと呼ばれる兎の魔物の後ろ足で作られた魔除けアミュレット


 レプス・コルヌトゥスは鹿のような角の生えた兎なのだが、決して強い魔物ではない。しかし、非常に個体数が少ないうえ、その特異な能力によりまず捕まることがない。そのためレプスの護り足ラビットフットは高価で強い力を持つ魔除けアミュレットだ。


 レプス・コルヌトゥスの持つ特異な能力とは予知能力とも評価されるほどの危機察知能力だ。…狩人ギルドに残った記録では、ほぼ全ての罠の餌は避けるくせに、たまたま部品が劣化していて作動不良を起していた罠の餌だけは、躊躇い無く食べたという記録も残っている。


 他にも装備や予定の都合上、狩る事ができないときだけ無警戒に目の前に現れるだとか、飛来する矢を必要最低限の動きだけで避け、避けるのが不可能なほどの弓の名手の前にはそもそも現れないだとか様々な逸話がある。


 そのこともあり、レプス・コルヌトゥスの止め足バックトラックは運命の分岐点とも言われている。彼らは自身の危機的な未来を察知して後方へと戻り、別の道を選択したのだと。そんなレプス・コルヌトゥスの特性を利用しようと作られるのがレプスの護り足ラビットフットだ。


 それがレプス・コルヌトゥスの特性からくるのか、人々の認識により醸し出されたのかは不明だが、確かにレプスの護り足ラビットフットは魔性の者を遠ざける効果をもつ。


「…だが、直接的な害意でなければ、このお守りも通用しないって訳か…」


 俺はレプスの護り足ラビットフットに手を伸ばす。そこにはなんも障害は存在しない。…俺がここでトラガーテを暗殺しようと考えたのならば、このレプスの護り足ラビットフットは反応したのかもしれない。もしかしたら、レプスの護り足ラビットフットの効果を知っているからこそトラガーテは無防備に寝ているのか…。


 だがしかし、レプスの護り足ラビットフットは俺の手に渡った。俺は手に握ったレプスの護り足ラビットフットへと魔力を込め始める。


 こういった呪物は普段から持ち歩くことでゆっくりと魔力が浸透し、呪物から所有者と認定される。だが、トラガーテは飾るだけで身に着けていないため所有者の認定はそこまで強固ではない。そのため魔力の扱いに慣れた魔法使いならば、簡単に所有者を変更できるのだ。


 俺の魔力がレプスの護り足ラビットフットに込められたトラガーテの魔力を押し出すようにして上書きされる。今この瞬間にレプスの護り足ラビットフットの持ち主は俺となり、その効果を享受するのも俺へと変更された。


「これで妖精猫アルヴィナの依頼は達成だな。たとえここで俺がレプスの護り足ラビットフットを落として帰るという大ポカをしても、こいつらは魔力の上書きができないだろう…」


 …それがある意味油断となったのだろう。呪物による抵抗で索敵できてない範囲が生まれていたことと、そこにあったものの確認を俺は怠っていたのだ。


「ねぇあなた泥棒さん?だったらアタシも連れ出してよ」


 鼾だけが響いていた室内で、唐突に甲高い女の子のような声が響く。驚愕と共にそちらに振り返ると、声の主が俺のことを小さな目で見つめていた。


 そこに居たのは鳥篭に入れられた手の平ほどの小さな人型。背中に付いた虫のような羽は無残にも潰されている。…野山に住む小さな隣人。花妖精だ。


 俺は咄嗟に妖精の鳥篭まで消音の範囲を広げたのだが、時既に遅し。よく通るその声が目覚ましとなり、男の横で寝ていた娼婦が身動ぎをする。


「んんぅ?誰かいんのぉ…?」


 目を擦りながら娼婦が身を起こす。俺はショーケースの影に隠れるが、娼婦はフラフラとこちらに向かってくる。


 どうするか…。俺は責めるような目線で花妖精を見詰めるが、花妖精も自分の発言が娼婦を起したことに思い当たり、両手で自分の口を押さえながら、謝るように涙ぐんだ目で俺のことを見返している。


 しかし、ピンチが思いも寄らぬところからやってきたのなら、そのカバーも思いも寄らぬところからやってきた。


 ショーケースの陰で身を屈める俺の真横を通り過ぎる新たな侵入者。茶色のトラ柄を纏ったそいつは、実に優雅な足取りで娼婦の前に躍り出た。


「なぁ~ん」


「…なんだ、猫か…。もう、どこから入ってきたんでちゅか~?」


 娼婦もまた猫の信望者なのか、茶トラの猫を追いかけて部屋の外に向かっていく。俺は風で彼女が部屋から離れたことと、トラガーテが未だ鼾をかいて眠っていることを確認すると、花妖精の方へと向き直った。


「…ごめんなしゃい」


「…おしゃべりはここから出てからだな。少し篭の奥へ下がってろ」


 鳥篭には鍵が掛かっていたが、都合の良いことに筋力マスターキーがあったため、そちらで解錠する。花妖精は歪んだ鳥篭の隙間から抜け出てくると、俺の手に体全体で抱き付いてきた。やはり羽が潰れているせいで飛ぶことができないらしい。


「さっきの猫ちゃん、妖精猫アルヴィナの気配がしたけど…あなたも妖精猫アルヴィナに使われてるの?」


「人間は猫には逆らえないようにできてるんだよ…。悪いが懐に入っていてくれ」


 鈴が鳴るような声で花妖精が囁く。ハニーグールの拠点からでるまで花妖精の姿を見られるわけにはいかないため、俺は服の首元を広げると、そこに花妖精を入れる。花妖精が服の中で暴れたり臭いを嗅いだりするから少々こそばゆい。


「ねぇねぇ、お外いこ?この家嫌な空気だから居たくないの」


「…お外いくから隠れててくれ。見つかったら外出じゃなくて脱出になるぞ」


 先ほどの涙目はなんだったのか、俺の服から首だけ出した花妖精は楽しげに喋り始める。俺はそんな花妖精を手で隠すようにしながら、足早に部屋を後にした。


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