第218話 え?最近雇った子がそんなことを!?

◇え?最近雇った子がそんなことを!?◇


「ふふふ。それじゃ二人とも参加してくれるって事でいいんだよね?」


 そう言ってファダモンはにこやかに笑う。どうやら俺の作り笑いを好意的な反応だと受け止めてくれたようだ。俺と同じように紅茶を口にしたタルテが俺の袖を引く。これはあらかじめ決めておいたサインの一つだ。どうやら、ファダモンはここで俺らを嵌めるために動き出したらしい。


 ファダモンの問いに答えるように俺が静かに頷くと、ファダモンは先ほど資料を取り出した鞄の中から新たな書類を取り出した。


「まぁ、ちょっとした契約書だよ。ほら、ボランティアといえども備品や消耗品には学院に費用を請求するでしょ?それに何より人の怪我を治すに当たってトラブルになる可能性もあるからね。君たちを護るための契約書だと思ってくれていいよ」


 ファダモンは手にした書類の束を片手に説明を始める。ファダモンの言っていることに間違いは無く、例えば治療ミスが発生した場合の責任の所在や、金銭的な損害が発生した場合に関する取り決めが描かれているが、どれも治療師が有意になるように記述されている。


「うう…この書類も…多分そうです…」


 タルテの反応を見る限り、この契約書や誓約書の束も教会から回してもらったものなのだろう。意外にもファダモンはその書類の束を一枚一枚丁寧に説明してくれる。それが安全であることを強く主張しているようで、逆に胡散臭さが増してしまっている。


「ちょっと枚数が多いけど書名してもらっていいかな?…光魔法使いのタルテさんはこっちの書類で、闇魔法使いのハルティさんはこっちの書類の右下に署名をしてね」


 そう言ってファダモンは説明に用いてた契約書の類をタルテに渡すと、鞄の中から同様の書類の束を取り出し、そちらを俺に突き出した。


 …先ほどさっと目を通した感じ、光魔法使いと闇魔法使いで変える必要のある項目は存在しなかった。つまり、今、俺が受け取った書類はタルテのものとは何かしらの違いが隠されているのだろう。


「…どうしたんだい?書類はタルテさんに渡したのと一緒だよ?署名欄は全て右下だから、そこにサインしてもらえればいいよ」


 直ぐにサインを書き始めない俺を見ながら、少し慌てたようにしてファダモンが俺を急かした。


 彼の目は忙しなく泳いでおり、彼が焦り始めていることが窺える。彼からしてみればすぐさま書類にサインをし始めると思っていたのだろう。俺がじっくりと書類を見始めたことが想定外であるらしい。


「…ごめん。少し急いでもらっていいかな。この後予定が入ってしまっていてね」


 ファダモンは指でテーブルを叩きながら、俺らを急かす。俺はその言葉を無視して一枚の契約書を抜き出した。


「…現行犯だな。この契約書、ボランティアで給料が発生しないと記述しておきながら、幾つかの経費が給料天引きになっている。しかもこの下宿費用ってなんだ?そんなもんの説明は無かったよな?…ついでに言えば、その費用の債務者に知らない人物が書かれている」


 俺が抜き出した契約書を見て、ファダモンの顔が青ざめる。一部を書き換えているだけだが、内容は全然違う。特に謎の下宿費用に関しては、例え俺が下宿先を利用しなくても金銭が発生してしまう。


 …そしてその給料天引きで発生する借金の債務先の名前…。知らないとは言ったが、実際は知っている。ハニーグールの金庫番の名前だ。


「…あ、ああ…!すまない!間違えた書類を出してしまったようだ!直ぐに差し替えるよ!」


 ファダモンは勢い良く立ち上がり、俺の手元から書類を回収しようとするが、俺は書類を遠ざけてそれを防ぐ。


「何寝ぼけたこと言ってるんだ?これは立派な詐欺だぜ?…出るとこでましょうか?」


 俺は維持の悪い笑みを浮かべて、その契約書をひらひらと旗のように振ってみせる。


「あ、あ…、あ…、き、効いてないのか…?」


 ファダモンは口をパクパクと酸欠の魚のように開閉していたが、必死に搾り出すようにして幾ばくかの言葉を呟く。


「あら?お薬は確かに混入されていましたわよ?この手癖の悪い店員さんのお陰でね」


「まったく。まさか店員にも仕掛け人が居たとはね。メルルの予想が的中したよ」


 店の奥から現れたメルル。そしてナナの手によって、血塗れの男が俺らのテーブルの真横に投げ込まれる。


 男はそのままテーブルにぶつかり、テーブルの上に載っていた食器が音を立てる。突然の喧騒に周囲から視線を集めるが、これ以上の注目を防ぐために俺は風壁の魔法を発動させた。


「グ、グァ…」


 その男は先ほど紅茶を届けにきたウェイターだ。血塗れと言ってもその血はメルルの血液であり、その男は血液で拘束されている。


 …店員に協力者がいると睨んだメルルはナナと共に店の厨房に潜んでいたのだ。もちろん、店長には話を通している。店で違法行為が為されると言われて強制的に協力を要求された店長のさぞ哀れなことか…。


 男は投げ出された衝撃で苦しげに声を上げながら、芋虫のように床で悶えている。


「は…!?クソ…!?何が起きている!?」


 床の男にファダモンの気が向いた直後、余分に男に纏わり着いていた血液が、今度はファダモンを座席へと縛り付けた。目まぐるしく変わる状況に、ファダモンは悲鳴にも似た声を上げた。


「皆さん…。恐らく…酩酊草です…食べたことが無いので自信は無いですが…」


「ちょっと前に出回ったからね。きっとそれを入手したんでしょ…」


「このウェイターも学院の生徒ですわね。正常な判断を奪うために紅茶に混入させたのでしょう。…まさか違法薬物にまで手を出しているとは」


 ナナが床で悶える男の懐から、小瓶に入った乾燥葉らしき粉末を取り出す。ナナは蓋を開けて匂いを嗅ぐと、嫌な顔をして顔から遠ざけた。きっと、昔嗅いだ匂いと同じだったのだろう。


「その男だ…!その男に頼まれてやったんだ…!薬も俺のものじゃない…!」


「おい…!何を言う!?ふざけるな!?」


 床の男は視線でファダモンを示して弁明を叫ぶ。しかし、メルルは叫び声を聞くつもりが無いのか、二人の口を血液で拘束した。二人は混乱し暴れるが、メルルの拘束が解けることはない。


「さてさて。ご存知の通り彼女は貴族だ。その証言が重要視されることは分かるよな?そしてこの証拠。…さて、もう少しお喋りに付き合ってもらおうか」


 俺は契約書と酩酊草の小瓶を椅子に拘束されているファダモンの目の前に掲げながらそう呟いた。ファダモンと床の男、そしてついでに厨房からこちらを窺っていた店長は顔を青くして震えていた。


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