第216話 女装については触れてはいけない

◇女装については触れてはいけない◇


「ああ、ようこそ。タルテさん。お待ちしていましたよ。そちらがお友達のハルティさんですか?」


 爽やかな…ともすれば軽薄とも取れるような笑みを浮かべてファダモンが俺とタルテを出迎える。ここは学生の憩いの場となっているオルドダナ学院の正門近くの喫茶店だ。いつも俺らが集まっているサロンのような所だが、あちらが貴族向けの施設であるように、こちらは平民向けの店だ。


 店内の薄暗さは、心地よく過ごすためあえて光量を抑えているのだろうが、今現在の置かれた状況のせいで胡散臭さを醸す要因ともなってしまっている。


「ハルトさん…。大丈夫ですか…?」


 目から生気を無くした俺を心配して、小声でタルテが話しかける。


 …結局、妖精猫アルヴィナの指示は無茶振りに近いものであった。妖精猫アルヴィナが求めたのは唯一つ。ハニーグールの所持するレプスの護り足ラビットフットの奪取。


 レプスの護り足ラビットフットは希少な魔物であるレプスの足を使用した魔除けアミュレットの一つだ。なぜ、ハニーグールがそれを所持していることを妖精猫アルヴィナが把握しているのかは分からない。


 しかし、妖精猫アルヴィナがそれの排除を要求したのかは推察することができる。魔除けアミュレットは悪しきものを遠ざけるといわれているが、レプスの護り足ラビットフットは以前にエイヴェリーさんが使用した呪剣のように、呪術を用いて強制的に平常を保つという類のものだ。


 つまり、レプスの護り足ラビットフットは妖精避けにもなるのだ。レプスの護り足ラビットフットがある限り、妖精猫アルヴィナがハニーグールに手を出すことはできない。


「証拠を掴むことや、暴力による排除ではなく、それを望むって事は…そういうことだよな…」


 俺は口の中だけに留めるように、小さく誰にも聞こえないような声でそう呟いた。


 妖精猫アルヴィナからはレプスの護り足ラビットフットの奪取しか指示が来ていない。だが、その指示が描かれた手紙からは妖精猫アルヴィナの考えが推察できた。


 猫には法律が分からない。でも吐き気のする悪は分かる。悪とは自身のためだけに弱者を利用し踏みつける奴のことだ。まだ、ハニーグールは被害者自身にも証拠が残るような違法行為にも手を掛けていない。


 だから猫が裁く。


 そのため、俺らにその障害となるレプスの護り足ラビットフットの奪取を指示したのだろう。学院に住まう猫にとって、そこの生徒に手を出したことは絶対的なタブーなのだろう。もはや猫と和解する道は残されてはいないのだ。


「ささ、こちらに座ってください。こっちで詳しい話を聞きましょう」


 俺が思考の海に沈んでいたところ、現実に引き戻すかのようにファダモンが俺らを少々強引に席に座らせた。


 今回、ファダモンに近づいたのはハニーグールの情報を仕入れることと、ファダモンが何処まで奴らと繋がっているかを調べるためだ。上手くいったならばファダモンをそのままこちらの手駒として利用したい。


 因みにホドムズはハニーグールがレプスの護り足ラビットフットを所持していることを把握していなかった。それでころかレプスの護り足ラビットフット魔除けアミュレットについてすら知識を持っていなかった。


 だが、レプスの護り足ラビットフットのことを説明すると、確かにハニーグールの奴らは変に運が良い所があると納得したかのように呟いていた。


 まぁ、ホドムズが知らないのは単なる知識不足だが、レプスの護り足ラビットフットは素材となるレプスがかなり希少な魔物であるため、わざわざ所持していることを公にはしていないだろう。


 現にレプスの護り足ラビットフットのことを聞いたサフェーラ嬢は、奪取した後は譲って欲しいと目の色を変えて迫って来ていた。希少な魔物素材であるため、俺も欲しいのだが気迫に負けて頷いてしまった。


「ええと、お二人は学院での治療組織の発足の話を聞いて尋ねて下さったんですよね?」


「ええ…。王都の治療院では活動していませんが、私も治療師ですので…」


「はは。タルテさんの話は学年の違う自分のところにも届いていますよ。なんでも瞬く間に大量の怪我人を治してしまったと」


 ファダモンが言っているのは土蟲の大群に襲われた野営演習のことだろう。あの件があったからタルテは治療師として学院内で名をはせることとなったのだ。


「それで…、ハルティさんでしたっけ?申し訳ないのですが…貴方のような方が居たとは聞いたことがありませんね…」


「…そりゃ、私は目立つことも学院で治療行為をしたことも有りませんから。知らなくて当然ですよ」


 ファダモンが俺を観察する視線は何者かと疑う視線であった。単に見知らぬ人物だからと警戒する程度のものではない。この反応を見て、俺はファダモンが学院内の光魔法使いと闇魔法使いの名簿を目にしていると確信する。


 タルテのように活躍したり取り分け優秀などで無ければ、知らないのが当たり前だ。それでも極端に猜疑の目を俺に向けるあたり、ハルティという名が名簿で見たことがないから疑っているのであろう。


「ハルティさんは…あまり闇魔法が得意じゃなくて…。これを機に鍛えるつもりなんです…」


「闇魔法使いを名乗るのも気が引けるレベルでね。治療院じゃ厳しいが、あんたの考えている治療組織はボランティアなんだろ?それなら半人前でも受け入れてくれるかなと思ったんだが」


 タルテがあらかじめ考えていたカバーストーリーを話す。当初の予定ではタルテ一人でファダモンに近づく予定であったのだが、餌は多いほうが食いつきが良いと判断して、不服ながらも女装までして参加したのだ。


 俺は目の前のグラスの水に向けて風魔法を展開させる。周囲の加圧と減圧、それにともなる熱交換。ナナ曰く、風を感じるハーフリングだからこそ可能なレベルの緻密な魔法。その風魔法により、目の前のグラスは霜を纏い白く濁り、注がれた水には氷の膜が張り始める。


「おお、これが闇魔法…!」


 俺の風魔法は目には見えない。ファダモンにはグラスの水がひとりでに凍り始めたように見えたのだろう。一般的に物体を冷やすのは闇魔法であるため、彼が俺の風魔法を闇魔法と誤認するのもなんら可笑しくはない。


「じ、実を言いますと闇魔法使いの方は人が少なくて困っていたのですよ。参加していただけると非常に助かります」


 セラさんが娼婦の治療には闇魔法使いが必要だと訴えていたことから、ファダモンにもその話が伝わっていると読んだのだが、どうやら正解であったらしい。ファダモンは先ほどの疑いの眼差しから一転して、俺の存在に食いついてきた。


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