第214話 猫に相談だ

◇猫に相談だ◇


「ハルト。…警備ありがとう。もう中に入って大丈夫だよ」


 暫くの間、廊下に立って警備をしていたところ、扉が開かれてナナから治療終了の知らせが届いた。俺はそのまま扉の隙間に身を差し込むようにして部屋の中に戻った。


 部屋の中では病人の娼婦達が全身泥パック状態になって寝台に横たわっている。泥パックに見えるそれは、タルテが調合した塗り薬なのだろう。その証拠に部屋の中には薬草独特の臭気が充満している。


「ああ…酷くだるいが、あの焼けるような痛みはとんと鳴りを潜めたよ。ありがとうね…」


「いいから寝てくださいまし。重症化した病を殺すために、通常以上の闇魔法を行使し致しましたの。それは同時にあなた方の生命力も削っている訳ですから、今は休んで体力を取り戻すことが先決ですわ」


「軟膏はこの壷に入れておきます…。一日一回…、古い軟膏をふき取ってから付けなおして下さい…」


 メルルとタルテは、優しげな声で娼婦たちにそう言い聞かせている。彼女達の様子を見る限り、手遅れであった病人は居なかったのであろう。


 俺はそんな二人を見守るようにしながら、部屋の隅の壁に寄りかかった。何処からか入り込んだ一匹の蛾がランタンの周りを飛び回り、大きな影が部屋の中を撫でるように何度も横切っている。薄暗く汚れた室内で病人に慈愛の視線を向ける彼女達は、それこそ絵画のような美しさがあった。


 ほんの数十秒、そんな彼女達の様子を眺めていると、完全に治療が終了したのか彼女達は立ち上がって静かに息をついた。そして、女性陣は言葉も無く俺の周りに集まり、適当なところに腰掛ける。


「…まずは礼を。貴方たちがどういう事情で協力してくれたかは分かりませんが、これで彼女達は救われました。感謝いたします」


 まず最初に、セラさんが静かにそう口火を切った。そして深々と俺らに頭を下げた。


「こっちとしても、病人を見捨てるような輩になったつもりはないからね。むしろ交換条件にしてしまって、ちょっと申し訳ない気持ちもあるよ」


「それで、まずはお尋ねしたいのですが、なぜ貴方が娼婦の方々の治療を?オルドダナ学院の生徒である貴方にどんな接点が?」


 ナナが礼に答え、メルルが矢継ぎ早にセラさんに質問を投げかける。その質問を聞いたセラさんは息を深く吐き出すと、同じように言葉も吐き出すようにして語り始める。


「そうですね。私がここに治療のために通い始めたのは、学院でファダモンという男に紹介されたから…。いや、嵌められたといってもいいですね」


 やはりというべきか、彼女の現状にはファダモンの存在が関っていた。ファダモンはタルテに接触を試みていた生徒で、セラさんのことが俺らに知らされたのも、ファダモンが接触していた女性が行方不明になったとホフマンから相談されたからだ。


「最初は学院の生徒で治療部隊を結成しようと言う話だったのです。完全なボランティアなのですが、有意な活動であると思った私はファダモンに賛同しその活動に参加したのですが…」


「実態は違ったと…?」


「違ったどころではないです。…しっかりと確認しなかった私が馬鹿だったのですが、加入する際にサインした書類に契約書が混じっていたのです」


 …正直いって、確かに呆れてしまう。内容も確認せずにサインをするなど余りにも無用心だ。そう思ったのは俺だけではないようで、ナナやメルル、タルテも疑うような顔でセラさんを見詰めている。


「そ、その…懇親会だということでお酒を頂いて…。それに他の方もその場で問題なくサインしていたものですから…」


 俺らの反応を見て、恥じるようにしてセラさんが取り繕う。自分でもあまりにも迂闊な行動だと分かっているのか、その頬は赤く染まっている。


「…恐らく、その他の方とやらは仕込みですわ。騙されるほうもどうかと思いますが、学生にしては随分悪辣なことを致しますわね…」


「でも、そういった詐欺的な契約の場合、訴え出ることも可能なんじゃ?」


 契約は絶対ではあるが、暴力で脅して書かせただとか、金を借りる契約なのに金を渡していないのに払ったと言い張って徴収するなどのケースがあるため、不当な契約は訴え出ることはできる。…だが、正直言って勝てるとは限らない。


「残念ながら契約内容をよく確認せずにサインしたことに非がありますし、なにより詐称であることを証明することは難しいですわ…」


「はい…。それに契約内容は莫大な借金などではなく、彼女達の治療だったものですから…。私もそれならばと…。そうして彼女達を治療するうちに情も湧いてしまいまして…。たとえ途中で契約がなくなったとしても私はここに通ったと思います」


「ちょっと…!セラちゃんを攻めないでやってくれよ…!私達が今生きてるのもセラちゃんが命を繋いでくれたからなんだよ…!」


 なるべく静かな声で話していたのだが、聞き耳を立てていた娼婦から彼女を庇う声が飛ぶ。その言葉を聞いて再びセラさんは頬を染めて恥ずかしげに縮こまった。


「それで、なぜわざわざセラさんが治療を?娼婦は治療院で無料で治療を受けられるんじゃなかったのか?」


 俺は声を掛けてきた娼婦とセラさんにそう尋ねた。俺の言葉を聞いて娼婦の方は苦虫を噛み潰したような表情になる。


「…教会は娼婦を見捨てたよ…!なんたって金にならないからね…!だんだんと訪問治療の回数が減って、それに味を占めたのがジャンドだ…!自前で治療師を用意して、娼婦の扱いにうるさい教会と手を切るつもりなんだよ…!」


 彼女の形相を見て、一瞬俺が失言をしたのかと思ったが、どうやら彼女の怒りの原因は教会とジャンド…ハニーグールの金庫番に向けられているらしい。彼女の言った言葉を聞いて、タルテは悲しげに視線を落とす。


 ナナがタルテの頭を抱えて、慰めるように優しく撫でた。…タルテは、まだ心のどこかで教会のことを信じていたのだろう。その落ち込み具合は痛々しいぐらいだ。


「多分、彼女の言ったことは本当です。私にも知り合いの光魔法使いや闇魔法使いを紹介するように迫ってましたから…。多分、思うように人員が集まらなかったのでしょう…」


 セラさんはそう言って娼婦の方の言葉を肯定する。…人員が集まらなかったのは例の名簿が手に入らなかったからだろう。秘密の部屋の二人が、ジャンドの計画を狂わせたのだ。


「しかし…弱ったな」


「ええ。これならいつぞやの襲撃の件で叩いていたほうがまだ効果的でしたね」


 俺とメルルが頭に手を当てて悩む。何かしらの不正の証拠をと考えていたが、彼女達の言葉を信じる限り、決定的な違法行為をしていないこととなる。


 もちろん、セラさんに詐称した契約を持ちかけたことや、娼婦の方々を犯罪奴隷のように酷使していることは違法であるのだが、幾らでも言い逃れができるし、致命傷となるほどの犯罪ではない。名簿だって取引自体は違法ではないのだ。その名簿を犯罪行為に用いるつもりだったとしても、まだ犯行には及んでいない。


「…確かにこれは手の出しようがないね。犯罪予備軍だからといって死刑に走ったらこっちが犯罪者だよ」

 叩けば埃が出てくる可能性もあるが、今回の事件で犯罪を立証するのは難しい。…ここは一旦、俺らに捜査を依頼した方々に話を報告しよう。サフェーラ嬢と…。


「…猫に相談しよう」


 俺がそう呟くと、事情を知らないセラさんと娼婦の方から正気を疑うような目線が注がれた。


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