第211話 そこに愛はあるのか
◇そこに愛はあるのか◇
「…亜麻色の髪のショートカット。背は…俺より少し高いぐらい。なにより娼婦とは思えない筋肉質な体格…。彼女だな」
ハニーグールについて探るのであれば、ホドムズによって判明している彼らの本拠地に赴くのが適しているのだろうが、ホフマンの持ってきた情報により目的地が変更となった。俺の眼下で歓楽街を歩く彼女こそが、ホフマンからもたらされた情報にあった兵士科に在籍する光魔法使いの女性だ。
…そう思ってここまで来たのだが、どうやって彼女に接触しようか…。
俺は身を潜めている建物の屋根の上から、彼女のことを観察する。シンプルな…、悪く言えば田舎臭い格好の彼女は、派手な格好がデフォルトの歓楽街では逆に目立ってしまって見える。彼女は何をしに歓楽街まで来ているのだろうか…。
…この世界…はどうか分からないが、少なくともこの国の俺が過ごしてきた範囲では、貞操観念はそこまで高くない。以前に行った村のように夜這いの文化があったり、平民であれば婚前交渉など当たり前のようにある。純潔が求められるのは、結婚に家の結びつきを求められる貴族や大商人のような層の人間だけだ。
かといって完全に奔放という訳ではない。娼館に通うような男は女性から白い目で見られるし、娼婦の社会的地位も高くはない。だから、彼女が娼婦としてここに来ているのであれば、それは他人、…特に学院の生徒には知られたくは無いだろう。
「なぁ、どう思う?」
「ナニャァ…」
今回は隠密行動であるため、女性陣三人はお留守番だ。一人で寂しく張り込みかと思ったのだが、いつのまにか俺の横には一匹の猫が寄り添っていた。何処から湧いて出たのかは分からないが、茶トラの猫が俺と並んで歓楽街の風景を眺め始めたのだ。
反応から見ても、恐らく
そうこうしている間に、亜麻色の髪の彼女は路地裏に入り、一軒の娼館の裏口の扉を開けた。案の定、ハニーグールが営んでいるといわれている娼館だ。俺は猫の背中を軽く叩いてから立ち上がり、その娼館の屋根へと飛び移った。
「ニャン…」
「そうだよな。どうやって探ろうか。娼館だからなぁ…」
俺と共に娼館の屋根へと移動してきた茶トラの猫が俺に尋ねるように短く鳴く。窓が少なく小さく、閉塞的な造りである娼館は、進入するのは難しい。しかも、内部は恐らく嬌声で溢れていることだろうから盗み聞きも困難だ。
単に、俺が他人の喘ぎ声など聞きたくないということもあるが、雑音が多ければ多いほど、風を使った盗聴の障害となるのだ。…女装して内部に潜入するという手段もあるが、できれば遠慮したい。ちなみに客として潜入することはナナ達に禁止されている。
「どうするかな…。出勤嬢の似顔絵を描くと営業に行ってみるか?いや、それじゃぁ時間が掛かりすぎるな。ホドムズに頼んで、客として入ってもらうか?」
「ナン…!」
俺が悩んでいると、茶トラの猫が俺の太腿を叩く。どうかしたのかと茶トラの猫に目をやれば、猫は俺ではなく一点を見詰めるようにして動かない。猫の視線を辿れば、そこは娼館と併設された建物の渡り廊下。その渡り廊下の窓の向こうに、例の亜麻色の髪の彼女の姿があったのだ。
「あっちは…娼婦用の寮か?彼女はなんでそんなところに?」
引っ越してきたには彼女の荷物は少なかった。学院の寮は引き払っていないため、既にこちらに越して来ているとは考えずらい…。てっきり通いで娼館で働いていると思ったのだが…。
俺は彼女の後を追うようにそちらの建物へと足を進める。客を入れる娼館とは違い、寮は粗雑な造りだ。余分な雑音も無いため、あそこであればまだ探りやすいだろう。
渡り廊下の屋根から寮に移ると、俺は一つの窓に目を向ける。出勤の時間帯だからか、殆どの部屋は明かりが灯っていないが、俺の視線の先の窓には煌々と明かりが焚かれている。俺はその窓の中から聞こえる声に耳を澄ませながら、壁の出っ張りに足を乗せる。
「なんだよ。お前も来るつもりか?…猫でもここは厳しいだろ?懐に入ってろ」
俺は強力な負圧で壁に引っ付いているという状況だ。残念ながら猫でも立てるスペースはない。懐に猫を入れて、俺は這うようにして壁を伝って進む。
「ニャン…!」
目的の窓まで進むと、猫は懐から飛び出て窓枠へと移動した。そしてその宝石のような双眸で部屋の中をじっと見詰め始めた。俺も窓の隙間から風を進入させて中の様子を確認する。
「…ごめんなさい。私の魔法じゃ爛れの
「いいのよ。活腹してもらえるだけで大分楽になるわ…。セラちゃんのお陰で皆助かってるの」
…セラとは亜麻色の髪の彼女の名前だ。どうやら中で会話している者の一人は彼女らしい。…彼女はここに治療をしに来ている?なぜ彼女が?
「…治療といえば治療院だよな。なぜか治療院で治療せずに彼女に治療を任せている。…そしてこの娼館を営んでいるハニーグールは光魔法使いと闇魔法使いの名簿を入手しようとしていた…」
「ニャァ…」
もしかして、事件の動機はこの辺りにある?俺はどこぞの家政婦のように窓から僅かに顔を覗かせる。
部屋の中には五人ほどの若い女性が寝かされている。あまり質がいいとは言えない部屋にベッド。そして一目で病に蝕まれていると分かる彼女達の姿。…おそらくは性病だろう。
「ジャンドさんには…治療院の闇魔法使いに見せるように言ったのですが…」
「分かるよ。どうせ、知り合いの闇魔法使いを連れて来いって言われたのでしょ?だめよ。そうなったらその子も骨の髄までしゃぶられるわ」
「そうそう。セラちゃんはこのままいけば解放されるんでしょう?だったらこのままでいいわよ」
「…ごめんなさい…」
病人に囲まれた部屋の中で亜麻色の髪の彼女は、悲壮な顔をしてただただ俯いていた。遠くで響く歓楽街の歓声だけが、別世界の調べのように病室の中にも届いていた。
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