第208話 家に帰るまでが賭博

◇家に帰るまでが賭博◇


「ハルト様。申し訳ありません。話は後にして早々にここを発ちましょう」


 ちょび髭のおっさんとの勝負が終わり、観客が散ると共に俺の姿に気が付いたメルルが、俺の元にやってくると小声でそう呟いた。話題の中心であった美少女達が俺の関係者と思わなかったのだろう。遊び人のおっさんは目を見開いた後、無関係であることをアピールするようにさり気無く俺らから距離を開けた。


「…あのお方は?」


「自称…、勝負師?博徒?なんだったかな。まぁ遊び人のおっさんだ」


 訝しげに尋ねたメルルに俺はおっさんの肩書きを話す。真っ当とは言えないが、話してみた感じ、子供心を忘れられない無邪気なおっさんだ。多分、大人になっても少年誌を愛読して甥っ子と一緒にゲームを楽しむタイプだ。今世の両親の友達にも同じタイプがいたからよく分かる。


「あ…!ハルトさん…!見てください…!こんなに勝ちました…!」


「ハルトも戻ってきたんだ。メルルから帰ることは聞いた?ハルトの方は換金大丈夫?」


「…うん。俺は換金しなくても大丈夫だ」


 タルテが先ほどの勝負の成果を掲げ、ナナが悪気無くお前は勝てたのかと俺の心を抉ってくる。残念ながら俺と遊び人のおっさんのお金はあのディーラーに巻き上げられてしまったのだ。


 俺の台詞を聴いて、ナナが何かを察したのか優しげな顔をして俺に微笑む。俺は縋る思いでメルルの方を確認するが、メルルも微笑みながら胸元に戦果を掲げてみせる。…どうやら、負け越したのは俺だけらしい。


「それでは、さっさとお暇いたしましょうか。あまりゆっくりしていますと、しつこい殿方が戻ってきてしまうでしょうし」


 そう言ってメルルが俺らを先導する様にしてカジノの外に向かう。庶民にその門を開いているとはいえ、このカジノは富裕層をメインとした高級店だ。そのため、門の外には馬車乗り場が用意されており、そこには個人タクシーのように雇われの御者達が馬車を乗り入れている。


 メルルは先頭の馬車に手を上げて乗車の意志を示すと、御者にオルドダナ学院の近くの住所を告げて乗り入れた。


 馬車の扉が閉められ、ゆっくりとその車輪を前へと回転させる。貴族用の馬車ほどではないが、高級な造りの馬車だ。俺はカーテンを捲ると、窓から遠ざかっていくカジノの明かりを眺めながら、鞄の中から紙と銀筆を取り出し、忘れないうちにおっさん達のスケッチに取り掛かった。


「あ…。明かりを灯しますね…」


「ありがとうタルテ。…それで、このちょび髭のおっさんと何かあったのか?」


 俺がスケッチを始めたことで、気を利かしてタルテが仄かな光を灯してくれる。俺は礼を言うと、書き始めたおっさんのスケッチを光の下に晒しながら、三人に何があったのか尋ねた。


「あの…私がいけないのです…。あのおじさんとぶつかってしまいまして…」


 光の向こうで、タルテが申し訳無さそうに言葉をこぼす。…タルテとぶつかった?それで骨でも折ったのだろうか?身長は小さいが、パーティーの中ではタルテが一番フィジカルが強いからな…。


「それは違うよ。私は遠巻きから見てたけど、あれはわざとタルテちゃんに当たりに行ってたよ。それこそ、不注意でぶつかる程度ならタルテちゃんは避けれるでしょう?」


「そうでしょうね。その後の口ぶりから判断しましても、私達に難癖をつけるためにぶつかりに来たのでしょう?むしろあのような場では、ぶつかった場合、いかような理由があろうとも男性に非があるというものですわ」


「ハルト…!あの男なんて言ったと思う!?ぶつかったことを許す代わりに一晩付き合えって言い始めたんだよ!?」


 タルテを慰めるように、それでいてちょび髭のおっさんを卑下するように、ナナとメルルが声を荒げた。聞いた限りではあのおっさんが当たり屋のようなことを仕出かしたのだろう。ナンパにしては少々品が無いが、女性の心象を考慮しない類の下卑た男であれば有効な手立てなのだろう。


 タルテもちょび髭のおっさんの言い分が考えるに値しないことだとは分かっているようで、そこまでは落ち込んでいない。単に自分が騒動の原因となってナナとメルルを巻き込んだことが心苦しいのだろう。


「ということは、単に下心のあるおっさんに絡まれたってことか?それで賭け事で勝負?」


 目立たないように、かつ警戒されないように、タルテもナナもそこまで豪勢な格好ではない。気合を入れてきたメルルも貴族的な服装ではないので、単なる平民と思われて絡まれた可能性は高いだろう。


「はい…。断っても騒いで賭けで勝負しろって言ってきまして…」


「…それと、気にしすぎなのかもしれませんが、妙にタルテのことに固執していたように感じました…。一目惚れしたというには…ロマンスに理解がある殿方には思えませんしょう?」


 メルルが不穏なことを伝える。しかし、タルテは学院での人気はあるが、学院外では無名の存在だ。豊穣の一族ということがばれているのならタルテに執着するのもわかるが、一目見てばれる様な種族ではない。


「早々にカジノを後にしたのは出待ちを防ぐためだろ?どの道、一目惚れでも裏に思惑が有ったにしても、帰って正解かもな。遊び人のおっさんから聞いたがちょび髭のおっさんは目的の悪質な金貸しの一人だ」


 俺はこっちが仕入れた情報を彼女達と共有する。面子を潰され、しつこそうな捨て台詞を吐いていったあのおっさんが帰りがけに襲いに来るとは有りそうな話だ。その手配がなされる前にカジノを後にしたメルルの選択は間違ってはいないだろう。


「ええ。私達が知った金貸しの方をハルト様に見てもらってから帰りたかったのですが…、安全には変えられませんでしょう。下手に動いて目立つのも考え物ですし…」


「でも…!普段出入りしている所も聞けたので…!後で私達が案内できます…!」


 タルテがそう意気込んで両の拳を胸元で握り締める。多少、手間だがそれならば後から似顔絵を作成できるだろう。


「…三人とも。残念だけど、少々遅かったみたい。…馬車が道を外れたよ」


 窓から外の風景を確認したナナが、そう言いながら懐から短剣を取り出す。…いつもの波刃剣は、残念ながら持ち込んでいない。


 ナナの不穏な台詞を合図にしたかのように、馬車はまだ目的地に着いていないというのに停車をしてしまった。御者に面した窓のカーテンを即座に捲るが、既に御者台には何者の姿も無い。


「まさか…、既に御者にまで手を回していたとは…」


「金を賭けた次は、命賭けってことか…」


 メルルは悩ましげに頭に手を当てる。俺はスケッチをしまい込むと、即座に周囲に風を展開させた。


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