第205話 猫は見ている

◇猫は見ている◇


「まず、最初に注意しておきたいのだが、聞いたことは他言しないように。…余り公言はしたくないのだが、学院内にも関ったものがいるのだよ」


 ダイン教諭はゆっくりとミファリナとネモノが巻き込まれた事件の内容を俺らに語る。教会から金貸しに光魔法使いと闇魔法使いの名簿が渡ろうとしていたこと。彼女達がそれを盗み出し秘密の部屋に逃げ込んだこと。そして何故か名簿の中には教会が持っているはずのない学院の生徒を中心とした野良の光魔法使いと闇魔法使いの名簿が存在したこと。


「教会の方は、半ば解決してある。下手人はまだ捕らえていないが、学院長を通して名簿の管理を徹底するように促がしてある」


 そう言ってダイン教諭が指先で自身の巻き髭を得意げに弾いた。…俺としては一ヶ月掛けて教会に話を通しただけと言うのが信じられないのだが、そこは衛兵ではなく教師としての限界なのだろうか…。


「その金貸しというのはい未だ野放しなのですか?…名簿は証拠にはならないのでしょうが、別件でたたけば埃の出そうな者達に聞こえるのですが…」


 サフェーラ嬢がダイン教諭にそう尋ねる。…前世でも金貸しは余り評判の良い職業では無かったが、それは今世でも同じようだ。碌な対価も労働も無く、金を動かすだけで稼いでいるからイメージが悪いのだろうか…。


 かといって経済活動を成り立たせる上で金貸しの存在は欠かせない。なぜならば、会社や商会といったものは基本的に貯蓄を良しとせず、あればあるだけ使うほうが良いのだ。


 貯金しているお金とは富みを産まぬ死に金であり、無意味に蓄えるぐらいなら少しでも利益を出せるように使うべきなのだ。より多くの商品を作れるように素材を買い込んだり、事業の拡大のために人員を雇ったり…。蓄えるということは、その金を元手に得ることができたであろう利益の分、損をしているのだ。


 つまり、事業が上手くいっている商会であるほど、手持ちの金が無い。あればあるだけ投資してしまう。そうして手持ちの金を全て投資しても、まだ投資先がある。投資すれば確実に儲かるのに手持ちの金が無い。そうなってくると金貸しの出番だ。


 借金をしてもそれを上回る利益を得るために、あるいは新規事業の立ち上げなど纏まった金が必要になったときに。金貸しはそういった経済活動を支える上で欠かせない存在ではある。


 …だから、全ての金貸しが悪しき存在とは限らないのだが…。


「まぁ、王都で金貸しをしている時点で碌な存在じゃありませんね。貴族の支援を受けれないような者達を相手にした阿漕な商売なのでしょう」


 メルルが俺の思いに答えるようにそう呟いた。王都には貴族という大量のパトロンがいる。そのため経済活動が活発な王都でありながら、金貸しの市場は極端に狭いのだ。


「ええその通り。王都のゴミと言うべき悪辣な金貸し。その者を捕らえれば解決するのだろうが、残念なことに彼女達はその者の名前を知らないようでね。…ネモノ嬢が書いた似顔絵が唯一の手掛かりであるのだが…」


 ダイン教諭が俺らに金貸しの人相図を見せる。…ネモノには絵の才能があるのだろう。ピカソという天才が確立したキュビズムという技法。一つの視点から見た光景を絵にするのではなく、複数の視点からみた光景を平面に書き起こすという独特な技法が彼女の似顔絵には用いられていた。


「はぇ…不思議な顔をした人ですね…」


「…ネモノさんは随分、独特な感性をしているみたいですね…。ある意味では味のある絵だとは思いますが…」


「ナナ嬢はこの似顔絵で犯人を追えるのかね?残念ながら私には芸術的な感性が無いようで、分かる情報といえば目と鼻と口がついていることぐらいのものだ」


 辟易としたようにダイン教授が呟く。余りにも役に立たないであろう似顔絵にナナやメルル、タルテにサフェーラ嬢も乾いた笑いを浮かべている。


「そもそも妖精猫アルヴィナの支持は無茶なものが多いのだ。こんな似顔絵で人を探せると思っているあたり、所詮は猫だと…」


「ナーオ…」


 ダイン教授の愚痴を遮るように、窓の外の黒猫が低く深い声で鳴いた。ギクリとしてダイン教諭がその猫に顔を向けると、黒猫は苛立つようにタシタシと尻尾で地面を叩いている。


「んん…!この話はこれまでだな。猫の指示に従って貴方たちに話を伝えたが、捜査を引き渡せとは指示されておらん。くれぐれも余計な行動をするのは控えるように…!」


 黒猫の反応を見て、俺らに一方的に話を言いつけると、ダイン教諭は慌てるようにして席を立つ。もう少し質疑応答をしたかったのだが、こちらが声を掛ける間もなくダイン教諭は去っていってしまった。…それほど猫の機嫌を損なうことが恐ろしいのだろうか…。


「ハルトの言う通り、イブキちゃんとハルトに殆ど目を合わせなかったね」


 ナナがダイン教諭が去ったほうを見ながらそう呟いた。彼女の言うとおり、俺とイブキは先ほどまでの話には、ほぼほぼ傍聴者のようなものであったのだ。


「…むしろ俺からすれば、あの教師が猫の信頼を得ていることや、率先して今回の件にあたっていることが不思議だったな」


「そうね。私も同感だわ。あの教師の魔術の授業なんて酷いものよ?…まぁ猫に関しては信頼を得ていると言うより、良いように使われているように見えたけど…」


 今まで黙っていたイブキが漸く口を開いた。今まで会話に参加していなかったため、イブキは目の前のティースタンドからお菓子を駆逐してしまっている。


「あの先生は、魔法属性への偏見と種族差別が無ければ良い教師なのですが…」


「それって、教師に一番あっては駄目なことでは…?」


 サフェーラ嬢が言うには、平地人の生徒には非常に親身に教える人気の教師らしい。また、差別と言っても不当に評価を低くしたりすることは無いため、他の生徒からの人気も相まって中々偏見が問題になることが少ないのだとか…。


 寧ろ、前世の教師とは違って、研究機関の色が強いオルドダナ学院には教師の人間性はさほど重要視されないので、問題児といえる教師は他にも多くいるのだとか…。


「それで、どうする?だいぶ重要な情報を仕入れることができた訳だけど…。猫ちゃんは何を求めているのかな?」


 そう言ってナナは目を閉じて窓辺に寝そべる黒猫をちらりと見詰めた。猫は答えるように、片目だけを開けて、俺らを横目で窺った。


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