第202話 ネモノの瞳に映るもの
◇ネモノの瞳に映るもの◇
「ミファリナ…!急いで…!詰め所は遠いから、まずは学院に逃げよう…!!」
夜霧によって濡れた王都の石畳が、星星の光を反射して怪しく光る。大通りならまだしも、私達の駆ける路地裏は既に寝静まっており、私達の足音だけが反響している。
本来であれば、こんな人気のない路地など通ることはない。しかし、今は一刻も早く学院まで逃げ帰るのが先決だ。私がコレを盗み出したことはもう発覚してしまっているだろう。
「…なんでこんなことになっちゃったのかなぁ…」
私はミファリナに聞こえないように小声で愚痴をこぼした。本当なら既に治療院の仕事を終えて、学院にとっくに帰っている時間帯だ。
私のルーティーンを崩したのは、治療院に併設されている教会の中に、見知った人物が入っていくのを目撃したからだ。
見知ったといっても、親しい知人ではない。むしろその逆。私が忌み嫌う金貸しを生業とする人間の一人だ。彼は決して信心深い人間ではない。
なにか良からぬことを企んでいるのではないか…。そう思ってこっそりと跡を付けたのが、正解でもあり間違いでもあった。
その男は教会の人間のもとを訪れていたため、私は隠れるようにして二人の話に耳を澄まし、あまりの内容に憤慨を覚えると同時に戦慄した。
彼らが行っていたのは裏取引。それが、金銭や宝飾品の類であればまだ聞いていないフリもできたであろうが、教会の人間が取引のために用意していたのは治療師の名簿だ。そこにはもちろん、私達のことも記載されている。
ようするに、教会は光魔法使いと闇魔法使いという宝飾品の情報を金貸しに売り渡そうとしたのだ。
そこからは私は即座に行動に移した。下男に頼み、取引をしている教会の人間を呼び出すと、私は闇を体に纏って秘密裏にその名簿を盗み出したのだ。その名簿の束の中には、治療師などのサインが入った教会との契約書なども混じっていた。これが金貸しなどの手に渡れば、いかようにも悪用できることだろう。
我ながら、よく上手く盗み出せたと思う。唯一の失敗は、ミファリナが私のことを呼びに教会まで来てしまったことだろう。彼女が私のことを探していたのは複数人の教会の人間に目撃された。彼女を巻き込んでしまったと判断した私は、すぐさま手を取り教会から逃げ出したのだ。
「ネモノちゃん…。大丈夫?もう学院につくよ?」
「ごめんね…。学院についたら詳しく話すよ」
ミファリナは状況も分からずに、私に手を引かれるままここまで逃げて来たのだが、私の顔色を見てことの深刻さを察してくれているようだ。
「はぁ、はぁ…。一先ずは…大丈夫かな。…私が盗んだことは、直ぐにばれる筈。その前にコレをどうにかしないと…」
学院の門を潜った私は、周囲を確認しながら荒い息を落ち着かせる。教会から学院までは馬を使えば直ぐにでも来れる距離だ。私達は、完全に息を整える前に寮に向かって歩き始める。
その間に、私は自分が教会で何をしてきたかを彼女に打ち明けた。王都の金貸しの悪辣さはミファリナも良く知っている。彼女は私の話を聞いて、そのおっとりとした顔を不安そうに歪めた。
「それで、どうするつもり?先生に相談する?」
「うん。…そうだね。どうしよっか…」
勢いで盗んできてしまったが、コレだけでは証拠にならない。むしろ私達が名簿泥棒として扱われるだろう。もちろん、盗んだことが間違っていたとは思わない。あそこで邪魔できなければ、名簿は金貸し共の手に渡っていたことだろう。
とにもかくにもまずは安全地帯に逃げる必要があるだろう。学院の中でも寮は最も警備の厳重な区画だ。金貸しや教会がそんなとこに忍び込めるような人間を雇えるとは思えない。
私は周囲を警戒しながら寮までの道を急ぐ。今日に限って学院の中も妙に人通りが少ない。まるで慣れ親しんだ学院までもが姿を変えてしまったように思えて、私は途端に不安な想いに押し潰されそうになる。
「…ネコちゃん。」
寮を視界に捉えたあたりで、ミファリナが唐突にそう呟いて、足を止めた。見れば、宵闇の中に金色の双眸が浮かんでいる。金の瞳に黒い体の学院に住まう野良猫の一匹だ。その黒猫が私達の向かう先で出迎えるように佇んでいる。
「ミファリナ…、今は猫なんて構ってらんないよ」
「…大丈夫。そうだよ。困ったときはネコちゃんが導いてくれる…」
私の声が聞こえているのかいないのか、ミファリナはブツブツとそう呟いた。私はどうしたのかとミファリナの顔を覗きこむと、彼女はあろうことかいきなり走り出したのだ。
「ちょ…!ちょっと!ミファリナ!どうしたの!?」
「ネモノちゃん!ネコちゃんだよ!いま、ここにネコちゃんが居るってことはお招きがあったんだよ!」
目立たぬようにしていたのに、余りのことに私は思わず叫んでしまう。ミファリナは佇んでいた黒猫を追いかけ始める。黒猫は逃げるでもなく、優雅な足取りで寮に向かって歩き始めた。
黒猫を追いかけるミファリナを私が追いかける。黒猫は走るわけでも無く、ただ歩いているだけなのに、何故か私達との距離が縮まらない。それこそ、ミファリナが呟いていたようにまるで私達を導いているように思える。
「ちょっと、待ってよミファリナ!何処に向かうの!」
「大丈夫!そんな気がするの!こっちに正しい道があるよ!」
「道って、そっちは行き止まりよ!?」
何を思ったのか、ミファリナは寮の入り口を通り過ぎて、黒猫と共に中庭へと足を踏み入れた。袋小路という場所に不安がよぎり、私は再度周囲を確認しながら彼女を追って中庭へと踏み入れた。
ミファリナは天然、それでいて強情な性格だ。こうやって意味不明な理由で私を振り回すことは今までに何回もあったが、それをこの状況でも発揮して欲しくはなかった。
「ほら、こっちこっち!見て!ネコちゃんが導いてくれたよ!」
ミファリナは中にはの奥の壁で騒いでいた。しかし、私の視線は彼女ではなく、その真横の扉に釘付けになる。
銀の縁取りに猫の意匠が施された木の扉。私の記憶が確かなら、女子寮の中庭にはそんな扉は存在していない。唯一の心当たりは、女子生徒の間で受け継がれるオルドダナ学院の不思議な噂。
「これって…、秘密の部屋…?」
ミファリナの下にたどり着いた私は、震える手をその扉に伸ばす。隣ではミファリナが笑顔で私のことを見詰めている。
伸ばした手の指先が、猫の扉のドアノブに触れると、まるで抵抗を覚える事無く扉が開いた。私の足元を先ほどの黒猫が通り過ぎ、扉の向こうへと消えていった。そして、私達を促がすかのように部屋の中で小さく鳴いた。
私はミファリナと顔を見合すと、ゆっくりと扉の中へへと足を踏み入れた。
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