第190話 とある街のスラムの中で

◇とある街のスラムの中で◇


「具合の方はどうかしら?声ぐらいは出るようになったかしら?」


 土埃の舞う納屋のような粗末な家屋を訪れたのはダークエルフの女、ヴェリメラだ。彼女は入り口に掛けられた扉代わりの布を捲り、家屋の中のベッドに横たわる人物に声を掛ける。


「あが…、まらしびれてる…がな…」


 木枠に藁を敷き詰めただけの粗雑なベッドに横になっているのはヴェリメラの毒に犯されていたカクタスだ。皮膚は茹で上がったように赤く変色し、特に目蓋や唇は人相が変わるほど晴れ上がっている。


 ヴェリメラはベッドの傍らの椅子の上の土埃を手で軽く払うと、その椅子の上に腰掛けてサイドテーブルの上の汚れた陶器のカップを手に取る。


 ヴェリメラはカップを傾けると、その上に手をかざす。すると、指先から一滴二滴と毒々しい雫が滴り落ちる。


「ここらはまだだけど、王都のほうでは私達が指名手配されているみたいよ。ふふふ、まぁ貴方はその顔じゃ問題ないのでしょうけど…」


 ヴェリメラ達はあの後、カクタスに背負われて夜通し王都を離れるように街道を駆け抜けたのだ。そのお陰もあって手配の包囲網を抜け出すことができた。


 その代償としてカクタスは現在中毒症状に苛まれているのだが、命が助かっただけ儲けものだろう。ヴェリメラはカップに溜まった液体をカクタスの口元へと運ぶ。彼女の分泌したそれは、副作用に苛まれるカクタスのための解毒薬だ。


「あの依頼はもう駄目ね。もとから信用できない依頼主だったし、前金だけ頂ければ十分でしょう」


「ああ…、あんいに…うけたのは…しっぱいだっだな…」


 王都の水源に毒を混入するという依頼は、ヴェリメラとカクタスが計画したものではない。ヴェリメラの毒が必要だということで、依頼の受注を強固に求められたのだ。


 聞くところによると、本来は自分達で毒を用意していたのだが、それを鼠の大群に襲われて損失してしまったらしい。…余りにも馬鹿らしい理由。それが本当なら諦めるべきかとも思うのだが、雇われ傭兵にはその辺は関係ない。


 なにより単なる人員を補充するための依頼ではなく、ヴェリメラの毒という唯一無二の能力を求められたため、断りづらかったこともある。


 結局は作戦を看破されて作戦は失敗してしまったが、これは依頼主の不手際だ。勿論、失敗の責任を擦り付けられ逆恨みされる可能性もあるので、あの場から逃げて身を暗ましたのは正しい判断であろう。


 暫くはここでカクタスの回復を待ち、治った後は東方に向かい国を出よう。鉄火の多い大陸中央付近は、金払いは渋いものの依頼の数には事欠かない。そこらでほとぼりが冷めるのを待ってから帰ってこよう。


 …帰ってくれば、またあの男の子に会えるかもしれない。ヴェリメラは柄にも無く、胸に期待を抱いて鼻歌を歌う。


「しっぱいしたってのに…ずいぶん…、うれじぞうだ…な…」


「あら、やっぱりわかっちゃう…?あなたも見たでしょ?あの男の子」


 ヴェリメラはここから東南にある小さな小国の生まれだ。ここよりも夏が長く茹だるような暑さの続く国だが、植生には恵まれており様々な薬草や果実の取れる豊かな国だ。


 彼女はその国の貴族の子女として生を受ける。ダークエルフの一族として、その小国内でも歴史のある一家の令嬢だ。金銭に困ることに無く、裕福な家庭で不自由なく育ってきた。


 だが、その生活に翳りが見えたのはデビュタントを直前に控えた歳の頃。彼女は金目当ての犯罪組織に誘拐されることとなったのだ。囚われた彼女の見張りに着いたのは、力ばかりで頭の足らぬ大男。端から無事に帰すつもりが無かったのか、或いは身代金の要求が上手くいかなかった腹いせなのか、その大男の醜い欲望は彼女に向かうこととなった。


 大男はその強靭な腕でヴェリメラの洋服を破り、その柔肌に手を伸ばした。まだ、男の汚い面を知らぬ年頃のヴェリメラは、暴れ周り抵抗を示したが、容易く男に押さえつけられてしまう。饐えた臭いの息がヴェリメラの鼻に掛かり、彼女の涙が零れ落ちる。


 しかし、男の狼藉はそこまでであった。恐怖心が秘された力を呼び覚ましたのか、あるいは運命の悪戯か、ヴェリメラはその時に毒魔法に目覚めたのだ。ヴェリメラの毒は彼女を捕らえていた犯罪組織の拠点中に広まり、瞬く間にその牙を向いたのだ。


 かくして彼女は犯罪組織から帰還することとなった。だが、事件は無事解決したということにはならなかった。いくら未遂で終わったといえども、誘拐され監禁されたとなれば、彼女にも醜聞が着いて回る。


 そして何よりもの問題が、彼女が目覚めたのが毒魔法ということだ。貴重な固有魔法使いということで、碌な物ではないが醜聞の付き纏う彼女にも縁談の声が掛かることはあった。しかし、彼女に触れられる男がいなかったのだ。


 無意識に彼女は体液を毒液へと変換している。それこそ触れる程度で体に痺れを残すのだ。接吻や性行為をしようものなら、確実にその命を蝕むこととなるだろう。


 彼女の家は古い家であったがため、結婚が望めぬ子女を見捨てるのは早かった。優しかった父母は、まるで忌むべきものを見詰めるように彼女を見始め、結局は家を追い出されることとなったのだ。


 家を追い出されたことが彼女の地獄の始まりであった。箱入りであった彼女は禄に金を稼ぐこともできず、花を売ろうにもその体質がそれを許さない。ゴミを漁り、餓えに苛まれ、彼女を襲おうとした男を意志に関係なく次々と殺していく。


 そんな彼女を救ったのが兄貴分のカクタスだ。カクタスがヴェリメラを助けたのは善意ではなく、彼女の魔法に目を付けただけであるが、それでも彼女は餓えることはなくなった。


 …カクタスが導いた先が正規のギルドであれば文句も無いのだが、残念ながら彼が生業としていたのは、違法な案件すら受けるギルド管轄外の傭兵だ。


 だが、餓死の恐怖に苛まれながら、人の汚いところに触れてきた彼女にはある意味向いていたのかもしれない。


 そうして何年も続けていた違法な傭兵家業だが、ここに来て転機が訪れた。そのことを思うと依頼を仕損じた後だというのに胸が高鳴ってしまう。


「まさか、あんな可愛い男の子が、毒無効を持っているなんてね。…ぜったいまた会いに行かなくちゃ…」


「おい…、どぐがもれてる…そういうのは…、ひとりでいるときにしろ…」


 ヴェリメラはそう楽しげに呟き、カクタスは嫌なものを見たかのように目を逸らした。


 ヴェリメラは家を追い出されて過ごすうちに、まともな恋愛をすることを諦めていた。愛する人と身体を重ねれば確実に相手を死に至らしてしまう。小さき頃の結婚して子を育むという夢は、毒魔法に目覚めた時点で破れていたのだ。


 …巨人族が毒に対して強いことは知っていたが、巨人族の男は見上げるほどの大男だ。例の誘拐犯を髣髴とさせるその風貌は、彼女のトラウマを刺激する要素であるため、端から異性の対象とは考えていなかった。


 しかし、そんな彼女の前に奇跡のような存在が現れた。毒が無効化されるほどの濃い巨人族の血を引いていながら、通常の平地人程度…、むしろ小柄で幼い風貌の男の子。ヴェリメラの用いる中で最も毒性の高い魔法の一つである口移しでの毒液の摂取を受けても平然としている男の子。


 ヴェリメラはそんな男の子のことを思いながら、火照る体を慰めるかのように自身で抱きしめた。


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