第188話 溢れた愛は毒となる

◇溢れた愛は毒となる◇


「えええぇぇぇ…。今のは不可抗力だよぉ…」


 俺の背後に味方が駆けつけてくれたと思ったら、卑劣な敵の魔法により敵対勢力へと変えられてしまった。後門の狼である。いや、思いのほかダークエルフの女性が綺麗で驚きはしたけどね…。


「大丈夫。細かいことは後でちゃんと話そ?今は戦闘中だしね」


 作り物のような笑顔を浮かべたナナがそう言って剣を構える。…ですから、俺に非はないと思うのですが…。


 不穏な登場シーンであったが、彼女達も黒ずくめの二人組みを取り囲むように展開する。ゆっくりと踏み出された足が砂利と石畳を擦りつけ、緊迫した空気を刺激するように音を鳴らす。


「あなた…本当に巨人族…?巨人族ってオーガみたいな奴ばかりじゃ…」


 未だに動揺しているダークエルフの女が、太腿の傷口に手を当てながらそう呟いた。


「もう半分が、ハーフリングだからな。二つ合わさってちょうどいい感じなんだよ」


 別に隠すようなことではないため、俺は吐き捨てるようにそう言葉を放つ。…人数的にはこちらが有利になったが、彼女の魔法…、毒を生成する魔法が未知数であるため不用意に攻めるには情報が足りない。


 タルテも木魔法で毒草を生成できるが、ダークエルフの女の魔法は毛色が違う。おそらくは固有魔法ユニークマジックといわれる特殊な魔法なのだろう。


「なるほどな。お前も俺と同じ雑種って訳か…」


 ダークエルフの女に向かっていった言葉であったが、反応したのは男の方だ。男は雑種の剣バスタードソードを撫でながらこちらに顔を向け、フードの下の顔に光が当たる。そこで露になったのは、男の特殊な風貌。黒いうねるような髪に細長い面立ち。ガナム帝国に有り勝ちな風貌だが、赤褐色の肌がその出自が純血のガナム帝国人ではないと教えてくれる。


「おい。ヴェリメラ。アレをやってくれ。ここは一旦退くぞ。ついでに俺の処置もな」


「…あら、いいのかしら。両方やるとなると反動が辛いわよ?」


 勝ち筋がほぼ存在しないと判断したのだろう。男は入り口に一瞬視線を向けるとダークエルフの女に指示をだす。それを聞いたダークエルフの女は、今まで手で押さえていた傷口から手を離した。


 圧迫止血していた手が離されたため、傷口からはまた多量の血が溢れ出すが、その血が彼女の足を伝わる内に目に見えて変質し始める。


「折角あなたに着けて貰った傷。使わせてもらうわねぇ。…溢れた愛は毒となるフレッシュ アンド ブラッド


「おい…!クソ!三人とも下がれ!」


 俺はナナとメルル、タルテを急いで後ろに下がらせる。肉眼で見れば、ダークエルフの女から滴る血は不自然に消えていっているように見える。しかし、俺には彼女の血を中心として風が押し出されるのを感じたのだ。


 血が揮発し、空気へと変わっていっている。そしてその空気は俺の感覚を押し出すように反発を起している。俺が干渉できない空気ということは、他人の魔法で生成された空気ということだ。


「ハルト様…。これは、なにが…」


「さっきの溶解液みたいなものだ。目には見えないが、血から次々に毒が生成されていっている…!」


 毒魔法は恐らく水魔法の系統に近しいのだろう。そのため、メルルは目の前で何かしらの魔法が使われているのを感じ取ったようだ。俺は風壁を張って毒の流入を防いだあと、室内を風で換気するが、それでも血から次々と毒の空気が湧き上がっている。


 俺の言葉を聞いた後、三人の視線はダークエルフの女ではなく、隣の男に注がれる。彼はこの無差別な魔法に巻き込まれており、今も毒を吸い込んでいる。


 一瞬、解毒薬を事前に摂取しているのかと思ったが、男は剣を杖代わりにして蹲ると咳き込みながら細かく痙攣し始めた。彼女の魔法は、確実に彼も巻き込んでいる。


『おいおい、いいのかよ。お仲間を巻き込んでるぜ?』


『あら、心配してくれてるの?でもいいのよ。これは単なる時間稼ぎ』


 俺はわざわざ風壁の一部を操って彼女に声を届ける。しかし、ダークエルフの女は余裕そうな笑みを俺らに見せると、尖った爪を蹲る男の首下に突き刺した。


 ダークエルフの女が血を揮発性の毒へと変換する魔法を停止させる。しかし、既に魔法を施した血は魔法を停止した後でも揮発し続ける。


 流した血がすべて揮発されるまでの間。その僅かな時間、俺らを足止めすることで彼女は次の魔法を行使する。


『…キルケーの一皿ヴェノム キュケオーン


『ォァァァアアアアアアア!!!』


 ダークエルフの女が小さくそう呟くと何かが指先から男に流し込まれる。指が突き刺さった首元の血管が、はち切れるのではないかと思えるほど膨張し、男は叫び声を上げて大きく痙攣する。口端には泡が浮かび、目が血走って忙しなく動き回る。


「…ドーピング…」


 周囲に撒いた毒の空気は、男にこの魔法を施すための時間稼ぎということか…。ゆっくりと立ち上がった男は、筋肉が膨張し一回りも大きくなった用に見える。ここまで大きくなるとは…、果たして牛乳何本分の効果であろうか…。


「ァァアアああ…頭に響く…最悪の気分だ…」


「しっかり正気は保ちなさいよ。さっき吸った毒は蓄積しているんだからね。もって十分ってところかしら…」


 男はまるで二日酔いに苛まれているかのように後頭部に手を当てて首を捻る。それと同時に、ダークエルフの女が施した魔法の効果が消え失せ、毒の空気が部屋の中から一掃される。


「逃げるぞ!一斉に掛かれ!」


 俺がそう叫ぶのと、男がダークエルフの女を担ぎ上げるのは同時であった。この建物に突撃した時と同じように、奴のバスターソードと俺のマチェットが火花を上げる。


 すぐさまナナも切りかかるが、男は俺ごとその剣を押し切って見せた。


「嘘…!?片手でこの力…!?」


「こっちには…通しません…!」


 俺とナナを往なして建物の入り口へと向かった男は、素早く近づく白い影によって真横に吹き飛ばされる。タルテの体当たりのような打撃が男の身体を捉えたのだ。だが、それを予期していたのか、担がれていたダークエルフの女が魔法を行使する。


「脆くするわ!そのままそっちに進みなさい!」


 壁に向かって毒液を当てると、白い煙を上げながら壁が溶解し始める。そしてその壁目掛けて男は速度を緩める事無く突っ込んだ。


「ぶち抜くぜぇえ!!」


「マジかよ…!?お行儀悪すぎるだろ!」


 まるでクッキーのように壁を崩して、そのまま男は建物の外に出る。俺たちはそれを追おうとするが、牽制するように毒液の水球が放たれる。


「血魔法で拘束しますわ!二人とも伏せてください!」


 接近を妨害するように放たれる毒液を避けながら、メルルが対抗するように遠距離攻撃を仕掛ける。しかし、男は足元に転がる人間…、俺らが拘束して転がしていた見張りを剣で突き刺すと、器用にそいつを掲げて盾とした。


「痛でぇッ!あああああ!何!なんでぇ!?」


 痛みで目を覚ました見張りが、自身の肩口から突き出た剣の先を見て驚愕と共に叫ぶ。…メルルの魔法を見てから即座に見張りの男を盾にして見せた。余りにも判断が早い。もしかしたらドーピングは思考速度も上昇しているのかもしれない。


「それじゃあ、退かせてもらうわね。…君はまた今度会いに行くかもね」


「そら!コイツはくれてやる!」


 ダークエルフの女はウィンクと共に毒液の水球を。男は剣に突き刺さった見張りを俺ら目掛けて投げつけた。


「おい!待て!お前ら!」


 攻撃を避け、即座に後を追って建物の外に飛び出るが、既に二人は暗闇の向こうに消え去っている。風でその位置を探ってみるが、驚異的な速度で俺らから離れて行くのを感じ取れた。


「ハルト様…。追うのは得策ではありませんわ…。このままでは水源に影響が出ます…」


 背後の惨状を見ながら、メルルがそう呟いた。毒液を連射されたせいで、建物の床がそこらじゅう融解しかかっている。そして一人の見張りは大量の出血をしている。ほおって置けば死んでしまうだろう。…情報を持っているかは解からないが、できれば生かしておきたい。


「…ナナとタルテはその見張りを治療してやってくれ。メルルは俺と一緒に融解液の掃除だな…」


 第一目標の水源の防衛が優先だ。俺は苦い顔をしながら後始末のためにゆっくりと踵を返した。


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