第185話 妖精の小路

◇妖精の小路◇


「時間が惜しい…。森を突っ切っていくぞ…!」


 勝手な行動をする俺らに、イブキが文句の声を飛ばしてくるが、俺らはそれを無視して森の中に足を進める。土蟲の騒ぎを利用して水源警備の人員を引き剥がすことが目的であるのなら、敵の数は少数である可能性が高い。


 寄って来る土蟲を蹴り飛ばしながら森の中に入っていく。騎士たちがこの野営地までやって来た林道ではなく、直線的に水源へと向かう。水源のはっきりとした場所は把握してはいないが、大体の位置は王都から伸びる水道橋が教えてくれる。


「周りを照らしますね…!ささやかな光ですので、遠目に見えても解からないはずです…!」


 そう言ってタルテが星明りの魔法を発動する。満月の夜であっても森の中はだいぶ暗い。俺らの頭上には薄い水色の光球が浮かび、その光が暗闇を押しのけ森の輪郭を露にする。


 俺らは森の中とは思えないほどの速度で進んで行く。夜は獣の時間であるが、土蟲の大量発生と言うこともあって、魔物に出会うことは無い。異常に静かな森の中を俺らの足音だけが鳴り響く。


「ねぇ。今回の騒動の目的が…水源の汚染の可能性、どのくらいあると思う?」


 静寂に耐え切れなくなったようにナナがそう呟いた。


「私としては…、丁度半々って感じですわね。前に危険を冒してまで生徒を襲う価値がないと言いましたが、水源の汚染は…人によっては危険を冒してまでする価値がありますわ…」


「俺としても取り越し苦労を願っているよ。ただ、今は最悪を想定して動くべきだ」


 未だに野営地の安全が完全に確立されたわけではないが、何者かの暗躍を疑っているイブキとペガルダ。そして戦力となるであろう騎士団がいるのであれば、俺らが出張る必要は無い。


 騎士団が水源を離れたのが野営地で信号段が打ちあがった直後であるのならば、大分時間が経ってしまっている。正直言って既に水源が汚染されている可能性があるが、急げば汚染されることを防ぎ、犯人を取り押さえることも可能かもしれない。


 再び俺らは無言となり、森の中を突き進むが気が付けば、周囲に妙な気配を感じ取る。風では解からないが見られているような感覚。


「んん…?」


「あの…なにか…感じません…?」


 何かがおかしいと周囲を見渡す。タルテも違和感に気が付いたのかそう呟いたが、周囲に人間や魔物の姿は無い。…しかし、直ぐに違和感の正体はその姿を俺らの前に現した。


「え?これって、タルテちゃんの魔法じゃないよね?」


 タルテが辺りを照らすために行使した光魔法。その魔法の光球とは別に、似たような薄い水色の光球が俺らの周りを飛びまわっている。


『風の子。風の子。風の子はあれを止める気か?』


 その光の玉が喋ったのか、何処からかそんな声が届く。その間にも光の球は何処から湧いて出たのか数を増していく。


『森に仇成す者いる。水汚す者。あれ止めるか?』


『人間さん。止めてくれるよね?毒を撒こうとしてるのも人間なんだよ?』


『アレ、森が困る。獣死ぬ。木々も枯れる』


 囁くように、叫ぶように、十重二十重と声が重なっていく。それに伴い蛍の大群のように光球が増していく。


「これって…精霊…?それに妖精も…?水を汚すって…ハルトの予想が当たったってことかな?」


「ああ、止めるつもりだよ。だから早く行かせてくれ!」


 光の群れを掻き分けるようにして俺らは前に進む。それでも俺らに纏わりつくように精霊たちは着いて来る。まだ精霊も妖精も幼いようだが、それでもこの数は驚きだ。湧水の森は単なる水の豊富な森としか思っていなかったが、どうやら随分と力を持つ土地なのかもしれない。


『急ぐ。急ぐか。ならば使うべき。案内。導き。細き道』


『ああ、あれね。距離は変わらないけど早く行けるよぉ』


『時の歩み遅き道。不届き者の近く行く』


 その言葉と共に、森がざわめいた。強風が吹いたかのように木々がざわめき、周囲から水が集まってくる。そして俺らの進行方向に鏡のような澄んだ水面が広がっていく。


 その異常事態に俺らは足を止めるが、それを見越したのか瞬間的に広がった水面は容易く俺らを飲み込んだ。


『猛き疾き風纏う子。天照す焔の子。連れて行く』

『月夜数える血潮の子。花咲き岩長い大地の子。光の導きへ』


『人間さん。何があってもだからねぇ』


 そんな気の抜けた言葉と共に、俺らの視界は反転し、頭に衝撃を受けたときのような瞬間的な眩暈にたまらず多々良を踏む。まるで精霊や妖精が幻であったかのように森は急に静かになり、焦った俺らの荒い息だけが耳に届く。


 森は直前の光景と変わらないが、進行方向は異様に暗く、前方だけが月の明かりに煌々と照らされている。


「み、みなさん…!絶対…!何があっても絶対に振り向かないで下さい…!」


 焦ったようなタルテの声が聞こえる。口ぶりからして、彼女もここが何処だか感ずいているのだろう。


「いいか!暗がりに目を凝らすな!見えるとこだけを見ろ!」


 俺は似たような経験をしたことがある。始まりの地に向かったとき、妖精の環フェアリーサークルを使用したときのような感覚。…この現象は父さんに聞いたことがある。父さんはそれこそ自主的に使うこともあったらしい。


「ね、ねぇ…!ハルトとタルテちゃんにはこれが何か解かるの!?」


だ…!…俺の背中だけを見て着いて来てくれ」


「これが、妖精の小路ですか…。重要なのは、自分の名前を忘れないことでしたっけ?」


 それは世界の裏側に存在する時も距離もあやふやな世界。その中でも比較的まともな領域が妖精の小路だ。言ってしまえば妖精や精霊が作り出した獣道といったとこだろう。


 妖精の小路に迷い込んだ者の話は意外にも多い。森や山…、時には街中にすら出現する小さな異世界。ここは朧気な世界であるため、過ごしているうちに自分自身も世界に解けていってしまうため、何時も異常に自己認識を強める必要がある。


「…進もう。長居できる場所ではない。伝承が確かなら外界とは時の流れが違うはずだ」


「このように不思議な所…、本当は見て回りたいのですが…」


「だ、駄目ですよ…!帰れなくなりますよ…!」


 中々経験することができない現象にメルルが興味深げに呟くが、すぐさまタルテから待ったが掛かる。豊穣の一族である彼女は、人よりも精霊や妖精が引き起こす現象に見地があるのだろう。


 俺らはゆっくりと、でも確実に前に進む。空には月も星も出ていないのに前方だけが不思議と照らし出されている。体感時間が狂っているせいか、どれほどの間進んだかいまいちはっきりとしない。一日歩き通した気もするが、数分しか経っていないようにも感じる。


 そうして進んでいると、前方に小さな池が現れた。俺らがここに吸い込まれたときのような鏡のような水面の池。頭上には月が出ていないのに、その池にはしっかりと月が映し出されている。


「ハルト…ここが…」


「ああ、出口で間違いないだろう。…光が導きのはずだ。池の向こうは暗く、池の中だけに月が輝いている」


 そう言って俺は池の中へと足を踏み入れた。水に入ったはずなのに、水の感触は感じない。まるで空気と勘違いしそうなほど自然に水が俺を取り囲み、再び軽い眩暈が俺を襲った。


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