第182話 もっと危ない湧水の森

◇もっと危ない湧水の森◇


「誰かぁ!助けッ…!鼻が!俺の鼻がぁああぁあああああ!」


 兵士科の生徒の顔に土蟲が取り付いてその小さくも鋭い牙で鼻を咀嚼している。その様子は某宇宙生命体の移動性生殖器のようなおぞましさがある。…見ようによってはコメディに有りがちな鼻をザリガニに摘まれるシーンにも見えるが、余りふざけてはいられない。


 変異した土蟲はその牙にほんの僅かながら麻痺毒を持つ。一体に噛まれた程度では特に問題は無いが、幾度も噛まれると次第に体に麻痺が回り、動けなくなったところを集団に集られて体の端から食べられていくのだ。痛覚も麻痺するのが救いか、それとも痛みで気絶できない苦しみなのかは分からない。


「何やってんだよ…。おい。あんま動くんじゃねぇ。じっとしてろ。鼻が捥げるぞ…」


 呆れたような声を出しながらネイヴィルスがその兵士科の生徒に食いついている土蟲を掴むと、引き剥がすのではなく、握力によって握りつぶした。そこまで硬くない甲殻とはいえ、それを片手で握りつぶすとは中々の身体強化の錬度だ。


 噛み付かれた兵士科の生徒は、眼前で土蟲が砕かれたことにより、声にならない悲鳴を上げながら気が遠のいたようにふらついた。


「タルテ。そろそろ怪我人が多数出始めている。彼を連れて救護所に行ってくれ」


「はい…!分かりました…!行ってきますね…!」


 防壁を築いたお陰で土蟲の大量流入を防げているが、それでも数匹は壁を越えて中に入ってきてしまっている。その程度、冷静に対処すれば何ともないのだが、魔物との戦いに慣れていないためか、怪我を負う生徒が出て来ている。中には混乱して剣を振ったことで仲間を傷つけてしまったものもいる。


「ふーん、じゃあ私がタルテの付き添いをしようかしら。正直、私の戦い方は大群の討伐には向かないでしょ?まぁ救護所に行ってもたいした手伝いはできないだろうけど…」


 戦うのに飽きたのかイブキがそう言って壁際から離れる。彼女のメイン武器は風魔法を織り込んだクロスボウだ。入学試験で見せたように、空を飛び回る複雑な起動で複数体を一発のボルトで仕留めているが、如何せん土蟲の個体数が多すぎる。


 このまま戦っていれば早々にボルトが尽きてしまうだろう。現に、先ほどまでの彼女はクロスボウを打つ事は無く、風魔法で土壁に取り付いた土蟲を剥がすことに注力していた。


「おい、お前こそどうなんだよ…!魔法で戦うんじゃなかったのかよ…!」


 土壁を飛び越えてきた土蟲を切り飛ばした俺に向かってネイヴィルスが吠えるが、残念ながら俺も魔法では余り活躍できない。時間を掛けて竜巻を作り出して全てを吹き飛ばしてもいいが、上空に巻き上げられた土蟲が防衛拠点の内側に降り注ぐ危険性がある。


 圧縮空気であれば土蟲ぐらい殺傷できるが、…正直俺がそこまでする必要は無いだろう。


「ま、まさか。ネルカトル嬢が魔法まで巧みだとは…」


「おいおい、向こうの嬢ちゃんもすげぇぞ。こういうの見ると魔法使いが欲しくなるよな」


 ホフマンや狩人達が騒いでいるのはナナとメルルの魔法のせいだ。


 コントロールに難のあるナナだが、今は何処を狙っても敵に当たるというボーナスステージだ。彼女は嬉々として火魔法を放っている。幾ら火が土蟲の波に飲まれようと、度重なる火魔法によってその死体を薪として更に火を巻き起こしている。正に広範囲殲滅に優れた火魔法の面目躍如だ。


 そして、ナナから離れた所ではメルルがその辣腕を振るっている。


「さあ!追加です!全てを飲み込む淵底の玉座…!若き漁師を老父へ変える慈悲無き厄災…!シュ=クラクの大渦潮メイルシュトローム!!」


 濁流と評した土蟲の群れを、本物の濁流が飲み込む。そして濁流は轟音と共に巨大な渦へと変わっていく。


 風魔法使いと同様に水魔法使いは下に見られることが多い。というより使いづらいと認識されている。それは、風魔法使いや土魔法使いは周囲の空気や土を利用できるが、水魔法使いは周囲から水を集めるにも限界があるからだ。


 しかし、だからこそ周囲に水が豊富にある場合、水魔法使いの戦闘能力は格段に上昇する。それこそ、魔法使いの最強属性談義の中で『雨の日の水魔法使い』という代物が挙がるほどだ。


 そしてここは湧水の森。王都の飲料水を一手に担う水源地帯だ。森の中には網目の如く細流が走っており、ただの土も踏み込めば滴るほどに水気に富んでいる。普段なら足りない水を生成魔法を用いて用意しないといけない水魔法使いも、ここでは操作魔法だけで全てを補える。


「右は大火事、左は大水。…さっさと帰って風呂に入りたいな…」


「確かに、あの二つの魔法に挟まれたら、私の土魔法も何の足しにもならないな」


 俺はぼやきながら二つの天災を潜り抜けてきた歴戦の土蟲を斬り飛ばす。ホフマンも俺と同様に魔法を使う事無く剣で土蟲を排除していっている。


「クソ…ッ!何時までこんなことしてなきゃいけないんだよ…!もっと強い奴が出て来いよ…!」


 作業のような討伐に痺れを切らしたのか、ネイヴィルスが悪態をつくのが聞こえる。ある程度戦える能力のある彼にとっては、これは退屈な作業なのだろう。実際に怪我をして防衛から抜けた生徒もいるものの、慣れてきた生徒達によって安定して拠点を防衛することができている。


「こっちも問題無さそうだな。…見たところ、お前たちを疑ったのは間違いだったようだな」


 そんな中、俺に声を掛けて来たのは傭兵のペガルダだ。身体は土蟲の体液に濡れており、防衛拠点内を巡って土蟲を殺してきたのが窺える。


「正直に言いますが、俺たちもあなたを疑っていました。…ここに来たのならギルドで公開された情報は知っていますよね?」


 多少は賭けとなるが、俺は素直に疑っていることをペガルダに打ち明けた。


「…ある意味では間違いではない。お前らが見つけた足跡は、恐らく俺のものだ。…俺は頼まれて森を調べ、お前と同じように骨の山を見つけた」


 周りに聞こえないようにするためか、ペガルダは低く小さな声でそう呟いた。


「…?ならなぜそれを報告しなかったんですか?それに、骨の山を見つけて報告した俺らを疑ったのはなぜ…?」


「いいか?お前が比較的俺の味方だと判断して話す…」


 ペガルダは俺に顔を近づけるともったいぶった様に話し始めた。


「俺が調べていたのは、お前らと一緒に王都に来たときに乗せられていた積荷の行方だ。…厳密に言えば、偽装された積荷だな。あの後、キャラバンを解散した後に書類が偽装されていたことが判明した。…もちろんヒュンメル商会じゃないぜ?だが、ヒュンメル商会が主導したキャラバンで、偽装が必要な品物が王都まで運ばれたんだ」


「…責任問題に発展する前にその解決を?」


「ああ。だが、どうやら遅かったみたいだがな。…それに、ここまで来て未だに目的がいまいちはっきりとしない」


 そう言ってペガルダは周囲を見渡すようにしてそう呟いた。俺もそれに釣られるようにして状況を再度見直す。


 …偽装された積荷とやらは土蟲の卵と見て間違いないだろう。あれがご禁制の品物だ。そして骨の山は土蟲の養殖場だ。あそこで土蟲を増やし、薬によって眠らせた。土蟲は土中で眠るため隠匿はそう難しくない。


 …そしてあの遠くで聞こえた爆発音。あれで目を覚ました土蟲は、魔物避けの香を頼りにこの野営地まで駆けつけたというわけか…。


 しかし、何のために?群生相の土蟲は危険な存在だが、それに生徒を襲わせるのは随分と遠まわしな手法だ。運がよければ多数の死者を出したであろうが、今現在、安定して狩れているように生徒を殺しきるには少し物足りない。


 襲わせることに目的があった?戦争過激派が平和ボケの者を駆り立てるための布石?いや、それならば魔物に襲わせる意味が無い。


 俺とペガルダは片手間に土蟲を狩りながら、思考の海に沈んでいった。


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