第181話 まだまだ危ない湧水の森
◇まだまだ危ない湧水の森◇
「生徒たちはこちらに!急いで中に入れ!これは訓練じゃないぞ!土魔法が使えるものは指示に従って土壁を作製してくれ!」
教師陣が作り出したのだろう。野営の中心部では何時のまにか土魔法による防衛拠点が築かれている。全速力で走れば土蟲から一時的に逃げることもできるが、今は夜中でここは森の中だ。逃げたところで途中で追いつかれることが明白であるため篭城を選んだのだろう。
防衛拠点からは警笛が鳴り響き、上空には緊急事態を知らせる発光弾が打ち上げられた。
叩き起こされた生徒たちは異常に騒がしい野営地の現状に、混乱しつつもその土壁の向こうに避難して行っている。
「ハルト。避難のための時間を稼ごう。いつものお願い!」
ナナが後ろに迫る土蟲の群れに向けて火魔法を複数放つ。俺はその火球を群れの密度の高い地点へと風で導いていく。月明かりの夜空を複数の火球が曲線を描きながら土蟲に向かっていく。
着弾した火魔法が辺りを明るく照らし、そこに蠢く土蟲の姿を鮮明に浮かび上がらせる。生徒達はそのおぞましい姿を目にして、息を吸い込むような短い悲鳴を上げた。
火に炙られた土蟲は腹を上にして耳障りな声を上げながら焼かれていく。しかして後続の土蟲の群れが、さながら濁流のように火を飲み込んで消火していく。タルテの作った壁の上部からも土蟲が溢れ始め、濁流のように俺らの方へと迫ってくる。このままでは全ての生徒が逃げ切る前に土蟲に詰められる可能性がある。
「タルテ!向こうの火に向かってこの魔物避けの香を投げ入れてくれ!」
「は、はい…!解かりました…!」
俺は生徒が逃げ去った野営用のテントから、魔物避けの香を拾い集め、それをタルテに渡した。魔物避けの香は既に野営地の物にも人にも香りが移ってしまっている。この群れが俺らに向かって進むことを止めることはもう手遅れであろうが、幾分かを逸らすことは可能なはずだ。
そのためにナナの火魔法を一つだけ防衛拠点から離れた篝火に向かって誘導したのだ。火魔法は篝火のために用意された薪に引火し、一際大きな火柱を上げている。そこに、タルテの遠投により、魔物避けの香が投げ入れられる。
本来は熾火でゆっくりと燃える魔物避けの香が、直火の火で炙られ一気に燃え上がる。煙幕とまでは言わないが、多量の煙が上がり土蟲の群れの舵がそちらにずれる。
「一時的に橋を作りますわ!狩人の方たちはこちらから中に入ってください!」
防御拠点は全方位に土の壁が作成されつつあるため、入り口が絞られている。そのため、一斉には中に入ることができない。メルルはそれを解決するために血で梯子を作り上げて、それを土の壁にかけた。
「おお、嬢ちゃんすまねぇ!…こりゃ、血魔法か…?」
土壁の外にいた狩人達は、その梯子を足早に上っていく。俺とナナ、そしてタルテもその梯子を使って土壁の上へと駆け上る。遅れていた生徒達も防衛拠点の中に滑り込むように逃げ込み、蓋をするように教師が魔法を発動した。
魔法を発動した教員は荒く息をしながらその場にへたり込んだ。生徒全員を収容する大きさの防衛拠点を僅かな間に構築したのだ。そうとうの消耗をしてしまったのだろう。他の教員が肩を貸してその教師を運んでいく。
流石はオルドダナ学院の教師陣と生徒達といえばいいのか、土壁の内側には光魔法によって明るく照らされている。
「おい!怪我人はいるか!班長は班員が揃っているか確認して報告をしろ!」
教員が声を張り上げて生徒の安否を確認する。すでにその辺は訓練されているのか、不安そうな顔をしながらも兵士科の生徒は隊列を作って手早く人員の確認を行う。
このような事態に慌てているのが学士科の生徒達だが、兵士科の生徒と比べて人数が少ないので、教授陣の下に集うようにして手間取りながらも班員を確認していく。俺とタルテもコレットの下に駆け寄ると、自身の安否を伝えた。
「ああ、よかった。二人とも無事だったんだね。イブキさんも無事だよ。あそこの塀の上で警戒しているよ」
コレットが俺らの姿を見て、安堵したように息を吐き出す。そして彼はクロスボウを担いで塀の上から外を観測しているイブキの姿を指差した。
「それじゃ、四人揃っていることを報告してくるね。…できればじっとしててくれると嬉しいな。見てよ。他の子はみんな大人しくしてるよ…」
「…まぁイブキが奔放なのは許してやろうぜ。そこが彼女の良い所だ」
「何言ってるの。イブキさんは僕と一緒にここに来たんだよ?僕が言っているのは前線まで遊びに行ってた自由人のことだよ?」
「うぅ…。コレットさん…、ごめんなさい…」
コレットは俺を冷めた目でなじるとヒゲージ教授とクスシリム準教授の下に安否の報告をしに走っていった。ヒゲージ教授の周りには学士科の生徒が多数集っており、教授の手元を興味深げに見詰めている。
「皆さん、御覧なさい。黒鉛色の土蟲ですが、特殊な条件でこのように茶色と灰色の縞模様になります。これが土蟲の群生相というもので、中々目にかかれない物ですから良く観察しておいて下さいね」
魔物避けの香で逸らしたものの、何匹かの土蟲は防衛拠点にやって来ている。そんな個体の一つを手に入れたのだろう。ヒゲージ教授は手で土蟲の死体を抱えて生徒達に観察させている。
何人かの女子生徒は嫌な顔をして視線を逸らしているが、大半の生徒達は今現在が非常事態と言うことを忘れて円らな瞳を向けて興味深げに観察している。
生徒達が観察を終えると、ヒゲージ教授は土蟲の死体を布で包んで大切そうに鞄の中へと仕舞った。もしかしたら後で剥製にするつもりかもしれない。…俺も記念に一体取っておこうかな。
「ねぇ、ちょっと。そろそろ状況が動くわよ。あなたがやった囮も波に飲まれてしまったわ」
そうこうしているうちに、壁の上のイブキから声が掛かった。彼女の近くでは護衛の狩人や兵士科の教官なども集まって険しい顔で外を見詰めている。その中にはナナとメルルの姿もあり、相談するように話し合っている。
俺とタルテも壁に駆け寄り、外の状況を確認する。外では数えるのも億劫なほどの土蟲が蠢いており、防衛拠点の土壁を登ろうとしている。森の方からは続々と土蟲が溢れて来ており、潮が満ちるかのように土蟲の嵩が増してきている。
なにより、魔物避けの香で逸らした群れの一部がこちらに再び向かおうとしている。あの群れがこちらにたどり着けば拠点が破られる恐れもあるだろう。
「聞いてくれ!応援は呼んである!今重要なのはこの拠点を維持することだ!近接を主とする兵士科の生徒と護衛の方は壁下の土蟲を殺してくれ!魔法を使える生徒はとにかく群れているところに打ち込んで数を減らしてくれ!」
兵士科の教員だろう。ガタイの良い男性が大声を張り上げて指示を飛ばす。それを聞いてかホフマンやネイヴィルスもこちらに駆けつけてきた。
「おい。俺の記憶が確かなら学士科なんだろ?なんでここにいるんだよ」
「魔法を使える生徒に該当するからな。害虫駆除に飛び入り参加だ」
ネイヴィルスが悪態をつくが、彼はそのまま素直に壁際に取り付いて土蟲に剣を向ける。今はいがみ合っている場合じゃないと彼もわかっているのだろう。俺も加勢するために腰からマチェットを抜き放った。
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