第180話 危ない湧水の森

◇危ない湧水の森◇


「あら、嫌な風ね…。何かが爆ぜる音かしら…」


 俺の隣でクロスボウを抱えながら休んでいたイブキが、薄っすらと目を開いて静かにそう呟いた。


「距離は解からんが…、方向は骨の山の方だな…。…イブキはタルテを起しに行ってくれ。俺はコレットを起こす」


 そう言って俺は背後のテントへと向かう。テントの扉から中に顔を入れれば、レプタがテシテシとコレットの顔を叩いている。コレットはその可愛らしい目覚まし時計のお陰で、俺が起こすまでもなく気だるげに上半身を起き上がらせて眠そうに目を擦った。


「んん…?レプタ…ハルト君も…。どうしたの?」


「虫の知らせが来てな。…レプタが反応しているところを見ると異常事態が発生しているのは確定のようだな…」


 差し出されたコレットの手を握ると、俺はコレットをテントの外に引っ張り出すように立ち上がらせる。コレットは寝起きが弱いのかテントの外に出ても俺の手を握ったまま、促がされるようにゆっくりと焚き火に向かって歩き出す。


「あ…、ハルトさん…。夜警ありがとうございました…」


「ああ、タルテ。少しでも休めたか?」


「はい…。大丈夫です…!いつでもいけますよ…!」


「ほら、あまり動かないで。寝癖が直せないじゃない…」


 イブキに起されたタルテが焚き火の傍らに座ってイブキに寝癖を直されている。彼女の妹気質はイブキにも通用するようで、タルテよりも体の小さいイブキが甲斐甲斐しく世話を焼いている。


 俺は風を展開して周囲を確認する。どうやら、例の爆発音は他のものにも聞こえたらしく、野営地の中を慌しく駆け回る人も出て来ている。


「それで、あなたたちはどうするの?多分、その内に集合がかかるわよ?これでも私達は護衛対象なんだから」


 イブキがタルテの顔を濡れた布で拭いながら俺にそう尋ねた。


「まだ状況がわからないからな。怒られない程度に勝手にやらしてもらうよ。コレット、俺とタルテがいないことを聞かれたら、狩人として活動していると言っておいてくれ」


「え…!?ハルト君どっかいっちゃうの…?」


 目が覚めたらしいコレットが驚きと共に俺にそう言うが、暢気に自体が悪化するまで待つ趣味は無い。まずはこの野営地がどんな状況に置かれているかを認識するのが最優先であろう。


「コレット。あなたはこちらに来なさい。私の射程範囲にいるなら、ちょっとぐらいは守ってあげるわよ」


「ああ。ついでに逆方向の索敵も頼むよ。もしかしたらあの音が陽動の可能性もあるしな」


 イブキはクロスボウを背中に担ぐと、コレットに声を掛けて野営地の中心部へと向かう。一方、俺とタルテは逆方向の森の方角へ。恐らくナナとメルルもそちらに向かっているだろう。


 警鐘はまだ鳴っていないものの、野営地は準警戒態勢だ。教師陣や護衛の狩人達も俺らと同じように音のした森の方角へと駆け足で進んでいっている。


 俺はその流れに乗りながら、俺は前方に向けて索敵のための風を展開する。…野営地の端で警戒している兵士科を越え、さらに森の中へと風が伸びる。その風に感じるのは地面を埋め尽くすほどの多数の虫達。


「これは…土蟲…?アウレリアから着いて来た訳じゃねぇよな…?」


「うぇ…。またあの虫ですか…」


 俺の声を聞いてタルテが嫌そうな顔をする。アウレリアで土蟲を退治した際に、彼女は土蟲の裏側…、複数の脚がワシャワシャと動く面を、ほぼ零距離で見てしまったため苦手意識があるらしい。


「タルテ。油断するな。以前の討伐とは比べ物にならない数がいるぞ…!着いたらすぐさま壁を作ってくれ!」


「は、はい…!解かりました…!」


 前方では立哨をしている生徒が森を見詰めているのが見える。その後ろには異変を感じた狩人達が集まっているが、既に土蟲が野営地の間近にまで迫って来ている。あんな数が一気に雪崩れ込んだら野営地は混乱の坩堝に落とされるだろう。


 …いや、混乱で済めばまだ良いほうだろう。土蟲はとある条件が重なるととても厄介な存在になる。その条件の一つが群れの大きさだ。


「な…!?地面が動いたぞ…!」


 前方から聞いた事のある声がする。立哨をしていたホフマンのものだろう。そのホフマンの声と入れ替わるようにしてタルテが彼の前に出た。


汝平和を欲さば、戦への備えをせよシー・ヴィス・ベラム・パラ・ベラム…!」


 ホフマンが地面と勘違いした蟲の激流が、タルテの魔法で作られた土壁と衝突する。だが、横に広く展開するために高さが犠牲になっており、衝突の衝撃で空中に跳ね上げられた土蟲が壁を越えてこちら側へと放り出された。


「タ、タルテさん…!?」


「ホフマンさん…!大丈夫ですか…!」


 尻餅をついたホフマンにタルテが手を伸ばして強引に起き上がらせる。その後ろでは壁を飛び越えてきた土蟲を狩人達が仕留めているが、その顔色はあまりよろしくない。


「ハルト。不味いよ。これが群生相って奴でしょ?」


 集まってきた狩人の中にはナナとメルルの姿もあった。ナナの足元には今しがた彼女が仕留めた土蟲が転がっている。


 通常の土蟲は団子蟲のような見た目だ。丸まることが無いから、どちらかと言うとワラジムシに近いのかもしれない。


 黒色の死肉しか食べない土蟲は巨大な群れという密集状態、そして極端な飢餓に襲われた際に変異する。


 茶色と灰色の波打つ模様である群生相に変化した土蟲は幾つかの習性が変化する。重要なところでは、他の群れと合流しようとすること。…つまりは、自身と同じ臭いを出す魔物避けの香に集まる習性を持つ。


 …そして、なにより死肉以外も食べるようになる。強さは変わらないため、一匹一匹は子供でも倒せる強さだが、百匹近くの土蟲に集られては大人でも身動きが取れなくなる。…そして死肉を骨からこそげ落とすように生きた生物の肉を毟り取っていくのだ。


『西側に群生相に変異した土蟲の群れ!最低でも五千は越える!』


 声送りの魔法を用いて野営地全体に状況を知らせる。続いて、周囲の狩人や兵士に中央に向かうよう促がす。ここで防衛をしても回り込まれた土蟲に囲まれて中央から孤立する恐れがある。森の中にいるよりも開けた野営地の方が戦いやすいため、ここは前線を下げるべきだろう。


 同じ考えなのか、野営地の中央から集合を促がす声と笛の音が聞こえる。対集団であれば一塊にしたほうが生徒を守りやすいと考えたのだろう。


「殿は俺らがする!生徒達は早く野営地の中央へ向かえ!」


 そう声を張り上げたのはペガルダだった。彼は壁を越えてくる土蟲を空中で切り飛ばしながらも生徒の退避を促がしていく。


「んだよ!こんくらいでビビッて逃げるのかよ!」


「中央にいる者を守るために戦力を集中させる目的だ!いいから中央に戻るぞ!ほら、タルテさんも!そもそも君は護衛対象だろう!」


 渋るネイヴィルスを半ば強引に引き連れてホフマンが中央に向かう。他の兵士科の生徒達も異常事態の発生により、逃げるようにして走っていく。


 そいつらを守るようにして俺らと狩人達は土蟲を潰しながら中央へと向かっていった。


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