第178話 暮れる湧水の森

◇暮れる湧水の森◇


「おいおいおい。どうしたんだ?一皮向けたんじゃないの?」


 野営地の一角で剣の手入れをしている兵士科の生徒に、同じ兵士科の生徒が陽気な声で話しかける。


「お?解かる?解かっちゃう?いやー、見てくれよ。この剣の傷。どうして付いたと思う?」


「聞いてるぜ。木叩き子鬼ウッドノッカーの頭をそれで切りつけたんだろ?」


 そう言って兵士科の生徒は自分が研いでいた剣の欠けた箇所を、勲章のようにもう一人の生徒に見せ付けた。他にも今日の戦果を誇らしげに語る生徒が野営地の中に散在している。中にはこれ見よがしに魔物の素材をアピールしている者もいる。


「…クソが…!子鬼如きに剣を欠いて何の自慢になるんだよ…!俺の師匠だったら鬼のように怒るぜ」


 ネイヴィルスがその声を聞きながら悪態を付く。彼以外にも悔しそうに成果を上げた生徒を睨むものは多い。俺らの班以外でも魔物の出現はほとんど無かったそうで、魔物と戦えた生徒と戦えなかった生徒の間で妙な蟠りが発生してしまっている。


「ネイヴィルス。不貞腐れていないで、野営の準備を進めてくれ。日没までに済まさないと面倒だぞ」


「うるせぇなぁ…。心配しなくても今日は満月だよ。おめぇより俺の方が野営に慣れてるんだから指図するんじゃねぇ」


 拗ねた子供のようなネイヴィルスにホフマンが声を掛ける。新月と満月の夜を比較すると、野営の難易度は格段に変わる。新月の闇は一寸先も見通すことができず、ランタンや焚き火でも限界がある。何よりその灯りは山賊達への目印にもなってしまう。


 一方、満月の夜は驚くべきほど明るい。それこそ読書が可能なほどだ。オルドダナ学院が今晩を野営演習に選んだのも、恐らくは満月であることが理由の一つであろう。光が少ないこの世界では、野営を挟む行軍や行商など、月の満ち欠けで行動を変えることも多いのだ。


 …ちなみに妖精の首飾りは夜の闇をあまり気にしない。ナナとタルテは魔法で簡単に灯りを用意できるし、メルルは種族特性として夜目が利く。そして俺は風の魔法で明るさに関係なく周囲を把握できるからだ。


「あ、ハルト君。僕達の分の魔物避けを貰ってきたよ。これを焚き火にくべるようにだって」


 そう言ってコレットが俺に魔物避けの香を手渡す。彼から手渡された子袋にはピンク色の粉が固められた練香が入っている。


「あら、夜警の兵士科だけじゃなく、学士科の生徒にも配布するの?随分気前が良いわね」


 イブキが魔物避けの香を見ながらそう言った。魔物避けの香は需要が多いため、貴重品とまでは行かないが、意外と値の張る品物だ。正直言って野営地の外周部で兵士科が焚くだけで十分な効果があるとは思われるが、念のために学士科の生徒にも配布しているのだろう。


 今も、ホフマンやネイヴィルスが日の傾いた野営地の外周部で、篝火を焚いてはそこにお香を設置して行っている。


「コレットさん…。魔物避けを焚くと言っても安全とは限りません…。この香りを忌避するのは獣系の魔物だけですから…」


 狩人などにとっては当たり前の話だが、普段から魔物避けの香を使わない都心部の者には知らない人もいる。タルテはコレットに警戒を促がすようにそう忠告をした。


 ちなみに虫系の魔物が忌避するお香や、鳥系の魔物が忌避する香りの魔物避けも存在するが、嗅覚の乏しい魔物にはそもそも効果が薄い。


「ははは。流石にそれは知ってるよ。僕の出身地も結構な田舎だったし、レプタと出会ったのも森の中だよ」


 そう言ってコレットは笑いながら、肩に乗っかったレプタの顎を、小指で掻くようにして撫でた。


「へぇ、通りで今日のフィールドワークも意外と慣れていたんだな」


 俺は焚き火用の竈を作りながらコレットに笑いかける。普段なら竈はタルテの魔法にお願いするのだが、野営演習中にそれをやると、他の者の訓練にならないため禁止されている。


「自慢じゃないけど、レプタが危険な方向を教えてくれるからね。こんな風に薪拾いなんかは僕の役目だったんだ」


 コレットは俺の作った竈に薪を並べながらそう言った。そうすると今度はイブキが竈に鍋を置き、タルテが鞄から食材を出し始める。


 時間に余裕の無い野営であれば、料理をする暇が無かったり、敵が近い状態では煮炊きの煙が上げられないなどの理由で保存食をそのまま食べることもあるが、今回の野営演習では料理を行うことになっている。


 学士科の生徒にいたっては、食用可能な野草を鍋に入れている者もいる。兵士科の生徒もそれに習ってクスシリム準教授や教官に野草の確認をしてもらい、自分の鍋に投入している。こういったサバイバル技術は兵士科にも求められる能力であるため、教官たちもそれに賛同している。


 俺らも、タルテとイブキが採集した山菜やキノコを鍋に突っ込んでいく。キノコの判別は難しいため食べないように言われているが、タルテのキノコ判別能力はそれを生業にしている者以上だ。キノコは旨みが強いため、他の班には内緒で使用させてもらう。


 炎の舌が鍋の底を舐め、沸騰した湯気が蓋で鍋を打ち付ける音を上げ始める。


「おお。生徒として参加していると聞いていたが、どうやら本当みたいだったな。俺のこと…覚えてるか?」


 その言葉と共に湯気越しに俺の目の前に現れたのはレオパレダスのペガルダだ。褐色の肌に分厚い筋肉が蓄えられているその姿は、一つの個性となって周囲の目を引いている。特に兵士科の生徒から注目されており、中には彼の筋肉と比べるように自身の腕を摩っている生徒もいる。


「レオパレダスのペガルダさんですよね。仲間から聞いていますよ。…わざわざ挨拶をしに来てくれたんですか?」


 俺は好意的な顔をして彼を迎え入れる。もしやと思い、コレットのレプタを確認するが、レプタはペガルダに警戒はせずに眠そうな顔を向けている。むしろ、コレットの方が筋骨隆々の傭兵の登場にビビリ散らしている。


「あ…!お久しぶりです…!王都までの道のりはお世話になりました…!」


「おう、嬢ちゃんも元気そうだな。あの時はこっちがお世話になったようなもんだ。嬢ちゃんには治療してもらった奴も多かったしな」


 そう言いながらペガルダは俺の横にゆっくりと腰を下ろした。…どちらかと言うと硬いイメージのある彼にしては不自然な行動に思えて、僅かに警戒心を表に出してしまう。


「…やはり、どこか気を張ってるな。ギルドから何か言われたか?それともお前らか?」


 こちらに視線を向ける事無く、ペガルダは低い声で俺にそう呟いた。


「俺達とは…?どういうことで…?」


 俺は静謐性を心がけながらこっそりと圧縮空気を用意する。ここでいきなり襲ってくるとは思えないが念のためだ。


 お互いが黙ったまま暫くの時間が過ぎる。生徒達の遠巻きな騒ぎ声と目の前の煮炊きの音だけが俺とペガルダの間に響く。コレットとタルテが張り詰めた空気を感じてこちらを心配そうに見詰めている。


「…どうやら、違うみてぇだな。…いいか?今夜は気を抜くなよ。…あと、後ろの嬢ちゃん。俺は今から立つが、逸って打たないでくれよ?」


 ペガルダはそう言うとゆっくりと立ち上がった。狙っていたことに気付かれたことが気に食わないのか、テントの影に居たイブキが、舌打ちと共にクロスボウの銃口を上に向けた。


 それを見て軽く笑うと、ペガルダはそのまま俺らの下を後にした。彼の口にした気を抜くなという言葉について追求したい気持ちがあったが、彼の纏う雰囲気がそれを許さなかった。


 俺は魔法を霧散させ、目の前の鍋をかき混ぜながら彼の言った言葉を反芻した。


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