第177話 眠れる湧水の森

◇眠れる湧水の森◇


『そういえばハルト。今いいかな?この声は聞こえてる?』


 野営地からより緑の濃い森の中へと踏み出した俺らの後方から、ナナの声が風に乗って届く。


『ああ、聞こえてるぞ。どうした?』


 俺はマチェットで邪魔な枝を打ち払いながら、ナナから届いた声に答える。林道は狭く、左右から視界を塞ぐように背の低い低木の枝が伸び、足元にも露草や藺草イグサ、単子葉植物の肉厚な葉が茂っている。


 慣れていない兵士科の生徒は窮屈そうに歩いているが、それでも警戒心か、はたまた好奇心故か、周囲をつぶさに観察するかのように辺りをひっきりなしに見回している。


『一応、報告しておこうかと思ってね。今朝、護衛の狩人で集まったときに、見知った顔を見つけたよ』


『見知った顔?』


『ペガルダさんですわ。王都までの道のりでご一緒した、レオパルダスのペガルダさんです』


 俺の疑問にメルルが答えてくれる。一瞬、誰だか解からなかったものの、王都までの護衛依頼で指揮を執っていた男を思い出した。


『ああ、思い出した。…だが、あいつはヒュンメル商会…だっけか?そこの専属じゃなかったか?しかも狩人じゃなくて傭兵だろう?』


 狩人ギルドと傭兵ギルドは提携しているため、どちらのギルドの仕事も受けることができる。しかし、得意とする分野の違いから、ギルド員が受ける依頼には偏りが生まれる。今回の野営演習の護衛は、どちらかと言うと狩人向けの仕事だ。


 しかも、彼らはペガルダは専属のはずだ。基本的にはヒュンメル商会と行動を常にするため、他の依頼を受けることは滅多に無いはずだ。


『そう。だから報告しておこうと思ってね。例の足跡…、森の中の移動に慣れてないけど、狩人の利用する道などに詳しい存在っていったら傭兵が真っ先に挙がるでしょ?』


『その辺を軽く探ってみましたが、彼が言うにはヒュンメル商会にゆかりのある人物が参加しているため、念のために護衛しているとのことですわ』


『まぁ、不自然な理由ではないか…。そのゆかりのある人物ってのは解かったのか?』


『いえ、護衛対象の安全のためなのか、はぐらかされてしまいましたわ』


『特に怪しいようには思えなかったけど、また何かあったら報告するよ』


 俺は二人の報告を聞きなが、しばし考える。もし、野外演習で何かを企むなら護衛の立場は動きやすい立ち居地といえよう。しかし、何か起きたときに真っ先に疑われる立ち居地でもある。


 …それとも野外演習で何かを企むということ事態が間違いなのだろうか…。…いや、それであれば問題は無い。野外演習の参加者であり、護衛でもある俺らは野営演習で何かがあると仮定して動くべきだろう。


「ハルトさん…、お話ししてたのですか…?お二人はなんて…?」


 声がしないのに口元が動いていたからからだろう。タルテが不思議そうな顔をして俺に尋ねる。俺は、二人に聞いた内容をタルテにも共有するように話した。顔見知りを疑うような行為にタルテは少し嫌な顔をしたが、それでも容疑者候補であることは納得しているのか、小さく頷くようにして答えた。


「ねぇ、なに話し込んでるの?そろそろ目的の低木林に着くわよ。記録の準備はできてるの?」


 俺とタルテが小声で話していると、イブキがせっつくように割り込んでくる。彼女にも情報を伝えるべきか悩んだが、彼女もペガルダのことは知っているはずなので、彼らが護衛として参加していることだけを伝えた。


 彼女の反応は淡白なもので、王都に来るときの護衛と説明しても直ぐには思い出せないようであった。


 そうこうしているうちにも、最初の目的地である低木林にたどり着き、俺らは植物や森の様子を記録していく。学士科が記録をしている間、兵士科の生徒は一旦荷物を降ろし、交代で休憩に入っていく。なんだかんだで兵士科の中で一番元気なのはネイヴィルスだろう。元気が有り余っているのか、小休止だというのに大声で騒いでいる。


 狩人である俺らは体力があって当たり前だが、コレットも意外に元気そうにして低木林に残る獣の痕跡をスケッチしている。俺もそれに習うようにして紙にペンを走らせた。



「ねぇ、ここがあなた達が見つけた例の場所なのよね?」


 一見、遠回りに思える西側のルートに差し掛かるとイブキがそう尋ねてきた。ここまでの散策で皆、大分慣れてきたのか、俺ら以外の兵士科の生徒も真剣な顔付きが剥がれ、幾分か笑顔を浮かべる者も増えてきた。


「そうだな。あそこの高台が見えるだろ?掘られていたせいで此処からじゃ見えないが、そこに骨の山が形成されていた」


 俺は指を差してイブキに問題の箇所を説明した。イブキは近場の木にするすると登ると、額に手をあてその鋭い目を細めた。


「静かなものね…。ここで何かがあったとは思えないぐらい。むしろそれだけ沢山狩られたということかしら…」


 呟くように、語りかけるようにイブキはそう言った。彼女の言うとおり、現状の湧水の森は異様なほど静かだ。何者かの大量討伐に演習のための間引きが重なった結果、これまでの道のりもほとんど魔物と接敵することが無かったのだ。


「…なにか調べたいことがあったのか?ギルドや学院は警戒はしているものの、そこまで深刻に考えていないようだったが…」


「サフェーラがね、気になるから注意しとけって言うのよ。あの子、妙に勘が鋭いから。…言っておくけど情報は持ってないわよ。本当にあの子の勘だけだから」


 そう言ってイブキは俺に目掛けて飛び降りてきた。俺は反射的に彼女を受け止め、勢いを殺すようにして地面に彼女を降ろした。


「それで…?何かわかったか?」


「全然。風で探ってみたけれど何も聞こえない。まるで冬の森よ。森の息遣いは聞こえるけど、眠っているみたい」


 地面に降ろされたイブキは肩を竦めるようにして惚けて見せた。近くではタルテも不安げな様子で辺りを見回すが、森は沈黙を守ったままだ。それでも、時折冷たい風が木々の間を吹き抜けて、冬の森と称された湧水の森は、青々と茂った葉や草をざわめかすようにして音を鳴らした。


 その森の僅かな声を掻き消すように、生徒たちの賑やかな話し声が辺りに響き渡っていた。


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