第176話 奥へ行こうよ湧水の森

◇奥へ行こうよ湧水の森◇


「いいか、怒鳴るんじゃないぞ。下手に騒ぐと教官がやってくるからな」


 一通り、俺らの自己紹介が終わると、兵士科の生徒はネイヴィルスの回りに集まる。そして言い聞かせるように、ネイヴィルスの耳元で同僚らしき兵士科の生徒がそう呟いた。ネイヴィルスは母親に小言を言われた子供のように顔をしかめた。


「話すだけだぞ。絶対に手は出すなよ」


 今度は別の同僚らしき生徒がネイヴィルスにそう耳打ちをする。そう言われながらもネイヴィルスの視線は、前方に立つ俺に注がれている。ネイヴィルスと同僚らしき生徒達の姿はまるで猛獣と猛獣使いのようだが、見ようによっては告白をする女子生徒とそれを勇気付ける女友達にも思える。


 ネイヴィルスは一歩前に出て俺に近づくと足先から頭まで観察するように視線を動かした。


「聞いたぞ…。お前、なんで他の科にいるんだ?」


 どうやら俺が学士科に配属していることは理解しているらしい。あの後、ホフマンにでも説明されたのだろう。


「なんでもなにも…、俺は学士科を志望してオルドダナ学院に来たんだが…」


「…ハァ!?ホフマンに聞いたぞ!兵士科に入れる資格は十分にあったって…!」


 注意されたばかりなのに既にネイヴィルスの語気が荒くなる。すぐさま、ホフマンがネイヴィルスを嗜めるように軽く叩く。幸いにして周囲も他の学生達で賑わっているため、そこまで注目されることは無い。


「…言っておくが、入試の模擬戦で俺に勝ったと思うなよ…!」


 恨めしそうにネイヴィルスは低い声で俺を脅すようにそう言った。


「あの時負けたのは油断していたからだ。もう一回やれば俺が勝つ…!」


「おい、ネイヴィルス…!油断をしないということも実力の一部だ…!俺らが訓練で走りまわされているのは、過酷な戦場でも実力を発揮できる体力をつけるためだぞ…!」


「ああ…!?俺が言いたいのはそう言う事じゃねぇ!確かに戦闘中に寝るのは寝る奴が悪いが、寝てる時に勝ったからと言って強者面されんのが気に食わねぇんだよ!」


 今度はホフマンとネイヴィルスが軽く言い争う。要するにネイヴィルスはたった一回勝っただけで好い気になるなよと言うことなのだろう。


「ねぇ、どっちが強いとかどうでもいいから、さっさと打ち合わせ始めない?私達はここに何しに来たのかご存知?」


 男通しの話し合いに痺れを切らしたのか、イブキが冷めた目で水を差す。そして有無を言わさぬように地図を広げて説明を始めた。ネイヴィルスはまだ何か言いたそうだが、他の面子が相談に移り始めたので、軽く舌打ちして後ろに下がった。


「私達が行きたいのは此処の低木林とこの丘陵地帯。だからこちらの林道を利用したルートを辿っていこうと思うのだけど問題ないかしら?」


 兵士科の生徒はそのルートを見て相談するように顔を見合わせるが、困ったように眉をひそめる。イブキの示したルートは班で話し合って決めたものだ。つまりは三人の狩人が認めたルートになっている。


 恐らく、兵士科の生徒は学士科の考えた無茶なルートを訂正するように言われているのだろうが、このルートに問題点は存在しない。


「…ここを大回りするのは?東側のルートの方が早く移動できるのでは?」


 それでもホフマンが地図を指差して質問をする。


「多少長くても勾配の少ない西側の方が楽よ。加えて東側は日当たりも悪いから地面の状態も悪いはず。…それに、そちら側に少し見ておきたいところがあるの」


 その質問にイブキがすぐさま答える。他の兵士科の生徒を見渡すが、他の者も文句は無いらしい。…ネイヴィルスは地図を見てすらいない。


「うわぁ。イブキさんって凄いね。兵士科の人に渡り合っているよ。…僕は怖そうな人たちはちょっとね」


 コレットが小さな声で俺の後ろから声を掛ける。彼は怖がりで争いごとの苦手な人間だ。今でも兵士科の生徒…、特にネイヴィルスに脅えて俺の後ろに隠れている。


「うん。それじゃぁ、荷物の準備はできてるかい?先生達の方に行って出発の許可を貰おうか」


 ホフマンがそう言い、俺らは地図を仕舞い手早く荷物を纏めると、俺らは教師陣の拠点に向かって足を進めた。



「それじゃぁ私達は後ろから付いていきます。危険があった場合は行動しますが、基本的には助言も何もしないのでそれを念頭に置いて下さい」


 護衛の狩人…、ナナとメルルが俺らに挨拶をする。てっきり、同い年の二人が護衛と言うことで兵士科の生徒達が不満を覚えるかと思ったが、騒がしくするだけで悪意のある反応は無い。それどころか、美人の二人組みが参加することに浮き足立っているようにも見える。


「クソ…ッ!これだから男は…!」


 その様子にイブキが言葉を吐き捨てる。気のせいか、周囲の空気がタールのように粘度を持ったようにも感じる。その異様な雰囲気を感じ取ったのか、コレットがさり気無く俺の後ろに隠れた。


 俺は、そこでふと二人に見惚れている男子生徒に紛れて、慌てるような脅えるような兵士科の生徒もいることに気が付く。気になって注視してみれば、その視線の先にはナナがいることに気が付く。


『ナナを見てる生徒が何人かいるが知り合いか?』


『あははは…、ちょっとね…』


 俺は声送りの術で二人だけに聞こえるように尋ねると、ナナは恥ずかしそうにはにかみながら頬を指先で掻いた。


『軍略の授業や中級剣術を取っている生徒達ですよ。ナナに楯突いて返り討ちにあった生徒達でしょう』


 メルルにそう言われて俺は得心がついた。政務科と軍務は密接に繋がっているため、兵士科と政務科で共通する授業は多い。彼らはそこでナナのことを知ったのだろう。


 確かな実力を周囲に見せ付けた才媛が、今度は狩人として演習に参戦してきたのだ。気がそちらに向かうのも解からなくは無い。


「それでは皆さん。進みましょう。ルートは先ほど共有したとおり。斥候は先行して進んでください」


 浮き足立った部隊を纏めるようにホフマンが全体に声を掛ける。すぐさま、兵士科の生徒が俺らを囲むように列を成し、今まで通ってきた林道とは比べ物にならないほど、細い林道へと足を踏み入れていった。


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