第173話 おいでよ湧水の森

◇おいでよ湧水の森◇


「はい。皆さん、支給された荷物はちゃんと受け取りましたか?ここから先は危険が隣り合わせになりますので、くれぐれも油断せず、教師の指示に従ってください」


 学院の馬車乗り場に集まった多数の生徒。その中で俺を含む魔性生物学や薬草学を履修している生徒に声を掛けるのは、魔性生物学の教師であるヒゲージ・アニマニア教授だ。ヒゲージ教授はアニマニア伯爵家の出身で、本人は爵位を継ぐ立場に無かったものの、自身の研究により新たに準男爵位を賜った人だ。


 日に焼けた肌は教授というより初老の農夫のようだが、手入れの成された髭と灰髪、そして理性的なその瞳は、彼が一角の知識層の人間だと教えてくれる。


「初めて森に入る子も居るでしょうが、薬草学や生物学にはフィールドワークが欠かせません。これを機に慣れて下さいね。…皆さんの中には魔術の研究のために魔性生物学を受講している子も居るでしょうが、くれぐれも魔物を触媒の塊と考えるのは止めてください。その奢りは命まで届きますよ」


「薬草学も同じですよ。毎年、調査に夢中になって遭難しかかる生徒がいます。これから向かうところは魔物の領域だということをよく考えてくださいね」


 ヒゲージ教授の話に続いたのは薬草学のクスシリム準教授だ。数少ない女性の教授であり、その柔らかな印象から母のように慕う生徒は多い。


 話が終わり、俺らは指定された馬車に乗り込んでいく。周囲では俺らの数倍の数の兵士科の生徒が動き回っている。一応、俺らは護衛対象という扱いなので彼らは出発の時点から馬車を護衛するように立ち回るのだ。


 動き出した馬車の窓から外の風景を覗き込み、俺は小さくため息を吐いた。


 …俺らはあの後、狩人ギルドに森にあった骨の山と不審な薬剤を報告したが、結局野営演習が中止になることは無かった。一応、事前調査の人員が増強されたものの、その調査で他の不審点が見つからなかったこともせいもあるのだろう。


 それとなくヒゲージ教授にその話をしてみたところ、学院にもその話は伝わっているようで、無闇に風潮をしないように釘を刺された。…ヒゲージ教授は森の恐ろしさを理解しているからか、他の教員に野営演習を見送るように忠告をしたそうなのだが、兵士科の教員に押し切られたらしい。


「おお、凄い装備。そういえばハルト君は狩人っていっていたね。…その鎧に使われてる甲殻って…、もしかしなくても竜種?」


 その声に俺がローブの下に着込んだ鎧に視線が注目する。鎧竜の甲殻はワイバーンの鱗などと違って竜種とは解かりにくいのだが、彼は一目でそれを看破した。


「…もし、鎧が盗まれたら半分はお前のせいだな」


「ごめん、失言だったね。でも、野営演習中は脱がないでしょ?それとも女の子としけこむご予定が?」


 そう言ってケラケラと笑う青年は、俺と同じ魔性生物学を履修しているコレットだ。平民でありながら、彼の名前は意外と広く知れ渡っている。それは彼の肩に居座っているレプタと呼ばれる一匹のヤモリのせいだ。


 全ての光を吸い込むような黒い身体に、怪しく光る真紅の目玉。捕獲不能と言われている渡り蜥蜴ウンブラスティリオ。彼はその一匹を従えているが故に入学して僅かしか日がたっていないというのにその名が知れ渡っている。


 初回の授業では興奮したヒゲージ教授がコレットに詰め寄ったが、すぐさまレプタは逃げ出した。


 渡り蜥蜴ウンブラスティリオが捕獲不能と呼ばれるのは、自身を影に変え、近場の影と影の間を瞬間移動するという能力のせいだ。如何に強固な捕獲装置であっても、影化と瞬間移動をする渡り蜥蜴ウンブラスティリオを捉えることはできないのだ。


 中には譲り渡すように迫る貴族もいたそうだが、コレットに付き纏っているのはコレットの意思は関係ないらしく、譲り渡そうにも譲り渡せないそうだ。現に学院で絡まれたときは、試しに渡そうと試みたところ、それを感じ取ってかレプタは影へと変化し、誰にも掴み取ることができなくなってしまったとか。


 俺がレプタを見詰めていると、その視線に気が付いたのか、レプタは影に変化してコレットの襟の中に入っていく。傍から見れば黒い染みが移動していくような状態だ。


「それにしても、意外と狩人の子が多くて心強いよ。タルテさんは同じパーティーなんだっけ?イブキさんは違うの?」


 コレットの視線が、近くでお喋りをしていたタルテとイブキに向く。二人ともローブの下は狩人の格好であるため、周囲の学生がらは浮いてしまっている。


「私は別口よ。戦い方が特殊だから何時もソロでやってるの」


 俺らの話が聞こえたのか、イブキが魔弩を撫でながらコレットの疑問に答える。彼女の視線は一瞬、俺の鎧に向けられる。…彼女は俺らが銀級だと気付いたとき、暫く不機嫌になった。まだドラゴンスレイヤーということは知られていないので、サフェーラ嬢にも口止めしてもらっている。


「イブキさん…!演習では後衛をお願いしますね…!前衛は任せてください…!」


「ちょっと…、大丈夫?演習だから私達は戦わないのよ?勘違いしていない?」


 まるで狩人として活動するときのように意気込むタルテにイブキが忠告する。演習では俺らは護衛対象だ。武装しているのは緊急時の自衛手段にしか過ぎない。俺らが持つのは剣ではなくペンの予定だ。


 四人で話し込んでいると、馬車が第一目標地点に到達する。王都の郊外にある森なので、移動にはそこまで時間が掛かることは無い。


 馬車から降りると、浮き足立った学生たちが湧水の森の入り口を見て騒ぐ。学士科の生徒は大人しい者が多いが、兵士科の者はそうではないようで、大声で生徒の歓声や教員の指示が飛び交っている。


 俺は軽く伸びをして、装備を確認する。そして、ナナとメルルを探すため、周囲を見渡すと兵士科の生徒と目が合った。


「…!?おい!なんで間抜けのお前が居るんだよ!?」


 俺に喧嘩を売るような声を掛けて来たのは入試で戦ったネイヴィルスだ。兵士科の集団の中から俺の方へ向かって歩いてくる。そしてその後ろでは慌てたようにしてホフマンがネイヴィルスを追いかけてきた。


「ネイヴィルス!何をやっている!直ぐに点呼が始まるぞ!直ぐに列に戻るんだ!」


「うるせぇな…!落ちた間抜けに挨拶してやるぐらいいいだろ!ていうか何でコイツが居るんだよ」


 ホフマンが俺に視線を合わせると、一瞬驚いたものの、すぐさま申し訳なさそうな顔をして軽く俺に頭を下げる。


 遅れて同じ班のメンバーなのか、他の兵士科の学生がネイヴィルスに集うと、強引に隊列へと回収して行った。


「申し訳ありません。お騒がせしました。…入試以来ですね。まさか学士科にいらっしゃるとは」


 ホフマンは俺らに謝った後、俺とタルテに軽く挨拶をする。


「久しぶり。もしかして、あの男、ネイヴィルスは俺を目の敵にしている感じか?」


「…ええ。彼はあなたも兵士科に入ったと思って随分探し回ってましたよ。…それで、失礼なのですが、兵士科に居ないようなので彼はあなたが学力で不合格になったと思い込んでいまして…」


「ぇええ…。あいつより頭が悪いと思われてるの?」


「もちろん、自分は違いますよ!…ただ、魔法兵士の方に進んでいると思っていました。まさか学士とは思いませんでしたよ…。とりあえず、今は点呼がありますので失礼しますね…!自分の方でもネイヴィルスは押さえておきますが…、再びご迷惑をおかけすることになるかもしれません…」


 ホフマンは早口でそう告げると、足早に俺らの元を去って行った。俺は、悩みの種が増えたことに馬車で吐いたときも大きくため息を付いた。


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