第171話 不穏な足跡の伸びる先

◇不穏な足跡の伸びる先◇


「まだ新しい…。できたばかりとまでは言わないが、ここを何者かが移動してからそう日は立っていない…」


 俺はしゃがみこみ、地面に残った足跡を検分する。水気の多い泥濘のような腐葉土の地面は誰が見ても解かるほど、しっかりと足跡を残している。中には岩ごけを踏み潰しており、靴底が解かるほどの足跡も残っている。


「高価な薬草なら…、手を着けないのは不自然ですわね。…通常の依頼であれば足跡程度、無視してもいいのですが…、今回の依頼は森の広域調査ですから、無視するのは気が引けますわね…」


 戦闘に慣れていない学生が森へと入るのだ。単に魔物を間引くだけでなく、何かしらの異変があればそれを調査してギルドに報告する必要がある。


「んん…。単にここに来た狩人が、この…水鳳花グラスフラワーだっけ?これが高価であることを知らなかった。…てことは流石に無いよね」


 ナナがそう発言をするが、言ってて無理があると思ったのだろう。途中で自身の発言を撤回した。


「ああ、鉄級の新人ならまだしも、ここまで入ってこれるような狩人が事前に高価な薬草を調べないはずが無い…」


 俺らにはタルテがいるからサボってしまったが、狩人にとって狩場で金になる素材は事前にギルドの資料で確認するのが当たり前だ。俺とナナがまだ二人きりであった頃、アウレリアで苔豚に目を付けたのも、そうやって事前に資料を調査したから知っていたのだ。


「えと…、じゃあ…手持ちがいっぱいで採集できなかったとかですか…?依頼の素材を運ぶので精一杯で…」


 今度はタルテが悩ましげに発言するが、その可能性も無いとは言えないがあまり考えづらい。そもそも高価な薬草を事前に調べるのは、依頼の最中にそういった素材を採集するためだ。薬草は大して嵩張らないが、ものによっては非常に高価だ。依頼で指定された素材を運んでいたとしても、小遣い稼ぎに薬草を採集する方が自然だ。


「依頼で精一杯っていうのはな…。ここまで来るような狩人なら余裕を持つものだ。んんん…時間的な余裕が無くて泣く泣く後にした…?それとも今の俺らみたいに、この場に来たときはまだ依頼が未達成でそちらを優先した…?」


 或いは金銭的な余裕があって水鳳花グラスフラワーを無視をした…?それとも、ここ以外にも水鳳花グラスフラワーの群生地があってそこで採集した?俺は顎に手を当てて思考を巡らせる。


 …ある程度は説明ができるものの、妙な違和感が鼻につく。人の痕跡がある高価な薬草の群生地が全く手付かずという状況に、不自然なものを感じずにはいられない。


「ハルトさん…水鳳花グラスフラワーは…、開花時期も長いですし…、薬効は時期に関係ありませんので…、確かに知っていれば見逃すことは無いはずです…!ですが、この群生地が手付かずなのは保証できます…!」


 タルテは考える俺を助けるためか、そう言って自分が採取した場所を指差した。タルテの指の先には、彼女が掘り返し、埋めなおした痕が残っている。水鳳花グラスフラワーは根ごと採集する薬草なのだろう。根ごと掘り返した場合、それらが復元するには一年以上かかるはずだ。


「なんか…妙な違和感があるだんよな…。この状況もそうだし、なによりこの足跡…。深さは、…柔らかい地面を考えれば普通だが、…なにかが…」


 俺は判明しない違和感を探るために声に出してそう呟いた。


「私達の足跡と比べて大きいから大人の足跡なのかな?よくハルトは足跡で色々推理できるよね」


 そういってナナが、自分たちの足跡と何者かの足跡を見比べる。俺も釣られるようにしてナナの視線を追うように視線を自分たちの足跡へと向ける。


 俺らの足跡と比べ、大きさもそうだが歩幅も大きい。…むしろ、足跡以上に歩幅が大きく感じる…。その瞬間に、俺の脳裏に電流が走った。


「そうか…!歩幅がおかしいし、踏み位置もおかしいんだ…!ナナ…!試しに足跡の脇を歩いてみてくれ…!」


「脇?歩くだけでいいの?」


 俺に促がされて、ナナは足跡と沿うように足を進める。その足運びを見て、俺は気が付いたことが間違いでないことを確信する。


「なるほど…。私にも解かりましたわ。以前、ハルト様に教わった山や森の歩き方。それを無視しているのですね」


 山や森では歩幅を小さく、段差にはなるべく近づいてから登る、苔や岩など滑り安い場所を避けて進むなどのコツがある。しかし、この足跡はそれらをことごとく無視しているのだ。言ってしまえば、この足跡は山や森に慣れていない者の歩き方だ。


「ということは…この足跡は狩人じゃないってことかな?それとも新人の狩人が無理してここまで来た?どちらにしても、それなら水鳳花グラスフラワーを知らないことに説明がつくね」


 ナナも納得したように自分が今しがた作った足跡と何者かの足跡を見比べる。


「ハルト様。痕跡を追えますか?湧水の森の奥に、そぐわないものの足跡。念のために調べておきましょう」


 メルルが足跡の進行方向を見据えてそう言った。ナナもタルテもその意見に賛成を示すように首を縦に振る。


「そうだな。願わくば新人の狩人が森に深入りしただけってことなら嬉しいんだが、大人の足跡だからなぁ…」


 俺らは僅かに残った痕跡を辿るようにして森の中を進んで行く。残念ながら雪原などではないため、いくら水気の多い土壌だとしても、延々と足跡が延びているわけではない。折れた小枝や、地面の勾配、そういった情報を元に細々とした痕跡を辿っていく。


 幸いにして、俺らが依頼のために計画したルートから大きく外れる事無く森の中を進んでいくが、それがかえって俺らの不安を掻き立てることとなる。


「…妙だな」


「…うん。妙だね。私達が考えたルートにかなり近い」


 森や山には道が無いように見えてしっかりと道は存在している。獣が使う獣道や、狩人が多用することで何時しか道となった山道や林道。そういった物が森の中に巡っている。


 しかし、今回俺らは野営演習での安全を確保するため、普段狩人の利用しない場所を選んで進行している。なぜなら危険が潜む場所はそういったところだからだ。


「森に慣れていないからこのルートを選んだってことはないよね?」


「慣れてないからこそ、通りやすい道を選ぶものだろ。…この足取りは人目を忍んだような足取りだ」


 俺とナナが不審げに地図と今までの道のりを確認する。


「良く解かりませんわね。森の歩き方が身に付いていないのに、狩人の通り道などの情報は入手している…」


 メルルも訝しげな顔をして辺りを見渡す。


「…あの、気のせいじゃなければ…。多分…多分ですけど…、演習の野営予定地に近づいている気がします…」


 タルテが小さく、それでいてしっかりと俺らに聞こえる声でそう呟いた。


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