第157話 ほぼ蟹のようなもの

◇ほぼ蟹のようなもの◇


「私も良く知らないんだけどね。なんでも、お母さんの恋敵?だったらしいわよ」


 よくよく聞いてみれば、俺の父さんが恨まれているのはくだらない理由であった。なんでも、その美貌で多数のハーフリング男子の目を釘付けにしていたらしい。彼らの青春のマドンナと言えば誰もが父さんの名前を挙げる。今なおその心に残り続けるハーフリング界の美姫。


 …流石は物作りの特異なハーフリングと言うべきか、彼らの間で非合法に父さんの絵姿も出回っていたらしい。そして彼女の父親がそれを所持していることを母親に見つかり、それはもう大層な修羅場になったのだとか。


「…それは、逆恨みと言っていいのでは?」


 美しいことは罪なのか。父さんはしょっちゅうその美貌でトラブルを引き起こしているな…。俺の父さんの逸話を聞いているのか、ナナは微妙な顔押して苦笑いをしている。


「知らないわよ。まぁ、私は当事者じゃないから思うところは無いけど…。…さっきは変な態度をとってごめんなさいね。悪い噂を聞いていたからちょっと警戒しただけよ…」


 そう言って彼女は羽の採取へと戻った。彼女としても俺の髪色に多少の興味があったから聞いただけなのだろう。彼女の母親は敵意を持っているとのことだが、彼女自身は俺や俺の父さんに恨みは無いらしい。


 …自身の家庭内不和の原因が父親の浮気?となればその相手を恨んでしまっても仕方ないとは思うが、その想い人が男となれば父親への呆れの方が強いのだろう。


「はい、毟り終わったわ。悪いわね。羽を貰っちゃって。…本当はお肉のお零れも頂きたいけど、私だけ貰うわけにはいかないものね」


 俺は差し出された鴫を彼女から受け取る。あまり大柄な鳥ではないので、彼女一人だけならともかく、乗合馬車の面子に振舞うとなると確実に足りなくなるだろう。今だって乗合馬車の中から指を咥えてこちらを窺っている幼女の視線に耐えているのだ。


 索敵のための風を広げて確認してみるが、生憎近場に晩御飯の姿は無い。せっかくならば食べられる存在が襲って来てくれればいいのだが…。



「おい!そっちからも来てるぞ!馬車に近づかせるな!」


 レオパレダスのペガルダの声が響く。今までは安全な旅路ではあったのだが、ここにきて急に魔物の襲来が増えた。これは恐らく領境に差し掛かっているからだろう。決して俺が襲撃を望んだからではない。


 街道の保全は領兵や騎士団の仕事だが、たとえ隣領と仲が良くて兵を差し向けることに問題が無い場合でも、活動拠点から最も遠い領境は何かと手薄になりがちだ。狩人も領境の魔物討伐依頼でもない限り、近場の狩猟場所で済ますはずだ。


 …といっても、主要な街道でこの有様はあまりにも酷い。もしかしたら狩人に依頼したと言うていで実際には依頼せず、浮いたお金でも着服しているのかもしれない。


 そうこうしている間に、俺らの左手に聳える森からも数体の魔物が飛び出してくる。厚く硬い甲殻と太い多脚を持つ蠍にも似た魔物、地走り蟹蜘蛛ヒュンドランドだ。因みに味は蟹に似て美味しいらしい。


「タルテは牽制、ナナはその取り逃しの討伐を頼む!メルルは右方の警戒をしてくれ!」


 俺は三人に声を掛けながら、馬車に近づく地走り蟹蜘蛛ヒュンドランドに相対する。タルテの投げる投石によって地走り蟹蜘蛛ヒュンドランドはその数を減らすが、大型の個体はその頑丈な甲殻で投石を耐えてこちらに駆け寄ってくる。


「ハルト。誘導よろしくね。火魔法いくよ!」


「おう!」


 ナナの放った火魔法が俺の風に乗って地走り蟹蜘蛛ヒュンドランドに着弾する。その轟音に驚いたのか乗合馬車の中から短い悲鳴が聞こえるものの、馬車に迫る危険は全て取り除くことができた。


 身を焦がした地走り蟹蜘蛛ヒュンドランドが手足を縮ませて息絶える。商隊キャラバンのほかの場所でも次々と討伐が完了していく。虫型の魔物は高度な社会性を築くものの、それは本能から来るものであって学習によって齎されるもののではない。


 こいつらは人間を襲うと手痛い仕返しを受けると学習することも、恐怖心に囚われることも無い。ただそこに餌があれば本能に従って向かってくるのだ。恐らく、新しい群れがこの辺りに居ついたのだろう。


「ほへぇ…。これで全部倒せませたかね…?」


「反対側は特に敵影はありませんわ。静かなものですわね」


 タルテが息を吐きながら辺りを見回す。俺は火魔法にて上がった煙を風で吹き飛ばしながら、同時に辺りの索敵を行う。まだ瀕死の状態で動いている地走り蟹蜘蛛ヒュンドランドもいるが、襲って来ようとする個体は存在しない。


「おう!手が開いた奴らは後ろの馬車にこいつら積み込んどけ!こいつらは意外と美味いぞ!」


 瀕死の個体に止めを刺していると、死体を後ろの荷馬車に積み込むように指示が飛ぶ。


 護衛依頼の最中に狩った獲物の権利は依頼内容にも寄るが、基本的には狩人に帰属する。しかし、俺らにはメルルがいるから闇魔法によって腐敗を防げるが、時期によってはその日に獲れた獲物はその日に食べる必要があるため、今回のように沢山獲れた場合は無料で全員に振舞うのが一般的だ。


 この地走り蟹蜘蛛ヒュンドランドも今晩の全員の晩飯へと化ける事となるのだろう。過剰積載気味にはなるが、荷馬車の上に地走り蟹蜘蛛ヒュンドランドの死体が積み重なっていく。その間にも何人かの斥候が走り回り、周囲の安全を確認して再び商隊キャラバンが進み始める。


 俺も風の索敵を維持したまま、乗合馬車に合わせるように進み始める。森の中は静まり返っており、他の魔物の影は見られない。先ほどの地走り蟹蜘蛛ヒュンドランドがいたため、他の魔物が一帯から追い出されていたのだろう。


 しかし、唐突に俺の索敵に新たな存在が飛び込んでくる。


「後ろ!何か来るぞ!」


 俺が叫んだタイミングと、何者かが馬車を襲うのは同時であった。俺の索敵は不定形の風の領域であるため、基本的には横方向に伸ばしている。そのため下方向や上方向からの襲撃にはその分感知が遅れるのだ。


 襲撃者が襲ってきたのは遥かな上空から。高高度から獲物に向かって急降下する金切り鳥。本来は人を襲う魔物ではないのだが、今、後方の馬車には奴の餌となる地走り蟹蜘蛛ヒュンドランドが積まれている。


「こりゃ晩飯がいくつか盗られるな…」


 こちらに飛んで来てくれれば俺の風で飛行を妨害したり、タルテやメルルの魔法でしとめることができるが、奴は獲物をとったらすぐさま上空に逃げるだろう。流石にここから後ろの馬車に魔法を飛ばすわけにも行かない。


 後ろの馬車を守っていた傭兵も追い払おうとするが、高く積み上げたために傭兵の剣も届かない。金切り鳥はそのまま地走り蟹蜘蛛ヒュンドランドを掴むと翼を羽ばたかせて空に向けて飛び立った。


「…あなたたちが獲らないのなら、私がとっても構わないわね?」


 そんな声が聞こえたのは乗合馬車の中。ハーフリングの女の子が、自身のクロスボウを取り出してそう言ったのだ。


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