第148話 デウスエクスノンナ

◇デウスエクスノンナ◇


「あー!いいね!いいね!凄いきてるよー!…じゃあ次は大胆に足開いてみちゃおうか?」


「…ハルト様。なんですかその気持ちの悪い掛け声は…」


 戦いから次の日、そこには元気に走り回るペスカの姿があった。妖精化により傷が回復した…、というよりも農家と幼子の守り犬カペルスウェイトとして新たな生を受けたことにより完全に回復している。


 相変わらず、こちらの言葉が通じるほど賢いので、現在は俺の目の前でスケッチのモデルをしてもらっている。メニアちゃんに撫でられながらも要望に応えて俺に向けてポーズを取ってくれている。


 妖精犬は比較的数の多い妖精といわれているが、珍しい存在であることは変わりない。そして、妖精になる瞬間に立ち会えるなど狙ってできるものではない。変化の瞬間はなりより、変化前と変化後をしっかりと比較できる機会など歴史書を開いてもまたとない機会なのだ。そのため、昨晩の片付けを村人に任せて、俺はこうして記録を取っているという訳だ。


「ハ、ハルト…!な、なんて所を描いてるの!?」


 俺の後ろからスケッチを覗き込んでいたナナが、顔を真っ赤にして俺の体を揺する。


「え…?いや、その…生物学的なスケッチでは生殖器の記録は、よくあることで…」


 スケッチは美術的な目的ではなく、学術的な目的で描いているのだ。そこにやましい気持ちは無い。…というか犬の生殖器だぞ?


「クゥゥウウン…」


 ナナの言葉で俺が何を描いているか理解したのか、恥ずかしそうにしながらペスカが足を閉じる。何で犬の癖して恥ずかしがってるんだよ…。


「せいしょくきってなーに?」


「メニアちゃん…。あなたはまだ知らなくて良いのよ…」


 メルルがさり気無く俺のスケッチからメニアちゃんの視線を逸らさせる。メニアちゃんにとってもそこまで興味が無かったのか、再びペスカを撫ではじめる。ペスカは農家と幼子の守り犬カペルスウェイトとなったものの、外見上の変化はあまり認められない。しかし、メニアちゃんがその体を撫でると、毛先から妖精光と呼ばれる燐光が空中に漂うように飛び出ていく。


「ハルト様…。ただの犬が妖精犬となるのは普通なのでしょうか?」


「かなり特殊だな。妖精化は単に妖精が生まれることとはまた別のものだ」


 精霊が生れ落ちるときに知性のある生物が影響すると、それは妖精となるのだが、生物そのものが妖精へと変化することは特別な事例といっても過言では無いだろう。


「幾つもの偶然が重なって起きた事象だ…。事の発端は恐らく磔の儀礼槍スケアクロウだな。あったんだよ。この地にも影響が」


 仮説でしかないが、かの呪物の影響がペスカの変質の下地を作り出したのだ。話を聞いた限り、ペスカは森で暮らしながらも、人の生活に寄り添っていた。森のことわりに囚われながらも、メニアちゃんと共に生きようとした。二つの世界の境界に跨る不安定な存在であるが故に、影響を受けやすいのだ。


 犬でも無く、狼でもない狼犬。中途半端な存在。歪み易く、それでいて強烈な個性を示す。


「その下地があった上に、今回の騒動だ。…死に瀕したところに、タルテの回復魔法を一身に浴びた」


 俺はメニアちゃんと一緒にペスカをなでるタルテに目線をやった。


「はい…。私も感じました。その…、私の魔力を吸い取って…。あれは変質したのでしょうか…?」


「タルテは木魔法の素質があるからな。農家と幼子の守り犬カペルスウェイトはタルテと同じように豊穣を齎す存在だ。…おそらく、タルテの魔力が方向付けたのだろう」


「えへへ…。てことは私がお母さんみたいな感じですか…」


 そう言ってタルテは照れながらもペスカとメニアちゃんを撫でる。一人と一匹は気持ち良さそうに目を細めている。


 ペスカはそのままメニアちゃんのお腹に顔を埋めて頭を擦りつけた。


「…昨日、森であったとき以上に懐いてるね」


「ああ、決心したからだろ。農家と幼子の守り犬カペルスウェイトは人や村に寄り添う存在だ。死に掛けて最後に願ったのが、メニアちゃんと過ごすことだったというわけだ」


 俺は羊皮紙にスケッチを描きながらそう言った。妖精になるほどの純粋な思い。俺はその想いに眩しさを感じ、目を細めてしまう。


 しばらくそうしてスケッチを続けていると、俺らの元に三人組が足を運んできた。ポレロさんとグルカさん。そしてノンナさんだ。


「おう…。お前ら、戦い明けとは思えないほど賑やかだな…」


「はは、彼らはみなまだ若いですから…」


 グルカさんとポレロさんが年寄り臭いことを呟く。グルカさんはまだしも、ポレロさんは相当疲れているようだ。まぁ、ポレロさんが出発を遅らせる判断をしてくれたおかげで、俺もこうやってスケッチをする暇ができたわけなのだが。


「…それで、あの二人はどうなりました?」


「ああ、牢屋でまだ騒いでいるよ。…どうやら、ダンクスは弟を助けたくて拘束を外したらしい…」


 二人の仲は悪いように思えたが…、ダンクスは意外と弟のことを案じていたのかもしれない。行動の善悪とはまた別問題ではあるが…。


「村長候補の二人があんなことになってしまいましたけど…。村は大丈夫ですか?」


 あまり聞いていい話題には思えなかったが、下手に関ってしまったために気になり尋ねてしまう。


「ああ…それは、まぁ…村長の妹が継ぐことになるだろうな…」


 少し話し話しづらそうにしながらもグルカさんがそう呟いた。


「そんな人がいたんですか?…その人はまともで?」


「はは。皆さんもご存知の方ですよ。グルカさんに嫁いだことで村長家からは出たのですが、まぁ…こんな有様ですから、村長の仕事を引き継ぐことになりそうですよ」


 そういってポルカさんはノンナさんに視線を向けた。俺らはその視線が何を言っているかを理解して驚愕と共に彼女を見詰めた。


「アタシがその村長の妹で、この唐変木の妻だよ。これでも昔は村長の仕事を手伝うために街に出て色々学んできたからね」


 ノンナさんは居心地を悪そうにしながらも苦笑いを浮かべながらそう答えた。聞けば、この村にあまり似つかわしくないグルカさんは、結婚と共にノンナさんがこの村に引っ張ってきたらしい。今度はグルカさんが居心地を悪そうな顔をして目を逸らした。


「彼女はアウレリアの商業ギルドで辣腕を振るっていた方ですからね。…辞めるときは随分引き止められたらしいですよ?」


「ちょっと、あんまりあのときのことは話さないでおくれよ。こっちはアンタが起した失敗談を暴露してもいいんだよ?」


 そう言ってノンナさんはポルカさんの背中を笑いながら叩く。どうやら二人は彼女が商業ギルドに勤めていたときからの知り合いらしい。


「…その、ノンナさんは村のために商業ギルドに勤めたんですか?」


 ナナが神妙な顔をしてノンナさんに尋ねる。どうやら彼女の琴線に触れる何かがあったらしい。


「まあねぇ。ここはアタシの故郷だから、何かしらの力になりたかったのさ。…まぁこういう選択肢が取れるのも、あのころ頑張ったおかげかも知れないね」


 ノンナさんの回答を聞いて、ナナはゆっくりと噛み砕くように首を縦に振った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る