第101話 ご飯が逃げたぞ

◇ご飯が逃げたぞ◇


「おい!そっち行ったぞ!既に手負いだ!確実に仕留めろ!」


 森の中からおっさんの大声が響く。そして、よろめきながらも確りと地面を踏みしめる振動と血の匂いが俺の元にも届き始める。


「…ハルト。出張るのかな?」


「ここまで近づかれたんなら、俺が殺しても構わないだろ。手早くやってくるさ」


 俺は持ち場を離れて、前方の森の中へと身を踊りだす。…標的は直ぐ目の前へと迫って来ている。俺は音を立てぬように木の幹を蹴り上げ、上空から舞い落ちるようにして標的に飛び掛った。


「ブギヒィィイイイ!!」


 俺のマチェットが首の頚動脈を断ち切り、牙猪は数歩ほど進んだものの崩れ落ちるようにして息絶えた。


 俺らは絶賛森の中での狩猟の最中だ。本来であれば、補給物資も得られたため直ぐにでも出立する流れではあったのだが、謎の集団の襲撃があったため無策での進行は危険だと判断され、一旦、カルムロウの街近くの野営地にて足踏みすることとなったのだ。


 そのため一部の人間は調査に回り、もう一部の人間…俺らを含む十数人は伸びてしまった予定に備えて、近場の森で食糧確保をしているというわけだ。


 俺らを狙う集団がいるため、危険な行為ではあるのだが、背に腹変えられないとういのが実情だ。…街の人が食料売ってくれないのですもの。


「おお、妖精の。流石は投擲戦斧フランキスカだな。もう仕留めたのか」


 俺の背後から、おっさんの声が届く。急いで駆けつけてきてくれたのだろう。頭や身体に葉っぱがついている。


「ええ、都合よくこっちに向かって来てくれてましたからね。こいつは俺が運んどきますよ」


「おお、悪いな。頼んだぞ」


 おっさんは、身を翻して再び森の中へと消えていく。俺は牙猪の足を掴みナナとメルルの元へと引きずって移動しはじめた。


 森の繁みを強引に掻き分け、岩や丸石が堆積した川原に戻る。そこでは二人が他に仕留めた牙猪の解体を行っている。ちなみにタルテは残念ながら野営地で留守番だ。狙われている可能性があるため、野営地から出るわけには行かないのだ。


 別行動となるのはそれはそれで不安があるが、野営地ではエイヴェリーさんが目を光らせている。俺らと共に狩りに出るよりは安全だろう。


「お、ハルト。おかえり。大物だな」


 身の丈近くの牙猪の肉塊を持ち上げながら、ナナが俺を迎え入れてくれる。グロテスクな現場ではあるのだが、騎士のような格好のナナだと不思議と絵になってしまう。美人は得とはこういうことなのだろう。


「ハルトさん。折角近場で仕留めたのですから、直ぐにでも冷やしましょう。こちらに持ってきていただけますか?」


 川の浅瀬で膝下まで水に足をつけたメルルが俺に声を掛ける。メルルの白磁のような足が露になっており、つい視線が行ってしまう。


 獣の解体をするうえで、血抜きが重要視されることがあるが、それよりも重要なことは血肉を冷やすことである。血液というものは死後、凄い勢いで腐敗が進む。コンプレッサーや注水を行わない血抜きの場合、僅かに残った血液が腐敗し臭みを放つのだ。


 そのため、肉食性の生物のいない河川が近くにあるのならば、その場で血抜きをするのではなく、川まで運んで流水に浸しながら血を抜いたほうが良いといわれている。渓流のある狩場の基本はこれだ。


「さぁ…闇の女神の祝福を…冷たき夜の安寧を…」


 なお、闇属性の魔法使いがいる場合はその限りではない。闇の女神の祝福を施すと、腐敗が極端に遅くなる。闇の女神の神殿の加工食品が人気なのは、なにも乙女が作ったという付加価値だけでなく、実際に美味しいからなのだ。


 メルルの場合、闇魔法で腐敗を抑え、水魔法や血魔法にて血抜きを行える。さらには血魔法にて解体もできるのだ。正に食肉加工のスペシャリストだ。メルルがいることもあり、俺らは討伐ではなく、解体に回っている。…まぁ狩人のランクが低いということもあるのだろうが…。


 俺が持ってきた牙猪に闇の女神の祝福が施され、切断された血管に向けて渓流の水が流し込まれる。死体から流れ出た血は川の水に混じり下流へと消えていき、僅かに残った血の匂いも俺の風により上空へと散らされる。ここまですれば、血の匂いを感じて余分な魔物が来ることも無いだろう。


「ハルト、ほらこっちも手伝ってよ。吊り上げをお願い」


「あいよ。上に登るから縄を投げてくれ」


 ナナに言われて俺は、風の力を借りて幹を駆け上る。そうして、太い枝に着地すると、ナナから投げ渡された縄を掴み、縄を引き上げることで結ばれた牙猪を宙吊りにする。


「…ねぇ、ハルト。…ハルトは何でタルテちゃんが襲われたと思う?」


 ナナが、牙猪の皮を剥ぎながら呟くようにして俺に尋ねる。


「…俺にも解からんな。今頃エイヴェリーさんが調べてくれていると思うが…」


 本来だったら俺らも調査に加わりたかったのだが、忍び込むようなとこに行く予定はまだ無いとのことで、今回は狩猟に回されている。


 …というより、他にも裏切り者がいる可能性があるため、調査は全て流浪の剣軍で行われている。そして、それ以外のパーティーは遠ざけるように狩猟に回されたのだ。


 エイヴェリーさんが俺らを疑っていると言うことは無いだろうが、ここで特別扱いをされては角が立ってしまう。そのため、狙われているタルテを除いて俺らも狩りに加わっているのだ。


「結局、理由は何であれ私達がやることは変わらないでしょう…?」


「まぁ、そうだよね。何が来てもタルテちゃんを守らなきゃね…」


「なに、タルテも立派な狩人だ。俺らに守られるだけの存在じゃないさ」


 現に昨晩は見事に敵をいなしたのだ。そう話し合いながら、俺らは解体を進めていった。


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