第86話 姑獲鳥の理

◇姑獲鳥の理◇


「あぶなかったねー。みんな平気かなー」


 俺らの後方から間の抜けた声がする。浮遊する剣を携えて、魔銀ミスリル級の狩人が姿を表した。戦場を歩くには余りにも軽やかな足取りだが、そこには熟練の狩人の余裕が感じられる。


「エイヴェリー殿…!?来て下さったのですか…!?」


 普段なら胡散臭いと言ってるが、この鉄火場においてはエイヴェリーさんの参戦は何よりも心強い。


「エイヴェリー叔父さん…ありがとうございます」


「はいはーい。…ハルト君はちょっと手酷くやられちゃった感じかな?」


 エイヴェリーさんは泥だらけで片方の剣を失った俺を見ながら呟いた。…流石にこの状況では余裕で勝てたなどと嘯くことは出来ない。悔しいがエイヴェリーさんが来ていなかったら危なかっただろう。


「ハルト様…。まだ安心する余裕はありませんよ…」


 そう言ってメルルは俺の袖を引きながら愛を語る人ギャン・カナッハの方を指差した。


「エェェエエエェエ…ィイィ…アアァァアァアアア!!」


 奴ははエイヴェリーさんの剣により地に縫い付けられ、さながら昆虫標本のような有様だ。しかし、力任せに暴れ、自身の肉を裂くようにして抜け出そうとしている。


「うーん。…他のパーティーに比べて手札は多い様だけどー、今回はピンポイントで君らの弱点を付かれた感じかなー」


 …弱点っていっても、愛を語る人ギャン・カナッハに対しては男を増やすしか無いだろう。…俺は嫌だぞ。流浪の剣軍のようにおっさんだらけのパーティーは…。


「…別に愛を語る人ギャン・カナッハの対策は男をそろえるだけじゃないよー?」


 俺が微妙な表情をしていることに気が付いたのだろう。エイヴェリーさんは苦笑いしながら呟いた。そして、腰元から一振りの短剣を取り出す。赤い不気味な色合いの十字型の刺突短剣ミセリコルデだ。


 エイヴェリーさんがその短剣を射出し、愛を語る人ギャン・カナッハの眉間に突き刺した。


「ィヤァァァアアアアアアア!!」


 愛を語る人ギャン・カナッハは、眉間に突き立った短剣を取ろうと暴れるが、不思議とその剣が抜けることは無い。…俺が顔面にマチェットを突き刺したときは平然としていたのに、急に痛覚を取得したかの如く苦しんでいる。


「あれはねー。スクラントンの受戒剣。強固に世界を歪める呪剣はー、何よりも現実を縫いとめるのさー」


 そう言って笑いながら、エイヴェリーさんは浮遊剣を鞘に納めていく。


 魔法は、現実の改変だ。万物の理論に反していれば魔法の難易度も上がっていく。万物の理論という世界構築の魔法と、魔法使いの魔法が拮抗するからだ。


 そして、それは魔法使い同士の魔法構築も同じ話で、相反する内容の魔法が重なった時、より魔法の強度が高いほうにて上書きされる。


 恐らく、あの呪剣はその剣身にたっぷりと呪いが溜め込まれている。それこそ、呪いありきで剣身が構築されているかもしれない。そんな代物が眉間に刺さっていれば魔法の構築などままならないはずだ。


 世界の狭間、朧げな幻想を住処とする妖精にとっては、その呪剣は自身の存在さえも脅かす代物だろう。


「メルルちゃんだったよね?その闇魔法は解いて大丈夫だよー。シスターちゃんの方は繋がりが断ててそーかなー?」


「助かりましたわ…流石にそろそろ限界が近かったのです…」


 メルルが汗を拭いながら月の羽衣ムーンヴェールを解除する。タルテさんはナナに背負われたシスターイルナの容態を確認する。先ほどまではいくら回復しても青白い肌であったのだが、今では見る見るうちに肌に赤みが戻っていく。


「大丈夫です!元気になってます!」


 タルテさんが跳ねるようにして喜びながら声をあげる。


「それじゃー、みんなー撤収準備してー帰ろーかー」


「エイヴェリーさん。救出優先ということですか?…今後も考えればここで仕留めた方が良いと思いますが…」


 愛を語る人ギャン・カナッハはスクラントンの受戒剣を受けて苦しんではいるものの、これだけで滅ぼせるとは思えない。


「あーそれは大丈夫ー。寧ろ早く離れたほうがいいかもねー」


 俺は疑問に思いながらもマチェットを手早く回収する。依頼を受けたのは妖精の首飾りで、判断の責任があるのはリーダーのこの俺だ。


 しかし、この場でもっとも狩人として位階の高いエイヴェリーさんが撤収を唱えているのだ。俺は他の面子にも撤収の指示を出す。


「ハルト…怪我の方は大丈夫…?」


「あぁ。大丈夫だ。あっちこっち擦り傷があるが、骨や筋は問題ない」


 ナナが心配しながら俺に尋ねる。俺は平気であることをアピールするために腕を回して笑って見せた。


 俺らは後ろで悶える愛を語る人ギャン・カナッハを一瞥して、その場から退避する。


「…ハルト君はさー、愛を語る人ギャン・カナッハを仕留めるには何が一番有効だと思うー?」


 霧の消え去った平原を進みながら、エイヴェリーさんが俺に声を掛ける。その質問は、愛を語る人ギャン・カナッハをそのままにすることを疑問に思う俺の心を見透かしたものだろう。


「それは…光魔法か闇魔法が有効かと。あの呪剣が刺さった状態なら、メルルとタルテさんが攻撃に加わることができます」


「そうそうー。光魔法。もうすぐこの領で一番の光魔法使いが来るんだよー。だからもう僕らは見てればいいのさー」


 エイヴェリーさんはそう言って前方を指差す。


 …その瞬間、周囲に何柱もの光の柱が天高く伸びた。朝日の如く闇を切り裂く強烈な光。その光に照らされ、こちらに駆け寄る一人の女性。


「…マザーサンドラ?」


 その顔は憤怒に染まり、見ただけで俺の肝さえ冷やす迫力がある。


 彼女はこちらに視線を向けるが、タルトさんやシスターイルナの様子を確認すると、すぐさま俺らの背後で暴れる愛を語る人ギャン・カナッハにその目を向ける。


「エイヴェリー…あいつが、今回の元凶…。我が子らを誑かした奴で間違いないな…?」


「そうだよー。あんななりだけど、あいつが愛を語る人ギャン・カナッハさー」


 怒気を孕んだ声でマザーサンドラが尋ねるが、エイヴェリーさんはいつもと代わらぬ間の抜けた声色で答えた。


「そうか…こいつがそうなのだな…。見つけたぞ…!世界の歪みィイ!」


 マザーサンドラは修道服をはためかせ、司教杖バクルスを構えて愛を語る人ギャン・カナッハに一歩一歩近づいていく。


 踏みしめた足跡はそれだけで光を放ち、それが作り出す光景は憤怒に染まる彼女とは異なり、神聖なるものを感じてしまう。


「千の子を孕みし日照りの邪神よ。宵闇の底において、我が身を暁として顕現せん…」


 マザーサンドラは司教杖バクルスを掲げ上げ、呪文を唱えていく。それにあわせ光の粒子が辺りに広がり満たされていく。


「我は神の代理人。神罰の代行者。法を守る銀の光よ、滅びと成りて降り注げ。真理は決して滅びないウェーリタース・ヌンクァム・ペリト!」


 天高くにて集まった光の粒子が束ねられ、天使の梯子エンジェルラダーのように地上に降り注ぐ。その光量は辺りを一時的に昼間にするほどだ。


 …エイヴェリーさんが早く離れようと言ったのも頷ける。何かの間違いであの魔法に巻き込まれたらひとたまりも無いだろう。


 数秒の後、再び辺りは夜を取り戻したが、愛を語る人ギャン・カナッハは、付近一帯を巻き込んで跡形も無く消え去っていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る