第85話 愛を追いすがる老人

◇愛を追いすがる老人◇


「…なんでこんな酷いことするの…?…ねぇ!なんで!?」


 ナナの爆炎を浴びた愛を語る人ギャン・カナッハは、身体やご自慢のフェイスが火に炙られ、崩れるようにして霧へと変わっている。


「おいおい。化けの皮が剥がれて、中身が見えてきてるぜ…?」


 厚かましい野郎だと思ったが、文字通りその顔は厚顔であった。霧の中から出てきたのは、奴の本来の顔。疎らに髪の生えた禿頭に、痩せ細り骨ばった身体。月光を浴びて輝くほどの青白い肌は瑞々しいものの、老人の様にしわだらけだ。


 酷く落ち込んだ眼孔は闇を蓄え、それでいて奥底では瞳が怪しい光を放っている。手足は細長く、体高も幾分伸びたように感じる。


「キィィィイイイイイイイイイイイ!!」


 愛を語る人ギャン・カナッハは金切り声と共に腕を振り回す。その様は正に癇癪をおこした子供だ。


 本来の姿になったためか、それとも多少なりとも負荷を与えたためか、周囲の霧も大分、薄まって来ている。その分、輝きを増した月光が奴の青白い肌を暗闇の中に不気味に浮かび上がらせている。


「とうとう本性を現したってことか…!」


 呪詛が通用しないことに気付いたのか、奴は俺に飛び掛ってきた。俺は腕を掻い潜って奴の身体を斬り付ける。相変わらず血は出ないが、濃度の高い霧がそれこそ血潮の如く吹き出る。まるで乳白色の血液だ。


 しかしながら、腕を切り飛ばしても断面がすぐさま接合され、怯む事無く俺に向かってくる。


「アア…ァアア…ウァァァアアアアアア!!」


 武術の欠片も無い単調な動きではあるが、問答無用でこちらとの距離を詰め、掴みかかって来るのはかなり厄介だ。…通常の生物であれば、致命傷になる箇所を切りつけているのだが、奴は気にする素振りもない。


 それどころか体に黒い風を…、呪詛を纏うようになりより攻撃も苛烈になる。骨ばった腕を振っただけだが、腕が当たった木々がひしゃげ、木片を飛ばす。


「…!?そんななりでフィジカルモンスターかよ…!?」


 バックステップで背後に退避しながらも斬り付けるが、愛を語る人ギャン・カナッハは勢いを落とす事無く暴れ続ける。


「ぐうぅっ…!?」


 ついにはその腕が俺を捉え、マチェットにて防いだものの、飛ぶ羽虫を叩き落すが如く地面に叩きつけられる。勢いを殺しきれず、そのまま地面を足裏で削りながら滑走する。


「ナナ!魔法を頼む!」


 俺は手を振り上げ周囲の風を操る。その風でナナから飛んできた複数の炎の魔弾フレアオーブを捕らえ、手を振り下ろすと共に、上空から炎の魔弾フレアオーブ愛を語る人ギャン・カナッハに向けえて打ち下ろす。


「ィヤァァァアアアアアア!!!」


 嫌がらせにはなったが、余り効果は無かったのだろう。炎の中で金切り声と共に地面を手で叩く音が響く。元気いっぱいである。


 俺はチラリとナナやメルル、タルトさんの様子を確認する。…メルルの展開している月光のヴェールの向こうにて、未だにシスターイルナは地に伏している。魅了チャームの影響は無いようだが、相変わらずタルテさんもメルルも手が離せる状況ではない。


『…ナナ。シスターイルナを抱えてこの場から離脱できるか』


 現在は俺が愛を語る人ギャン・カナッハ敵対心ヘイトを稼いで立ち回ったため、四人との距離がだいぶ開いている。


 戦闘が膠着状態の今、シスターイルナの身を考えるのであれば、この隙に離脱を図るのも一つの手だ。メルルには移動にあわせて複数回魔法を使ってもらうことになるだろうが、俺が敵を引き付けていればそれも可能だろう。


『霧も薄くなっているから…出来るとは思うけど…。ハルトは一人で平気?」


『残念ながら、決め手に欠ける状況だからな。無理をせず遅延戦闘に徹するよ』


『わかった…。気をつけてね』


 ナナを返事を聞くと共に、再び愛を語る人ギャン・カナッハと距離を詰める。大口を開けて叫び声をあげる顔面に向けてマチェットを突き立てるが、肉を断つような鈍い感触はあるものの、骨の感触は無い。それどころか、顔に刃が刺さっていると言うのに構わず反撃をしてくる。


「ヤァアアア!イヤァァァアアアア!!」


「お前…!ホントどんな体してんだよ!」


 俺が今までに付けた傷や、ナナの火魔法にて付けた傷も既に治っている。今は付けたばかりの顔面の傷から滴るほどに濃い霧を撒き散らして、俺を捕まえようと手を振り回す。その腕を掻い潜りながら、俺は嫌がらせのように細かく斬り付ける。


 傷を付ければ付けるほど、周囲の霧は薄くなってきている気がする。恐らく、治療に力を消費しているのだろう。それにシスターイルナとの距離が離れていっているためか、治療の速度もだんだんと遅くなっている気がする。


「イィィイィィィ…。…アァ…?」


 そのことに奴も気付いたのだろう。唐突に動きを止めると、顔を上げて周囲を見渡す素振りを見せた。そして、既に肉眼では豆粒ほどの大きさになった四人に視線を向けると、両手で顔を引っ掻きながら、より一層大きな叫び声を上げた。


「アアアァァァァアアァァッァアアアアアア!!!」


 しまったと思いその顔を切りつけるものの、時既に遅し。愛を語る人ギャン・カナッハは俺を無視して四人に向かって走り始めた。


「そっちに向かった!注意しろ!」


 風で声を送る余裕も無く、俺は叫び声で連絡を取る。そして同時に背後から飛び掛るようにして斬り付けるが、その歩みを止める事が出来ない。…猫背で、細長い手足を乱雑に振り回すような走り方だが、異様に速い。瞬く間に四人との距離が縮まっていく。


「ァァアアァァアアァアァアアア!」


「おいおい!今は俺だけを見てくれよ!」


 足にマチェットを叩き込み、完全に切断するが、相変わらずすぐさま接合される。傷口からは霧が漏れ出しているが、移動には問題が無さそうだ。


 だんだんと近づいてくる四人の影が俺に焦燥感を与える。俺は前方に回りこんで、背後に風を圧縮させる。


「くそっ…!捨て身の突進ブレイヴバードだオラァ!」


 正面から奴の鳩尾に向けて突進をする。


「アアアアァァァァアァアアアア!」


 しかしながら金切り声を上げる愛を語る人ギャン・カナッハは歩みを止めることはない。それどころか突進の隙を突いて俺の脚を掴み、そのまま引きずり始める。


「…ぐぅうう!この野郎…!!」


 マチェットで脚を掴む腕を斬り付けるが、俺の脚を離すことは無い。今度は走りながら俺をおもちゃのように振り回して地面に叩きつける。


 俺は骨が軋む音を聞きながら、その衝撃を耐える。


「好き勝手してんじゃねぇよ…!」


 俺は地面に叩きつけられた瞬間に、愛を語る人ギャン・カナッハの脚を地面に縫い付けるようにマチェットを突き立てた。


「ィヤァァアアアアア!」


 愛を語る人ギャン・カナッハは俺を前方に投げ捨てる。俺はそのまま地面を転がり、四人のすぐ近くに投げ出される。


「ハルト様!大丈夫ですか!?」


 メルルが俺を抱えるようにして起き上がらせる。すぐさま、後方を確認するが、愛を語る人ギャン・カナッハはマチェットで地面に縫い付けられた脚を引きちぎるようにして、なおこちらに進もうとする。


 そして奴はシスターイルナに向けてその細長い腕を伸ばす。


 ナナはシスターイルナを負ぶった状態で愛を語る人ギャン・カナッハに向けて魔法を放つが、それでも奴は怯むことがない。


 これ以上の接近を許せば、シスターイルナの安否はもとより、魅了チャームの影響があるかもしれない。


 俺は痛む手足を奮い立たせ、一本になってしまったマチェットの切っ先を愛を語る人ギャン・カナッハに向けた。


 …そして、その瞬間、愛を語る人ギャン・カナッハに向けて、複数の大剣が墓標のように突き立った。


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