第78話 ここがあの女のルームね

◇ここがあの女のルームね◇


「何…アンタたち…」


 俺らは情報収集のため、タルテさんの案内のもと最初の被害者であるアマンナさんの部屋を訪れていた。葡萄畑に面した机と寝具だけの小さな個室。大人数で入るには少々手狭な部屋であるため、聞き取りはメルルに任せて俺とナナは部屋の入り口で待機している。


 シスターアマンナはベッドから上半身を起した状態で、無気力な顔をこちらに向けていた。顔色は病人のように白く、目の下には深い隈が出来ている。


「始めまして。シスターアマンナ。私はメルルと申します…実は近くの住宅地で起きたとある事件を追っていまして、目撃証言を調べているのです」


 聞き取りを行うにあたり、タルテさんに注意されたのは直接的に例の男のことを尋ねないと言うことだ。何でも、例の男を狙っていると勘違いし激昂するそうだ。そのため、男である俺が聞き取るという案もあったが、一度、男性の修道士にお願いして聞き取りを行ったが、同様に激昂してしまったらしい。


 …タルテさんが言うには、シスターアマンナはめったに怒らないような人らしい。その点でも彼女の今の状態は異常とも言えるだろう。


 勿論、近くの住宅地で起きた事件と言うのはでっち上げだ。事件の起きた日取りは一ヶ月近く前の彼女の休養日。つまりは、アマンナさんと例の男が出会ったであろう日だ。


「ああ…ああ…。その日は…良く覚えているよ。…彼と私が出会った日…」


「何時頃に、どこで何を見ていたかを教えていただけますか?事件に関係してなくてもよいのです。何も無かったという情報が次の情報の手がかりになりますので…」


 アマンナさんは呆然としような顔をしながら、焦点の合わぬ目を彷徨わせる。…まともに思考が出来ていなさそうだが、メルルの言葉はちゃんと伝わっているのだろうか…。


「シスターアマンナ…。あの日は休日ということで、外に出ていましたよね?どこに行っていたのですか?」


 タルテさんがアマンナさんの背中を摩りながらメルルに答えるように促す。


「…あの日は…お昼を食べようと…外に…気になっていたお店…薬草通りに…新しく出来たところ…」


 アマンナさんは、捻り出すかのように小声で呟く。視線は相変わらず定まっておらず、俺らに向かって聴かせているというよりも、それこそ単なる独り言のような語り口だ。


「…そこで…窓際の席…パイアンドマッシュを食べて…帰ろうと…そう…そこで彼に、彼に会ったの…!そう彼が…!窓に!窓に!」


 呼吸が次第に荒くなり、瞳孔の開いた目が左右に細かく揺れる。


「彼はどこ…!どこにいるの…!ねぇ…!ねぇ!教えてよ!知ってるんでしょ!」


「シ、シスターアマンナ…!落ち着いてください…!」


 アマンナさんがタルテさんの腕を掴み、揺すりながら問い詰める。ここにきて初めてアマンナさんの視線が人に向いたが、その見開いた目は精神状態の悪化を如実に語っていた。


「…刺青の柊、久世の宮。この者に眠りの安寧を…」


 メルルが割り込むようにして動転しているアマンナさんの額に手を当て、闇魔法を行使する。精神を落ち着かせ、眠りに誘う魔法だ。アマンナさんが光魔法使いだからか、あるいは興奮しているためか、直ぐにとは行かなかったが、荒かった呼吸は次第に落ち着き、ベッドに倒れこむようにして眠り始める。


「…その日の午後に、男の人に送られるようにして帰ってきたのをカルアさんが見たそうです。それで、アマンナさんがお付き合いし始めたと噂になりました…」


 タルテさんがアマンナさんに掛け布団を掛けながら静かに呟いた。


「…最初に出会ったのはそのお店って所かしら。…名前は聞き出せませんでしたが…」


「その…、私も他の方に聞いて回りましたが…誰も名前を知らなかったんです。もちろん、仕事や年齢も…」


「もしかしたら…そもそも誰にも名乗っていないのかもな」


 彼氏が出来たとなれば、何処の誰なのかは気になるところだろう。付き合い始めたことがその日に噂になるぐらいなのだから、誰かしらが聞き出そうとしたはずだ。だが、調査では名前が挙がらず、アマンナさんも『彼』としか発言していない…。


「ハルト。どうしよっか。他の方にも聞いて回る?」


 他の方か…。宿舎に来たことにより、わざわざ風を使わなくても他の部屋の様子を聞き取ることが出来る。


「…うぅ…どこに…いるの…早くきてよ…!寂しいよ…!ぁあぁああぁあぁぁぁあああ!」


「なんで…他の子に…!なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで…」


 嘆きの声や、壁を引っ掻くような音が聞こえてくる。修道院の俗世離れした雰囲気もあいまって、ここにいるだけで正気度が削られていきそうだ。


「…聞き取りは困難そうだな」


「ハルト様。まずは町へと聞き込みに向かいましょうか。まずは先ほどの話に出てきた店とその周辺に…」


 アマンナさんの口ぶりからすると、窓から見える範囲にその男が現れたのだろう。そこが男の行動範囲ならば、目撃者がいるはずだ。


「あとは…傭兵ギルドにも探りを入れておきたいな。魅了チャームの魔眼の持ち主などは犯罪者でなくとも、注意人物として情報が出回るはずだ」


「それならば、私が行こうか。…あまり家名を利用はしたくないけど、ここのギルドなら私に忖度してくれるしね」


 ナナは実家の威光を頼ることを嫌うが、今回ばかりはお願いしよう。


「あとは周辺の住宅地の聞き込みに…ここ以外でも同様の被害者が出ていないかも調べてみましょうか。…あとは闇の女神の教会かしら」


 治療師を標的としているのであれば、闇の女神の教会でも恋煩いが発生している可能性があるか…。


「…とりあえず、今挙がったところを手分けして調査してみよう。それで昼過ぎ辺りに一旦集合だ」


「みなさん…!どうかよろしくお願いします…!」


「ああ、任せてくれ。女を弄ぶ輩など、直ぐに捕らえて白日の下にさらしてみせよう」


 タルテさんは俺らに向かって姿勢を正し頭を深く下げる。そんなタルテさんに対し、俺らを代表して、ナナが威勢よく答えた。


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