第76話 愛とは愛されたいと願うことだとジョンが言っていた
◇愛とは愛されたいと願うことだとジョンが言っていた◇
「ハルトさん!ナナさん!メルルさん!こっちです!」
アウレリアの街の外れの閑散とした住宅地の奥。俺らはそこに建てられている光の女神の教会に来ていた。普段は静かな地区ではあるが、今は朝方のため方々に出勤する人々や、朝の礼拝のために教会の前には多くの人影が溢れている。
そんな人波に紛れないように彼女は両手を上げ、小さな背を跳ねるように揺らしている。その度にその小さな背には不釣合いの豊満な胸元が暴れているが、紳士な俺は目線を空に逸らす。決して、背後の二人から不穏な空気が醸されているからではない。
「お早うございます!お待ちしておりました!」
彼女の名前はタルテ。昨夜、ミシェルさんと共に俺らの宿泊している宿に訪れた、治療師である羊人族の少女だ。麦畑のような黄金色の金髪が朝日を浴びて輝き、その金髪を蓄えた頭には立派な巻き角が生えている。
そして何より、その金髪には我が故郷のドライアドのように小さな葉を連ねた蔦が紛れている。生命の属性といわれる木属性。地属性と光属性を宿すものに時折現れる複合属性の証だ。
「おはよう。タルテさん。今日はよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします!さぁ。中でマザーであるアレクサンドラがお待ちです」
タルテさんは礼拝所ではなく、奥の修道院に続く小さな門扉を開け俺らを促した。修道士には男もいるが、修道院は男女別々となっている。つまり、この先は女の園だ。そう思うと少しそわそわしてしまう。
俺らは教会の建物と畑に挟まれた小道を歩く。教会には防壁内にありながら、例外的に畑を有している。光の女神の教会がワインを造るための葡萄畑だ。
ここ以外にも契約している葡萄農家や酒蔵はあるらしいが、この修道院に隣接する葡萄畑から作られるワインは、葡萄の段階から乙女に作られ、乙女による発酵、乙女の足踏みによる搾汁、乙女の樽詰め、乙女の瓶詰めと乙女尽くしであるため、乙女ワインとして味以上の人気がある。
光の女神の教会が作った乙女ワインを、闇の女神の教会が作り出した乙女ジャーキーと共に頂くのが紳士の嗜みだ。
「見事な葡萄だ。今年はどうやら豊作みたいだね」
ナナが畑を見つめながらそう言った。確かに畑にはたわわに葡萄が実っている。もうそろそろ収穫期のはずだ。その点でも、今回の依頼は早めに解決する必要があるだろう。
葡萄畑を眺めながらしばし歩けば、修道院が間近に見えてくる。その入り口の扉の前には、一人の妙齢の女性が佇んでいる。背が高く豊満な体に金色の髪。タルテさんの金髪が黄金色の麦畑なら、彼女の金髪はさながら陽光のようだ。…眼光は鋭く、マザーと言うよりは非合法組織の女幹部のようだ。
「お待ちしておりました。私はアレクサンドラ。サンドラでかまいません。…貴女方が、タルテに紹介があった狩人ですか…」
マザーサンドラが、俺らをその鋭い目で見つめる。…これは値踏みをされているな。
「よろしくお願いします。マザーサンドラ。私がリーダーのハルトと申します」
俺に続いて、ナナとメルルもマザーサンドラに自己紹介をして行く。
「マザーサンドラ…!ハルトさんたちを紹介して頂いたのは、腕の良い工房の方でして…!」
マザーサンドラが俺らの実力をいぶかしんでいると思ったのだろう。タルテさんが俺たちのことを弁明する。ミシェルさんに寄れば、タルテさんも本業は俺らと同じ狩人らしい。そのため、工房などにも知見がある。年齢は俺らの一つ下であるためいわば後輩だ。治療師としての活動は、光魔法の訓練でもあるらしい。
「ええ。もちろん解かっております。実力もあるようですし…。恥を忍んで狩人ギルドにお願いしに行くところでしたので助かりました」
マザーサンドラは俺の鎧に目を留め、実力を認めたようだ。この街の人間であれば、この鎧が何から作られているか予想が立つのだろう。
「それではどうぞ中に。詳しいお話をいたしましょう」
修道院の扉を開き、マザーサンドラの案内のもと、俺らは中へと足を進める。質素ながらも、修道院らしく中々趣の有る作りの建物だ。
玄関から入り、直ぐ目の前にある応接室に案内される途中、廊下を掃除する一人の女性が目に入った。どこか虚ろな目に揺れるような挙動。さながら夢遊病の患者のようだ。
「…彼女はイルナ。今回の件の被害者の一人です。比較的症状が軽い者ですが、あのように夢現で、反応が乏しい状態です」
彼女を見つめる俺らにマザーサンドラが説明をする。単なる恋煩いとは思っていなかったが、あれで症状が軽いとなると、この依頼には何かしらの異常が潜んでいるようだ。
応接室に入り、質素なソファーに腰を下ろす。対面にはマザーサンドラとタルテさんが座り、俺らの前に一枚の調査書らしきものを出す。
「狩人ギルドに説明するために、調査した内容を纏めたものです。…申し訳ないけど、一枚しかないから三人で一緒に見てください」
そこには起きた事件が時系列準に纏められていた。俺らが目を通すのに合わせてマザーサンドラが説明を始めた。
「事の発端は、約一月前。シスターの一人であるアマンナという女性が一人の男性とお付き合いをしたことから始まったようです…」
「その…。その頃は誰も問題視していなかったので…正直、噂話を纏めたような状態です…。本人に聞こうにも…伏せっていて、あまりお話し出来ていないので…」
タルテさんが申し訳無さそうに呟く。俺は被害者の女性の様子が気になり、さり気無く風を伸ばしてみると、そこにはひたすら泣くような声や嘆き続ける声を拾うことが出来た。
「…ハルト様。乙女の秘密に聞き耳を立てるのは如何なものかと…。状態を確認されたいのでしたら後でご案内致しますので…」
マザーサンドラが俺を睨むようにして嗜める。
「…申し訳ありません」
…凄いな。俺が風を伸ばしたことに即座に気付くとは。マザーサンドラも高位の魔法使いということか。
「…ハルト。どんな感じだったの?」
「その…、注意されて早々に言うのは何だが…結婚式当日に婿に逃げられた女性のような状態だ…」
「それは…壮絶ですわね」
メルルが俺の言葉から状態を想像している。…彼女達があんな状態では聞き取りもまともに出来ていないだろう。
「…説明を続けますね。アマンナが男性とお付き合いを始めたのは一部の修道士に噂になったそうです。このときは多少の噂程度で、私の耳には入っておりませんでしたが、数日の後、その男が別の修道士であるカルアと出歩くようになり、一方、アマンナは部屋に引きこもるようになりました。このときは流石に騒がれ、私も耳にするようになりました」
マザーサンドラの説明を聞きながら、調査書に目を通していく。その男はカルアと行動するようになったが、これまた数日後に別の修道士、サロメと出歩くようになる。カルアはアマンナと同様に部屋に引きこもり無気力な毎日を過ごすようになったと…。
「…アマンナとカルアが伏せるにあたって、流石に私のほうから修道士全員に注意勧告を行いました。…と言いましても、この頃はまだ私も色恋沙汰に過ぎないと思っておりましたので、その内容は風紀に関するものでした」
そして、とうとう標的はサロメからタニスに変わり、サロメも同じ道を辿っていく。
「…サロメ、そしてタニスが伏せるようになって…事件が起こります。朝の礼拝が終わって四人の修道士が清掃をしていたところ、礼拝所にその男が現れた…らしいのです」
「らしいと言うのは…タルテさんがなんとか聞き出した結果ですか」
調査書によると、その四人は男と二言三言会話をした。それだけで前述の女性と同じ状況、恋煩いに陥ったのだ。ここになって本格的に異常だと周囲の者達も認識したと…。
「流石にこれはおかしいと。懇意にしている薬師にも彼女達を診察してもらいました。その…、彼女達の様子が麻薬の中毒者にも似ておりましたので…」
「しかし、薬物の線は考えづらいと…。長期に渡って摂取したならともかく、このような短期間の摂取であれば、もう薬が抜け始めるはず…ですか」
俺は調査書に記載されていた薬師の所感を読み上げた。
「勿論、この異常性は私だけでなく、他の修道士も認識することとなりました。…ところが、被害は止まず、その後も三人ほどが同様に…」
「…最後の被害者は先ほどのイルナさん。被害を受けたのは今から一週間前ですか…」
それまでは被害に会う間隔は早くて二日、長くて四日しか開いていなかったが、ここにきて七日も日が開いている。
「そのイルナが被害に会ったときに、被害者を除けば初めてその男を私達が確認いたしました。…私は三階の窓から。タルテが眼前にてその男と対峙しました」
マザーサンドラがタルテさんに目線で当時の状況を話すように合図をだす。その合図を受けて、タルテさんは滔々と語り始めた。
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