第56話 ナナとメルルの大脱走

◇ナナとメルルの大脱走◇


「メルル。この子で最後だ」


 ナナが私の背後から声を掛ける。その手には地下牢に囚われていた子供の手が握られている。


「解かりました。…予定通り、私はここでしばらく殿を務めます。ナナは子供たちの護衛をお願いしますわ」


 私は地上の倉庫へと繋がる通路を見つめる。先ほどから叫び声が絶え間なく響いて来ている。…どうやらハルト様は上手く陽動をこなしてくれているらしい。時折、酷く脅えた男達がちょくちょく地下に逃げ込んできている。


 …私を見た瞬間、絶叫を上げた失礼な男達だ。今は子供たちの代わりに牢屋に入ってもらっている。


「…メルル。一人で平気か?他の人員を少しつけた方が…」


 ナナが私を心配してくれる。…その心配も心地良いが、ここよりも格段に危ない場所に赴いているハルト様は平然と送り出したのだから、私のことも少しは信頼して欲しい。


「ナナ。何度も話し合ったじゃありませんか。…それに私は時間を稼ぐだけで問題ありませんが、子供の護衛をするナナはそうも行きません。危険度としては大して変わりませんよ?」


 子供たちにはゼネルカーナ家の諜報員を付けてはいるが、諜報員はそもそも戦闘を回避することを念頭に置いた存在だ。ある程度戦えはするものの、戦闘力はそこまで高くない。


 充分な戦闘力を持つ者も居るには居るが、今回は本丸の商館に回している。私がわざわざこちらに出張って来たのも戦闘力の高さゆえだ。


「そうだな。…すまない。少々心配が過ぎたようだ」


「行ってくださいまし。あなた方の撤収が早ければ早いほど、私もこの場を離れられます」


「ああ。安全地帯まで抜けたら直ぐに迎えに来るよ」


 そう言ってナナは壁に開けられた穴に入っていく。


 全ての子供を馬車に乗せ、出発するまでそうは掛からないはずだ。懸念はこの倉庫を中心とした騒ぎ。表の通りにもピスハンド商会の者の目が向いているはず。脱出するには、その視線を掻い潜って怪しまれずに馬車を出す必要がある。


 …ナナがここを去ってからどれ位経っただろうか。上ではまだ騒ぎが続いてはいるが、足音が一つ近づいてくる。今までの者とは違い、脅えた足取りでは無く、しっかりとした足取りだ。


 そして、その足音の主が廊下の角から姿を現す。


「あら、こんな陰気なところに何用かしら?」


「ウェ…。ガキ共が逃げてるじゃねぇか。…嫌な予想があたっちまったなぁ…。まぁ一直線にこっち着て正解だったな」


 二本の短槍を持った気無精な男。青味がかった肌が特徴的だ。その鍛えられた体は商人というには少々不自然だ。雇われた傭兵か何かだろうか…。


「おう、嬢ちゃん。悪いがその奥に用事があるんだ。通してくれ」


「残念ですが、ここは現在通行止めですの。お引取り願えるかしら」


「…ここはうちの商会の建物なんだがな。勝手に通行止めは困るんだよ…」


 男はスキンヘッドの頭を掻きながら、ため息と共に言葉を放つ。


「あら、そんなことはどうでもいいですの。…ここから一歩も通さない。もちろん理屈や法律だって通すつもりはありませんわ。少々我侭が過ぎるかしら?」


 私は男に微笑を返す。男は再びのため息だ。


「勝手だな…。こっちが対話してやってるのに歩み寄るつもりが無い。…お前みたいな勝手な奴がいるから暴力が減らないんだ…言うことを聞けよ。獣じゃないんだから」


 ヌルリ…と男が滑るように間合いを詰め、私に短槍を穿とうとする。


「あら、私は言ったはずです。通しませんと。…身を裂く血潮ブラッド オブ アリアンナ


 私が手を男に向けると、地面から幾重もの血の刃が突き上がる。ここら一帯には既に私の血を染み渡らせている。一歩でも踏み込めば串刺しだ。


「ウェエ…こりゃ…血魔法って奴か…珍しいな。吸血鬼ヴァンパイアかよ」


 足元からの不意打ちに、男はあっけなく私の魔法をその身に受けるが、なんともなかったかのように平然としている。


「…あなたも、珍しさでは変わらないのでは?青味がかった毛のない肌。幽谷人ですわね」


 その名の通り、山深い谷間を住処とする希少部族だ。


「あん?俺らが珍しいのは大部分が引きこもっているからだろ。ずるいよな。吸血鬼は。俺も吸血鬼みたいな優秀な部族に産まれたかったぜ」


「あら?今の攻撃から救われたのはその種族特性ではなくって?…たしか、その皮膚は柔軟性に富み、斬撃や打撃などの物理攻撃に耐性があったかと…?」


 過去にはその皮膚を鎧にするため、狩られることもあったと聞く。


「ちげぇよ…。いくら幽谷人でも、あんな物食らって無傷とはいかねぇ。俺の固有魔法だ」


 固有魔法使い…。同じ属性を操る魔法使いであっても、魔法には多かれ少なかれ個人の特色が表れるものではあるが…。固有魔法使いはその度合いが違う。そもそも別系統の魔法と言った方がいい代物だ。


 …強力な魔法が多く、平地人の強みの一つでもある。繁殖力が旺盛な平地人。母数が多ければそれだけ固有魔法使いも多く存在する。


「幽谷人は種族魔法というものが無いのでしたっけ?」


「…しいて言えば、水が産まれやすいらしいがな」


 言葉を話しながらも、男は私を攻め立てる。強引に近寄り、血の刃を食らいながらも短槍にて突きを放つ。


「…厄介ですわね。瀉血の車輪ブラッド オブ ブラドー


 懐から取り出した小さな刃。ほんの小指の先ほどの大きさの魔金オリハルコンの刃。…これだけでもかなりの価値がある。


 その魔金オリハルコンの刃を血に混ぜ、男に向かって射出する。その血はブレスレットの様に男の手首に纏わりつき、高速回転を始める。ブレスレットの内側には先ほど混ぜた魔金オリハルコンの刃がその姿を露にしている。


「…!?痛っ!…俺の血か?こりゃ?」


 男の腕からは僅かに血が滴り落ちる。…そう、だ。


「嘘でしょう?魔金オリハルコンの刃ですのよ…!?」


 私は驚愕に目を見開く。いくら幽谷人といえども、その皮膚が魔金オリハルコンの刃に耐えれるとは思えない。


「おお?はじめて焦った顔を見せたな。…魔金オリハルコンか。初めて食らったが魔金オリハルコンの刃なら俺を傷つけられるんだな…」


「あなた…もしかして…それが…?」


「流石に気付くか…。そうだぜ。これが俺の固有魔法。皮膚が丈夫になる魔法だ。地味で面白みのねぇ魔法だろ?しかも種族特性と被ってやがる」


 皮膚が丈夫な幽谷人に皮膚が丈夫になる固有魔法…。たしかに地味だが…、それが魔金オリハルコンの刃に対抗できるほど丈夫になると言うのであれば、話は別だ。生半可な武器では傷すら与えられないだろう。


「ちょっと反則ではなくって?」


「お前ら吸血鬼が言っていい台詞じゃないな…。…まったく面倒な奴に当たっちまったもんだ…」


「それはお互い様でしてよ…」


 異様なほどの防御力を誇る幽谷人と不死者ノスフェラトゥと称えられる吸血鬼の戦い。完全な泥仕合だ。


「全く…面倒だ。面倒だな。面倒ごとは嫌いなんだよ。面倒だからな」


 男はこちらの攻撃を無視しながら間合いを詰める。そして、とうとうその短槍が、私の体に突き立った。



「子供は全員乗ったか…!?」


「ナナ様、もう少々お待ち下さい。今、偽装を施しております」


 ゼネルカーナ家の諜報員の方々が、馬車に乗った子供に布を被せ、幌の外から見える位置には一目で判別できる荷物を積んでいく。


 先ほども、この倉庫の前をピスハンド商会の私兵と思われる団体が通過して行った。子供を乗せた馬車など、奴らに見つかれば即刻止められてしまうだろう。


「馬車を倉庫から出すタイミングはそちらに任せるぞ。私にはそういった知識が無い」


「ええ。お任せ下さい。…ナナ様。申し訳ありませんが護衛のほうは…」


「ああ。私に任せてくれ。そもそも、こういうことを想定して依頼を受けている。なにもメルルと仲良しこよしで受けた依頼ではないよ」


 むしろ、ハルトと違い斥候働きができない私は、こちらがメインの依頼だ。


 門の外を見張っていた諜報員が手を振る。それに合わせて馬車がゆっくりと発車する。…あのサインは狩人のサインと同じだ。『敵影あり、注意して前進』と言う意味だ。


「流石に敵影が無くなるまで待つのは無理かな…」


「ええ。時間が味方してくれるとは限りません。…下手すれば領兵による通行規制も始まる可能性もあります」


 馬車がゆっくりと門を抜ける。隣の倉庫からは悲鳴が絶えず聞こえてきている。ハルトが暴れているのだろう。


 隣の倉庫の前には私兵と思われる一団が寄り集まっている。その中に目を引く男が一人。赤錆色の髪を生やした背の高い大男。


 その男も私を見ていた。私…というより、私の髪を見ている気がする。


「おい待ちな。そこの馬車」


 男はゆっくりとこちらに歩を進める。男の声を聞き、手下らしき男の一人が駆け寄って来て、こちらの馬車を止めに掛かる。


「なにか用かな…?そちらのトラブルに巻き込まれる前に荷物を移したいんだが」


 諜報員の方が大男に声を投げかける。


「お前じゃねえよ。俺はそこの嬢ちゃんに…。…ああ。そういうことか。なるほどな」


 大男は何かに気付いたかのように納得する。そして、ゆっくりと腰元の剣を抜いた。腰に帯剣してはいるが、通常の人間であれば背負わなければ、地面についてしまうほどの大剣だ。


「嬢ちゃんは残りな。荷物の確認はされたく無いだろう?心配するな、俺はガキには興味ない」


 ガキとは…私のことを指すのではないのだろう。…気付かれたか。


「ほう、私をご指名か。いつの間にか私にも熱心なファンができたのか」


 私は馬車の荷台から飛び降り、背中の剣を引き抜く。


「ふん。炎のフランベルジュ…。髪色を見て、もしやとは思ったが…。間違いなかったようだな。ネルカトルの一族か」


「ナナだ。…そこまで知っているのであれば隠す意味も無かろう。ナナリア・ネルカトルだ」


 私の名前を聞いて、大男は狂喜とも憤怒とも取れる表情をうかべた。


「おい。おめーらは倉庫に向かえ。俺は野暮用だ」


「こいつらはいいんですか?」


 手下の男が馬車を指差して大男に尋ねる。


「かまわん。それよりもさっさと行け。ビリガスに巻き込まれんよう気をつけろよ」


 大男を残し、他の男共は倉庫に向かっていく。…ハルトの負担を減らすのであれば、あの人員も私が相手取ったほうが良いのだろうが…、目の前の大男を相手にして、私がそこまで余裕があるとは思えない。


「さて、随分気を使ってくれたようだが…何が目的だい?」


「あん?そんなの決まっているだろ?…俺はトレーズ。トレーザムス・ヘカトンケイルだ…!王国に下った巨人族の裏切り者のネルカトル…!同じ巨人族として黙って通すわけにはいかねぇんだよなあ…!」


 そこに孕むは狂喜か狂気か。大男、トレーズは凶暴な笑みを浮かべた。


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