第52話 私、ハルティ。今、後悔しているの

◇私、ハルティ。今、後悔しているの◇


 …クソ!結局、押し切られてこの格好で調査かよ…!


 ハルトは激怒した。必ず、かの邪智暴虐じゃちぼうぎゃくのお嬢様をお仕置きしなければならぬと決意した。ハルトには女心がわからぬ。ハルトは、ただの狩人である。剣で舞い、風と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。


 憤怒により目を吊り上げ、スラムを歩く一人の少女。そう、ハルティである。ナナとメルルを拠点に残し、現在一人で囮調査を行っている。


 …別にけんかをして出てきたわけではない。多少時間は掛かるが、この距離なら拠点まで声を送れるため、待機してもらっているのだ。


 スラムだけあって、木造の粗雑な家々が並んでいる。中には家と呼ぶのを躊躇するような建造物も散見している。しかし、人通りは意外と多く、無気力に道端に座り込んだ人や、崩れかけた壁越しに見える屋内の人影もあり、他人の気配を感じるのは街中とそう変わらない。


(…いつもより他人の視線を感じる気がする…。…この格好のせいか…)


 土の匂いと饐えた匂い、カビの匂いなど、様々な匂いが混ざり合い、独特な空気となって俺の鼻腔をかすめる。…この匂いはどこのスラムも変わらないな。


「おい、嬢ちゃん。こんなところで何してんだ?」


 唐突に横合いから声が掛かる。…ただの住人Aか、それとも人攫いの人間か…。俺は怪しまれないよう、なるべく自然にそちらに目線を向ける。


「…ん?嬢ちゃんどっかで見た顔だな…?」


 俺に話しかけて来たのは、顔見知りであった。油ギッシュな小太りの男。サイレス商会のデペンドさんだ。…悲しいかなこの人はシカゴスペシャルの重篤な中毒者だ。一日に三回注文が来たときは流石に戦慄を覚えた。


 …サイレス商会は、伯爵と共謀している可能性のある商会の一つだ。デペンドさんが人攫いの可能性も十分にある。


「ああ…!お前、あのピザ小僧にそっくりじゃねぇか…!」


 …なんだよ、ピザ小僧って。膝小僧みたいに言うなよ。俺が凄い太っているみたいじゃねぇか。


「…兄がピザの配達員をしておりますが、お知り合いですか…?」


 単なる客とはいえ、女装してうろついているとは思われたくない。…おとりとして振舞うのであれば、ハルトとハルティは全く無関係の設定のほうが良かったか…?いや、流石に似ている説明がつかないか。


「おお、妹さんか…!そっくりだな。俺はピザ小僧の常連でな。良く顔を合わすんだよ。デペンドだ。よろしくな」


 …顔見知りを装って警戒心を解く…。人攫いにありがちなテクニックにも思えるが、実際に顔見知りであることも事実だ。


「しっかし…、ここまで似てるとなると例の噂は…妹さんが原因か…?」


「噂…?」


「ああ…今度会った時にピザ小僧に注意するように言うつもりだったんだが…」


 デペンドさんが言いよどむ。そんな不穏な噂が流れているのか…?まさか…調査をしているとどこからか漏れたのか…!?


「…実を言うとな、ピザ小僧の影法師ドッペルゲンガーが現れたって噂があるんだよ。何でも同じ時間帯で別の場所にピザを届けていたらしい…」


 …それは、多分…俺の常軌を逸した配達速度のためだと思う。熱々のとろけたチーズを味わってもらうため、本気の速度で配達していたのだ。


「まぁ、多分妹さんを見たやつの勘違いだろ。…ただ、念のため注意するようにピザ小僧に言っといてくれや」


 デペンドさんは深刻そうな顔で言った。…ドッペルゲンガーに脅える大の大人。…前世では失笑ものだろうが、この世界は違う。信心深い人が多いとか、科学が未発達だからとかの理由ではない。


 …実際にそういったものも居るのだ。魑魅魍魎ちみもうりょう異類異形いるいいぎょう跋扈ばっこするのがこの世界だ。中には人々の生活に溶け込む厄介な奴らも存在する。


「…わかりました。兄に伝えときます」


「そんで、妹さんは何でこんなところに居るんだ?悪いことはいわねぇ。ここらは危ないからうろつかないほうがいい」


 …いい人かよ。…どうやら単なる忠告のようだ。しかし、こちとら危ない目にあうために来ているのだ。


「ご心配ありがとうございます。用事が済んだら直ぐに帰りますよ。…逆に聞きますが、デペンドさんは何故ここに?」


 この人は商会の人間だ。俺もそうだがこの人もここに居るのは不自然だ。


「俺か…?実を言うとな…、俺はスラムの出身でよぉ…、腹好かしたガキ共に飯を食わしに来たんだ。ま、今月はピザを頼みすぎて少々金欠なんだがよ…!」


 そう言ってデペンドさんは照れながら鼻下を手で擦る。良くみれば、背嚢からは野菜の葉が飛び出している。


 …いい人かよ。


「ま、無理に連れ出したりはしねぇがよ。最近は本当にあぶねぇ。あんまり長居すんじゃなねぇぞ」


 デペンドさんは颯爽と去っていった。どうやら一人目の接触者は人攫いではなかったようだ。単なる気のいいおっさんであった。


 俺はデペンドさんの向かった方角とは別の方向に足を進める。次に見つかれば、それこそ本当にスラムの外に連れ出されるかもしれない。


 スラムの中心部近くを、ゆっくりと歩いていく。普段からは考えられない隙だらけの足取りだ。


(…来たか?)


 俺の耳が、不自然な足音を拾う。俺の後をつけるような足音。明らかに怪しい。


(加速した…?こっちに向かって走ってくる…!)


 こいつは事件の匂いがぷんぷんするぜぇ。今の俺は囮だ。甘んじて誘拐されよう。


 さあ、ホーミタイ…!私を根城に連れてって…!


「ごめんよ!!」


 後ろから来た黒髪の少年は俺の肩にぶつかり、即座に謝ったかと思うと駆け足で去って行った。


 …そういえば随分軽めの足音だったな。人攫いではなく、単なる少年であったと…


(あの野郎…!)


 単なる少年と言うには語弊がある。…あいつはとんでもない物を盗んでいきました。俺の財布です。


 普段の俺であれば、スリなど何のことも無く防げるが、誘拐を受け入れるために抵抗しなかったのがあだとなった。


 誘拐されることを想定して、たいした額は入っていないが、盗まれるということ事態が許せない。傘が盗まれて腹が立つのと一緒だ。値段の問題ではないのだ。


「待てや!クソガキィ!!」


「うぇ…!もう気付きやがった…!」


 薄汚れた少年は俺の怒声を聞き、更に足を速める。その足取りは慣れた物で、狭い路地や瓦礫の山を縫うように突き進んでいく。


 地の利を知り尽くした者の動き。どうやらスリの常習犯であるようだ。唐突に始まった追いかけっこだが、住人の反応は鈍い。おそらく、ここではよくある光景らしい。


「きたねぇとこ通らすんじゃねえよ!」


「…!?まだ着いてこれんのかよ…!」


 スラムの中でクソガキと俺の鬼ごっこが繰り広げられる。風に乗り一気に駆け寄ってもいいが、それはできない…俺は今、スカートなのだ。だからせめてズボンにしろと言ったのにメルルの野郎…!


 しかし、風による加速が俺の機動性の全てではない。奴に地の利があるように、俺も走りこむ先の状態を風で細かく把握することができる。それこそ、視線の通らない所にまでしっかりと。事前に逃げ込む先を知っているのはお前だけじゃねぇんだぜ…?


「曲がって直ぐに瓦礫の山…!飛び越えた先の柵は穴に滑り込む…!階段の上には横倒しの樽…!…樽?」


「おらぁ!しつけーんだよ!」


 目の前の階段の上から樽が転がり落ちてくる。ちょっと!やりすぎでは!?俺をお煎餅にするつもりかよ!


 どうする?この際スカートなんてどうでもいいから、捲り上げられることを承知で風で飛び上がるか?…しかし、転がっていく樽を放置は危ないか?


「ええい。まどろっこしい!推参おしてまいる…!」


 樽の中が空であることは風により把握してある。クソガキも中身の入った樽を転がり落とすほどの鬼畜ではなかったらしい。…それでも普通は大怪我だが。


「パァァワァァアアア!!」


 迫り来る樽に向かってシンプルな中段突き。樽は死ぬ。


 もともと痛んでいたのもあるのだろうが、俺の中段突きを食らって、樽はいともたやすく砕け散った。…やはり、筋力。筋力は全てを解決する。


 僅かな間ではあるが樽により足止めを食らったせいで、クソガキとはだいぶ離されてしまった。通常ならこれで逃げ切るのだろうがそうは行かない。俺の風は奴の足音を未だに追いかけている。この程度じゃ俺から逃げられないし、逃がさない。


「ゲハハハハハ!逃げおおせたつもりだろうが、俺はまだまだ追跡可能だぜぇ!」


 風を纏って加速する。スカートがはためいてしまうが構わない。…ドッペルゲンガーの次はジェット少女とかの都市伝説が流れるかもしれないな。


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