第48話 メルルの二つの魔法
◇メルルの二つの魔法◇
「メルル。霧はいるか?ここなら出せるぞ」
昨晩に雨が降ったばかりだ。今日は湿度が高い。
「お願いできますか?初めての実践使用になりますので…」
「あい解かった。…
気圧を操り、辺りに霧を出現させる。メルルの闇魔法でも同様のことができるが、範囲が広いため意外と面倒らしい。
飛び出してきた野盗達が霧の中に飲まれていく。更に霧は拡張し、後方の藪に控えていた野盗をも飲み込んでいく。
「それでは行きますわよ?…
俺の作り出した霧に、メルルの闇魔法が行き渡っていく。
「…!お頭…!何です!こりゃ…!つ、冷たい…!?」
「動くなぁ!…おい!誰だ剣を振った奴…!」
「進め…!早くここから出してくれ…!」
突然の霧に混乱していた野盗が、さらに慌てている声が聞こえる。メルルの魔法の妨害とならないように内部の把握はしていないが、霧の中から漏れ出る声に鬼気迫るものが感じ取れる。
「これが新しい魔法とやらか。どれ…」
ナナが好奇心に負けて、前方の霧に落ちていた枝の先端を入れる。数秒してから引き抜くと、枝の先端は氷に覆われていた。
これは雨氷と呼ばれる物理現象だ。封入された炭酸水などの高圧環境下だと、水の凝固点が下がり、過冷却水というゼロ度以下に冷えても氷結しない水が生成されるが、過冷却水が作り出される条件は他にもある。
その一つが雨氷だ。水は霧のように極小の粒となった場合でも凝固点が下がる。その結果、物体に触れた瞬間氷結するという恐ろしい雨が存在するのだ。
「…そろそろいいか。霧を晴らすぞ」
俺は雨氷となった霧を上空に撒き散らす。闇魔法によって冷やされた霧は俺が気圧を元に戻しても、消え去りはしない。晴らすにはもう散らすしかないのだ。
「…タス…ケテ…オレ…サムイ…」
「なんだよ…これぇ…」
霧が晴れると、前方には氷に覆われた野盗達がいた。凍り付いているのは服や鎧、髪などであり、顔などの肌が露出している箇所は凍ってはいない。これは魔法の制御によるものではなく、単純に雨氷がそこまで冷たくないからだ。
液体窒素の大瀑布であれば、たちまちに全てを凍結させるのであろうが、雨氷はマイナス四度程度の霧雨に過ぎない。人肌などは冷やしきれずに凍ることが無いのだ。
そのため、野盗達は窒息死することは無い。今も元気にガチガチと歯を鳴らしている。カスタネット専門の交響楽団のようだ。…どんな楽団だよ。交響できねぇだろ。
「凄まじいな。この様な事が可能なのだな」
ナナが目の前の状況に目を見張っている。ナナが驚いているのは魔法使いならではの理由であろう。野盗たちも自身の状況に困惑しているが、それは単に氷魔法が珍しいからだ。
氷魔法は基本的に一部の種族が種族魔法として習得している程度であり、その種族以外にも発現することはあるが、それでも特殊属性と呼ばれ基本属性とは別枠に扱われる。
基本属性で再現をすることも可能ではあるのだが、その場合は氷の基となる水を操る水属性。氷結させる闇属性。氷を操る土属性が要求される。水と土を要求される時点で一人では実質不可能である。
因みに、先述した一部の種族というのがメイドのルナさんだ。メルルと一緒に過冷却のことを教えたら、それはもう大層喜んでいた…らしい。俺には無表情に見えたが、メルル曰くかなり喜んでいたそうだ。
「氷魔法にそこまで知識があるわけではないのだが…他人を氷で覆うなど氷魔法でも不可能だろう?」
ナナは他人を氷で覆ったことに驚いている。
魔法は手元で構築するのが一番楽であり、離れたところに構築するのは困難である。上位魔法と呼ばれる魔法が難しいのは、その複雑さもあるのだが、規模の大きさゆえに離れたところに構築しなければならないことも難易度を上げている理由の一つだ。
そして他人に直接。あるいはその近くに魔法を構築することは特例を除き不可能だ。他人に近ければ近いほど、その他人の魔力が妨害となり、構築する前にレジストされてしまう。
そのため、他人を直接氷で覆うということは本来は不可能なのである。…純粋な物理現象を利用することを除いては。
「ふふん。ナナ。褒めてくださいまし」
「ああ。流石にこれは賞賛に値する。メルル。凄いじゃないか」
ナナはそう言ってメルルの頭を撫でる。俺は百合の花を視界の端に収めながら、氷結した野盗を縛り始める。
氷結してるとはいえ、俺の腕力であれば強引に氷を砕いて縛ることができる。その際、野盗が物凄い悲鳴を上げるが、骨は折れていないので問題はない。と思う。
「ああ。すまんハルト。手伝うよ」
「では、私達は藪の中で凍っている方をこちらに運び出してきますね」
メルルが軽々と男一人を持ち上げる。吸血鬼は体内の血液を操ることで、擬似的な肉体強化を行える。更に言えば、動脈を斬られようが心臓を潰されようが、魔法により血流を維持するため、失血死することが無い。
「はいはーい。縛られた人はこっちに歩いてくださいね。ほら、あんよは上手。あんよは上手」
縛られた野盗共を歩かせ、馬車の後ろに繋いでいく。
…首に掛けられた縄を美少女に引かれながら歩かされる。一部ではご褒美かもしれないが、その情景に激怒した者もいたらしい。
「クソガァァァアアアア!!」
激昂した一人の男は、筋力により覆われた氷を砕いた。冬場ならまだしも、今は初夏。男を長時間拘束できるほど氷が厚くならなかったのか。それに、男にも光魔法の心得があるのかもしれない。身体強化であれば魔法使いでなくても扱える。
男は斧を手に取り、メルルに向かって走り出す。
「はいはーい。
メルルが男の足元に向かって血球を打ち込む。血の球はそのまま形を変え、拘束具の形状となり男の足を拘束する。男はメルルにたどり着くことなく転倒することとなった。
「クソガキがぁ!これを解きやがれ!」
男は悪態を付きながら斧を投擲しようとするが、その手もすぐさま血によって拘束される。これこそが、血魔法と水魔法の違い。大きな優位点の一つ。
水魔法は水場であれば大質量の水を操ることも可能であるが、血魔法はそうも行かない。そのようなことができるのは屍山血河の戦場だけであろう。
だが、水魔法では水で他人を縛り上げることなどできない。レジストされてただの水に戻ってしまうからだ。
先ほど述べた他人の近くでの魔法の構築。その特例。至近距離であれば、他人の魔力に妨害されるものの、自身の手元でもあるため魔法の構築が可能なのだ。浮遊剣のエイヴェリーさんが、本人も剣を持って戦うのはこのためだ。射出した剣ならまだしも、常に制御が必要な浮遊剣は自身も近くにいないとレジストされてしまう。
それこそ、接触状態であれば他人の体に直接魔法を行使することも可能だ。たとえば光魔法の使い手が他人を回復させる場合は、レジストされないよう接触状態で回復を行う。
そして、血魔法使いにとっては体外に出た血液であってもそれは体の一部だ。それゆえにメルル本人が離れていても至近距離という条件が該当するのだ。
血流操作による生存能力に肉体の強化。そして魔力による妨害を無視して変幻自在の液体を操る能力。これこそが血魔法の優位性だ。…メルル。恐ろしい子…!
「流石だな。助けに行く暇も無かった」
「こんな野盗一人にやられるようでは狩人として参加しませんわ」
俺はメルルを賞賛する。手伝いはしたものの、なんだかんだメルル一人でこの野盗団を壊滅させてしまった。
「メルル。野盗はどうする?素直に衛兵に突き出すのか?」
ナナが疑問を口にする。全く活躍できなかったので少し不満そうだ。
「いえいえ。ハルト様もおっしゃってましたが、野盗にしては装備が潤沢です。裏を洗いましょう」
メルルが手を上げると、どこからとも無くメイドのルナさんが現れる。ルナさんは俺らと常に一緒と言うわけではなく、他の諜報員との連携を取るため、いつの間にか居なくなったり、気付いたら俺の横に居たりする。俺の音の索敵を完全にかいくぐってくるため最初はかなり驚いた。
…因みに関所は不法に通過したらしい。いわゆる関所破りだ。
「すでに人手を手配しております。こちらの野盗は私に任せてお嬢様は領都に向かってください」
「ええ。頼みましたわ。情報はルナ経由で貰えるのかしら?」
「はい。情報が取れ次第、私のほうから連絡いたします」
淡々としたやり取りの後、俺らはすぐさま馬車を走らす。俺は念のため、ボルトを一本ほど拾っておく。
「ハルト。ボルトを拾って何に使うのだ?」
「あの野盗、領兵と繋がっている可能性もあるだろ?襲われるはずの荷馬車が無傷だと怪しまれるかもしれない。このボルトで馬車にいくつか矢傷を付けとこう。そうだな、襲われたけど荷物をおとりに逃げ出したって体裁にしようか。道中で減ってしまった荷物のいい訳にもなる」
「なるほど。確かにそちらのほうが自然ですわね。なにより、減った荷物の言い訳ができるのがありがたいですわ。ただ同然で売るなど商会としてありえませんから」
俺はウォルターさんに許可を貰い、馬車に矢傷を付けていく。一応、簡単に交換が可能な部品に傷を付けることにする。
矢傷を馬車に付け終える頃には領都の影が遠方に見え始めた。この調子であれば日没までに余裕を持って到着できるだろう。
「領都が見えてきたな。分け目を変えなければ」
「私も瘡蓋をつけますの。折角ですのでボルトの矢傷も付けますか」
セクハラ対策のため、二人がメイクを始める。メルルにいたっては肩口から血が滲み出ている。
「包帯をしたほうが自然ですわね。ナナ。少し鎧を持っていてくださいまし」
「おい!待て!こんなところで脱ぐな!…ハルトも見てるんじゃない…!」
俺はナナに追い出されるように馬車の前方に移動した。いつの間にか定位置になりつつあるウォルターさんの隣だ。
「大変ですなぁ…」
「…ええ。女三人そろえば姦しいといいますが…二人でも十分ですね」
メルルが加わっただけで、一気にパーティーが賑やかになった。姦しいとは言ったが、嫌いな騒ぎではない。不思議と俺も笑顔になりながら、馬車からの風景を眺めるのであった。
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