第43話 焚きつけたのは夫人

◇焚きつけたのは夫人◇


「ハルト。今日は街にいくぞ」


「へ…?外に出て平気なのか?」


 私兵を捕らえた翌日の朝食の席にて、俺はナナにお出掛けのお誘いを受けた。因みに食事はネルカトル家と我が家、一緒の席で取っている。といってもナナのお兄さん二人の姿は無い。なんでも今は王都に居るらしい。


 ナナの発言を聞いて、テオドール卿から覇気のような気配が飛んでくる。…こいつ…朝食を戦場にするつもりか…!


「私兵の大部分を捕らえたから平気だろ。もちろん街に潜んでた奴らが焦って行動に起こす可能性もあるが…お前ら二人なら平気だろ?」


 母さんが朝食を平らげながら俺らに言う。行動に起こす奴らが居たとしても少人数…。まぁそれなら問題は無いだろうが…。


 …俺はテオドール卿に視線を向ける。覇気は未だに収まっていないが…。


「…構わない。折角帰郷してきたのだ。そこまで徹底して家に篭っている必要も無い…」


 意外にもテオドール卿はナナとの外出に賛成してくれた。レイシア夫人に睨まれながら、渋々言うのでなければ完璧であったが…。


 …まったく、いい歳してまだ子供離れができていないのか…。困った人だ。


「マジェアちゃん。今日はお稽古もないし一緒に遊ぼうか」


 レリウス…君…?一体何を言っているのだい?


「わかった…後で…談話室いく…」


 待て待て待て…!待つんだマジェア…!一つ屋根の下、男女が同時に存在するだなんて物理法則的に許されるわけが無いだろ…!それを無視できるのは摩擦と空気抵抗と家族だけだぞ…!


「レリウス君のおかげでマジェアも兄離れできたみたいだね。…ハルトは勿論、妹離れできてるよね…?」


 …くぅう!父さんからのプレッシャーが無ければ、今すぐ二人の間に割ってはいるのに…!


「ハルト?何をもだえている…?聞いていたのか?食後はロビーに集合だからな…!」


 ナナが頬を膨らましながら俺にフォークを向けて言い放つ。


「ああ。分かった。丁度買いたいものがあったんだ。付き合ってくれると助かる」


 俺はレリウス君に注意を払いながらナナに返事をした。丁度、昨日ローブを少女二人に渡してしまったため、新しいローブが必要なのだ。特に俺らのローブは特注品だ。ナナのローブがあれば形状の説明の手間を省くことができる。


「それじゃあ、さっさと食べて準備をしようか」


 そう言ってナナは朝食のミニトマトを口に放り込んだ。


 …そして、はしたないとレイシア夫人にお小言を頂いていた…。



「ハルト。待たせたかな。誘った私の方が遅くなってしまい、すまないな」


「いんや。待ったと言うほどでもないよ」


 領館の入り口のロビーに現れたナナは、いつもの狩人生活のときと似たような装いだが、細かいところでお洒落をしているのが分かる。


「髪飾りはアウレリアで買ったものか。似合っているぞ」


 それとなく褒めるのは俺のデフォルトスキルだ。決して傍らのメイドさんに目線で指示されたわけではない。


「ふふふ。ありがとう。それじゃあ早速街に出ようか」


 こんなありきたりな褒め言葉でも、ナナは嬉しそうに笑ってくれる。


「それで、まずは買いたいものとやらを買いに行くのか?」


「いや、なんだかんだで未だに転移届けを出していない。最初は狩人ギルドに顔を出そうか」


 そうして俺はナナと共に街に繰り出すのであった。



「あれ、ハルト君?ずいぶんと久しぶりね。戻ってきたのかしら?」


「ええ。ちょっと領都に用事がありまして。一時的な帰郷というやつです」


 領都の狩人ギルドに顔を出すと、そこには新人の頃からの顔見知りであるモアさんが受付をしていた。


「モア殿。お久しぶりです」


「ナナちゃんも久しぶり。元気そうね」


 モアさんと旧交を温めながらも、移籍届けを提出し処理をしてもらう。…これで、領兵に誰何すいかされても大丈夫だ。昨日は移籍届けを提出していない俺が、移籍届けを提出していない偽装狩人を問い詰めるという、情けない状況に陥っていたのだ…。


「うわ…。一応報告は聞いていたけど…、本当に竜を狩ったのね。凄いわ、二人とも」


 モアさんが、俺らの提出したギルド証を見ながら呟いた。目線の先はギルド証に刻まれた竜狩りの印だ。俺らの年齢では快挙と言っていい名誉なので、方々で賞賛されてこそばゆい物がある。


 …いけない、いけない。慢心は死神の手招きだ。増長しないよう注意せねば。


「はい。手続きはこれで終わりました。どうします?なにか依頼を受けますか?」


 ギルド証を返却しながらモアさんが尋ねてくる。


「いえ、今日は手続きだけの予定ですので」


「それではモア殿、また今度」


 そう言って俺とナナは受付を後にする。手続きはしたものの、依頼を受けるのは先のことになるだろう。捕縛した私兵の取調べ結果によっては、直ぐに事態が収束する可能性もあるが…。


「あのぉ…ハルトさんですよね?」


 受付から立ち去ると、すぐさま俺に声が掛かった。俺らの手続きが終わるのを待っていたのだろう。


 声を掛けてきたのは、昨日助けた少女二人組みであった。唐突に、昨日の情景が俺の脳裏にフラッシュバックする。


 …フラッシュバックした光景は、殺しの情景などではなく、あられもない姿となっていた彼女たちの情景だ…。すまんな。思春期なんだ。


「おぅふ…。昨日ぶり。怪我は平気みたいだね。…母さんから俺の名前を?」


 ちらりと足を確認するが、すっかりと腫れが引いている。治療師に治してもらったのだろうか。


「昨日は本当にありがとうございました…!その…、お名前のほうは以前から…」


「覚えてないみたいですけど、このギルドで一緒に講習を受けたんですよ…?」


 彼女達が俺との距離を詰めながら発言する。俺がボッチだった頃に出会っていたのか…。そういえば戦術訓練などで見たような気もする。


「その…できれば昨日のお礼がしたいんですけど…」


「今日はお時間あったりしますか?」


 …彼女たちは俺に密着するほどに距離を詰めてきている。先ほど、不健全な情景を思い起こしたばかりなので、手加減してほしい…。


「ハルトォ?その子達は知り合いかなぁ?…君らも、少しハルトと近いんじゃないか?」


 俺の後ろから、底冷えするような声が響いてくる。同時に肩がぎりぎりと握り締められる。ナナよ…。俺じゃなければ骨にヒビが入るぞ…。


「ナ、ナナ…!この子達は、昨日の作戦で助けた子だよ…!」


 俺にやましいことは有りません…!大丈夫!ハーフリング嘘つかない!


「あ、パーティーメンバーの方ですか?ごめんなさい。いきなり話しかけてしまって」


「その…、昨日は恥ずかしい格好を見られてしまったので…このぐらいの距離では…」


 少女二人は謝りながらも距離を開ける気配が無い。それどころか頬を染めてはにかむので、ナナに油が注がれることとなる。


「は、はは、恥ずかしい…格好…だと…!?」


 俺の肩が更に軋む。俺の肩をマッシュポテトにするつもりか…。


「ちょっと落ち着いてくれ…!三人とも…!」


 俺が宥めるように言うと、意外にも、少女二人はすんなりと引いてくれた。


「ごめんなさい。迷惑を掛けるつもりは無かったんです」


「彼女さんが居るなら大人しく引き下がります…」


 少女たちは笑いながら、しかしどこか寂しそうな表情をして言った。


「か、かか、か、かの、彼女…!?」


 …ナナはまだ俺の肩を握り潰している。俺の肩はマッシュポテトだ。


「でも、お礼がしたいのは本当です…!」


「ローブも私達のために駄目にしてしまいましたし」


「いや、領府から報酬が出てるからお礼は言葉で十分だよ。ローブもそんな大したものじゃないし…」


 実際、ローブは特注品というだけで、高価な素材などを使っているわけではない。そのためお値段も手間賃分割高ではあるが、異常な額ではない。


 二人も私兵共に装備を壊されたはずだ。お金はそちらに使ってほしい。


「でも、あのローブ、普通のローブじゃないですよね?いい匂いがしましたし」


「結構特殊な作りのローブでしたよ?いい香りがしましたし…」


「そのローブも領府から補填費用がでてるんだ。二人が無事に過ごすだけで俺には十分さ」


 …なんでローブの匂いを嗅いでるんだよ。…匂いは単に俺の匂いだ。恥ずかしいから嗅がないでほしい…。


 少女たちは再び俺との距離を詰め、匂いを嗅ぎ始める。


「「ああ…やはりあの香りはハルトさんの香りなんですね」」


「待て待て!引くんじゃなかったのか…!?ハルト…!もう行くぞ…!」


 ナナが強引に俺の左手を引き、狩人ギルドから連れ出していく。


「「ハルトさん!ありがとうございました!」」


 少女たちのお礼が、連れ去られる俺に向かって飛んでくる。俺は右手を振って彼女たちに答えるのであった。


「もう…!まったくもう…!ハルトはもう…!」


 狩人ギルドを出た後もナナはお冠だ。…引っ張りはしなくなったものの、未だに俺の左手は離されていない。傍から見れば手を繋いで仲良く歩いている状態なのだが気付いているのだろうか…。


「それで…!買いたいものとはローブなんだろ…!通りで私にローブを持ってくるようにお願いしたわけだ…!」


『ああ。そのとおりだ。…ナナ。彼女達は、あんまり大きな声ではいけないけど…私兵に襲われそうになっていた所を助けたんだ』


 俺は他人に聞かれないよう、声送りでナナに答える。未遂とは言えども、下手な噂が広まれば風評被害を招きかねない。


「…すまない。私が狭量とは解かっているんだが…相棒が取られた感じがして腹立たしいんだ」


 ナナは申し訳無さそうに呟く。俺は別に落ち込ませるために、そんなことを言った訳ではない。


「それもこれも、俺がナナを置いて作戦に参加したのが原因だ。作戦中に何度ナナが居ればと思ったことか…。次からはちゃんと二人で仕事をしよう」


 俺はナナの手を握る力を強めながら言った。俺も中学生の頃は交友関係でやきもきしたものだ。一人ぼっちは寂しいもんな。


「ああ…、ああ…!次は絶対一緒だからな…!」


 ナナも握り返すように手に力を込める。


「それじゃあ、ローブを買いに行くか」


「こっちで同じ物を新たに作るのか?なんならアウレリアに手紙を送って作ってもらうこともできるぞ?」


 それならば、こっちでは出来合いのものを買って一時凌ぎとするか…?


「その辺も服飾店に行って確認しよう。作製に時間が掛かるようなら、ナナの言う案を採用しようか」


「それもそうだな。ふふふ。」


 ナナはさっきの怒気など忘れたように、上機嫌に微笑んだ。


 俺らはそのまま他愛の無い会話をしながら、街を二人で歩いていった。


 …ナナが手を繋いで歩いていることに気付き、赤面するまでには随分の時間を要した。


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