第33話 異世界オーバースカイ

◇異世界オーバースカイ◇


「ナナ。ちょっと聞きたいんだけど、体重どんぐらい?」


「あ゛あ゛ん!?」


 低くドスの利いた声。そこには命を消し去るような覇気が篭っていた。もし、今が宿での朝食の最中でなければ、魔物のいななきと勘違いしてしまったであろう。


 俺は命の灯火が風前に晒されたことで、自身の失言に気がついた。


「ち、違っ…!いや…!違くはないんだが…!これは必要なことで…!」


 匙を握る腕が震えてしまう…。竜を前にしても平気だったていうのに…!どうしちまったんだ…!俺の体は…!


 原因は明確。テーブルの向かい側にどす黒い瘴気を垂れ流すナナが居るからだ。震えは俺の腕だけではなく、周囲の物にも伝播する。朝食の盛られた陶器がカチカチと音を立てている。


 …魔力共振現象…!?漏れ出した魔力が強引に周囲の物を支配下に置こうとする際に起きる現象だ…!


「ななななナナ…!ごめん!ごめんなさい!…悪気があって聞いたわけじゃないんだ…!」


 鎮まれ…!荒ぶる神よ…!鎮まりたまえ…!


「なるほどなぁ…?悪気は無い…と…?どうやら、ハルトはデリカシーという物を教わらなかったようだなぁ…」


 教わるわけ無いだろ!俺の母親が誰だと思っている…!


「ふぅ…まぁいい。ハルトのことだ。大方、また何か思いついたんだろ…?今度は私ごと天空に舞い上がって墜落でもするつもりか?…言っておくが、私も普通の平地人よりは頑丈だが、流石にあれは死ぬぞ?」


 ようやくナナから出る瘴気が治まった…。どうやら神様は俺に微笑んだようだ。俺は息をつきながら額に浮かんだ冷や汗をぬぐう。


「その、長期の休みを利用してやりたいことがあってな…その関係で…」


「…なんなんだ?そのやりたいこととは?そんなことに私の体重が必要なのかぁ?」


 …やばい。ナナが俺をいぶかしんでいる。このままじゃまた瘴気障害が発生する…!


「いや、失敗するかもしれないし…!上手くいったらちゃんと話すから…!」


 俺は朝食をかき込み、急いで席を立ち宿を後にする。今日は休みなので、もとから別行動をする予定となっている。


 三十六計逃げるにしかず…!退避ぃー!退避ぃー!


「あ、おい待てハルト!話はまだ…!」


 呼び止めるナナの声から逃げるようにして俺は街に飛び出した。



「あら、今日はナナさんと一緒ではないのですね」


「おっふ。リンキーさん。今日は休日なので別行動なんです」


 ナナから逃げ出した俺がたどり着いたのは、狩人ギルドである。瘴気から逃げ出してきた俺を受付嬢のリンキーさんが迎え入れてくれた。凛とした雰囲気のクールビューティーなお姉さんではあるが、俺やナナに対する対応は驚くほど柔らかい。おっさんには塩対応気味なので恐らく子供好きなのだろう。


 もちろん狩人ギルドには単に逃げて来たのではなく、リンキーさんに会いに来たわけでもない。ちゃんと用があって来たのだ。


「俺の貸し倉庫の素材を出していただきたいのですけど…」


 そう。俺が狩人ギルドに来たのは貸し倉庫にある各種の素材を引き出すため。リンキーさんは事務書類が入れられた棚から、『妖精の首飾り』に関する書類を取り出し、俺の前に掲示した。


「『妖精の首飾り』の貸し倉庫ですか…ええとこちらが目録ですね。引き出す素材は…」


「この、ウロココウモリの翼と猿奇蟲ゼブラークの甲殻をお願いします」


 俺が引き出したのは二種の魔物素材。これを用いてあるものを作るのが今回の長期休暇の俺の目標だ。製作物の構想は前々からあったのだが、竜種の骨を入手したことで実現にむけて行動するに至ったわけだ。


「…こちらの素材は売却するのでしょうか?であればなるべくギルドを通していただけると有り難いのですが…」


「いえ、個人的に作りたい物がありまして…それの素材に使う予定です」


 リンキーさんが引き出しの手続きを行っている間に、他の職員の方が俺の元に各種素材を運び込んでくれた。結構な量だが、一纏めにすれば持てなくは無い。


「リンキーさん。それではまた今度。次は依頼を受けに来ます」


「はい。またのご利用をお待ちしております」


 俺は素材を括り付けた背嚢を背負い込み、狩人ギルドを後にした。リンキーさんが小さく手を振る姿は少し可愛かった。



「お疲れ様でーす。工房借りに来ましたー」


「あらいらっしゃい。…それが例の物の材料ってわけ?」


 俺が次に顔を出したのはブラッドさんの工房だ。裏口から工房に入った俺を、ミシェルさんが迎えてくれた。今日も快活な笑顔が眩しい。


「ええ。確証はありませんが、これだけあれば作れるはずです」


「まぁ工房の片隅を貸すぐらいは問題ないよ。使うのは加工道具だけなんだろ?」


「はい。ではちょっと失礼します」


 俺は工房の隅の開いているスペースに荷物を降ろしていく。工房の中は様々な道具が並べられているが、物の多さに反して綺麗に整頓されている。ブラッドさんは粗雑なイメージがあるので、てっきりミシェルさんが綺麗好きなのかと思ったが、ミシェルさんが言うには整理整頓に厳しいのはブラッドさんなのだそうだ。工具なぞを置きっぱなしにすると、それはもう烈火の如く怒るらしい。…俺も気を付けよう。


 俺が来たのを感じ取ったのか奥からブラッドさんも顔を出した。手には素焼きの壷を抱えている。


「おう、坊主。来たか。例の物はできてるぞ」


 そう言ってブラッドさんは手に持っている壷を俺に渡した。


「それだけありゃ足りるか?」


「ええ。十分です。わざわざすいません」


「なに、余った分が貰えるんだから問題ねぇよ。言っておくけど、そこそこ高価な物だからな?それこそ余り物を貰うだけでも工房の貸し賃にしちゃ十分すぎる代物だ」


 俺は蓋をあけ、壷の中を覗き込む。そこに入っていたのは茶色い粘り気の強い液体。にかわだ。それも竜の髄液と骨粉から作り出した竜膠。要するに超強力な接着剤だ。


 通常の膠は耐水性が悪く、腐敗してしまうという弱点があるが、魔法処理が可能な竜膠はその弱点が完全に克服されている。さらには強度も指折りの物だ。


 俺は事前にボスゴレブレの骨を渡し、ブラッドさんに竜膠の作製をお願いしていたのだ。


「骨は別途、素材として使うんだろ?髄液を抜いた奴を奥に並べてあるから勝手に持っててくれ」


 そう言ってブラッドさんは工房の奥に戻って鍛冶作業を再開し始めた。


「私もハルト君の鎧を作らなきゃいけないから、悪いけど、作業に戻らせてもらうね。なんか作業で質問が有れば遠慮なく聞いてくれていいから」


 ブラッドさんに引き続いて、ミシェルさんも鍛冶作業に入る。俺も骨素材を作業スペースに運び込み、自分自身の作業を始める。


 俺が作り出そうとしているのは、俺とナナの新たなる移動手段。ウロココウモリの翼が有るので解かり易いだろう。ずばりハンググライダーだ。


 乗り物を作る上で最初に目を着けたのは、ハンググライダーなどではなく馬車であった。しかし、この世界の馬車はそこそこ進んでいる。高級な馬車であれば板バネは当たり前、聞くところによると、魔道具により水を半固形化してベアリングの代わりにしているものも有るそうだ。


 次に目を着けたのがバイク。前世で乗っていたこともあり、構造もある程度知っている。だが、これも構想の段階で中止とした。なぜなら路面状況が悪すぎるからだ。スピードを出そうものなら滑って明後日の方向に吹き飛んでいくことになる。


 そんな高速道路を走るような速度ではなく、ゆったりと街乗りをするような速度であれば問題はないのだろうが…そうなると風を纏った俺のほうが速いのである。


 そうして最終的に思い立ったのがハンググラインダーだ。こいつはバイクと比べても格段に構造がシンプルだ。…今朝、ナナに体重を聞いたのはコイツを作るのに必要だからである。


 もちろんシンプルだからといって簡単にいくものではないのは承知している。航空力学は超が着くほど面倒な学問であるし、素人でも簡単に作れるとうそぶこうものなら、鳥人間コンテストの参加者たちに血祭りに上げられて、次の日は琵琶湖の奥底に沈められるだろう。


 しかし、俺には風魔法がある。多少不恰好な羽であろうとも、俺の感覚は風を掴み、風を吹かせることができる。正直なところ、現段階でも俺は、マントを両手両足で背負うように掴み某忍者のムササビの術の如く滑空飛行することができる。


(ただ、ムササビの術、めちゃくちゃ大変なんだよな…)


 しょぼすぎて落下速度を殺しきれないパラシュートを、風で強引に機能させるようなものだ。


 そんなことを考えながら、俺は作業を続ける。全体的な骨組みをゼブラークの甲殻で組み上げる。ゼブラークの骨格は外骨格であるため、中空で軽量ながら構造的な強度がある。そしてその骨組みにウロココウモリの翼を取り付け、各部をボスゴレブレの骨で補強する。


 面倒では有るが、一応折りたためるように設計している。ワンタッチで…とはいかないが、各部の接続部を外せば、街中を抱えて運ぶ程度は問題ないサイズになる…予定だ。


 ブラッドさんとミシェルさんの出す加工音をBGMとしながら、俺は黙々と作業を続けた。



「さて、飛行試験をこれより実行する」


 俺は目の前で飛行するハンググライダーを見つめて呟く。あれから数日かけて完成したハンググライダーは何度かの実験と改修を重ね、今、目の前で形になっている。


 かっこつけて呟いてみたものの、今は街外れの野原で一人だ。


「問題はナナの体重なんだが…」


 ハンググライダーはもちろんナナも乗せられるように設計してある。そもそもこれは、ナナと俺が遠距離を高速で移動するための手段として開発したのだ。


「まぁ…流石に装備重量を含めても百キロは超えないだろ」


 俺はハンググライダーにナナさん人形を括り付ける。ナナさん人形は綿で作られた人形だ。等身大のサイズで申し訳程度に手と足と頭が着いておる。ちょっと見た目が寂しかったので顔の部分にはナナと文字を書いてある。


 ナナさん人形はもちろん遊びではない。中には百キロほどの重石が入っている。コイツを積んで飛ぶことができれば、本物のナナを乗せても平気だろう。


「さて、じゃあ離陸しまーす」


 俺もハンググラインダーに乗り込み風を吹かせる。通常のハンググライダーは風に乗るため、スキージャンプのジャンプ台のような滑走路を使う必要がある。


 だが、俺の手に掛かれば、その場に立っていながら飛翔に必要な風を吹かすことができる。それこそ垂直離陸みたいなものだ。


 ハンググライダーの羽は風を掴み、俺とナナさん人形を地面からさらっていった。


「あああああああああ!ゴーグル!次までにゴーグル!と帽子!を用意する!」


 飛び始めたはいいが、強風を顔面に浴びてそれどころじゃない。俺がまともに風景を楽しむことができるようになったのは、高度が上がり飛行が安定するようになってからだ。


「おおお!空だ!空を飛んでいる!竜狩りあんときの浮遊とは違う!ちゃんとした飛行!」


 眼下にはどこまでも広がる緑の大地。遠くにはアウレリアと広大な大森林。アウレリアから伸びる街道を辿れば、点々と村や畑が見て取れる。


(…さすがに領都はみえないか)


 俺は機体を左右に振りながら、急旋回や急上昇を行う。一応、これは試験飛行なのだ。景色を楽しむだけではなく、機体の挙動の確認や、高負荷をかけても破損しないか確認する。ナナを乗せてる時に壊れるぐらいなら、今壊れてくれたほうがいい。


 日が傾くまでの間、俺は思う存分、空の散歩を楽しんだ。



「へえ。じゃあ本当に空を飛べたんだ」


「遠方には飛竜やグリフォンに乗る者も居ると聞いたことがあるが…こんな道具で飛んじまう奴がいるとはな」


 飛行テストの後、俺はハンググライダーをミシェルさんとブラッドさんに確認してもらっている。自慢をしているわけではなく、物作りのプロに細かな破損などがないか確認してもらっているのである。それこそ車検みたいなものだ。


「まぁ風魔法があるからこそ可能となったわけですが、この機体の完成度を上げていけば、魔法なしでもいけるはずです」


 二人はまじまじと機体を観察する。もしかしたらこの二人が今後、飛行機を作り出し、後世に名を残すことに…なるかもしれない。


「今思ったんだけど、エイヴェリーさんって剣を浮かせるって聞くけど、それに乗って飛ぶことはできないのかい?」


 もっともな疑問ではあるが、それはほぼ不可能といっていい。


「その、ああいった魔法は自分との位置関係で決まるんです。使用者が進めば剣も進みますし、使用者が落下すれば、剣も落下し始めます。魔法使いはと表現するのですが」


 剣を浮かせるような、発動後も物理法則に従わず、魔法的現象を発生し続ける魔法は、常に維持と制御が必要になる。つまり使用者と繋がっている状態だ。そのため、そういった魔法は絶対座標での制御ではなく、相対座標での制御となる。


 地面などを基点にすることで絶対座標で魔法を行使する技術などは有るが、そうすると今度は自由自在に動かすことができなくなる。


「可能性があるとすれば、足場を自分に向けて程よい力で連続で射出し続ければ飛べるかもしれませんね。それこそ、エイヴェリーさんなら自由自在とは言いませんが、空中でぴょんぴょん飛び跳ねるくらいならできるかもしれません」


「「ほーん」」


 …こいつら聞いといて既に興味を無くしている。


「…で、機体は大丈夫そうですか?」


「あぁ、ひび割れなんかは確認できねぇな。俺も知らない道具だから保障はできねぇが…」


「えぇ。念のためのに見てもらっただけですから」


 俺は機体をたたみ、一纏めにして背嚢に括り付ける。…だいぶ遅くなってしまった。急いで宿に戻らねば。


 礼を言い、工房を後にしようとしたところ、ミシェルさんから待ったが掛かった。


「ハルト君。最近はそれに掛かりっきりでナナちゃんを放置してるみたいだけど、少し気をつけたほうがいいかもよ?」


「へ?ナナですか?」


 何だろう…確かに今朝も、何をしているか聞いてくるナナを、誤魔化すようにして飛び出してきてしまった…


 ミシェルさんは、そう言ったきり多くを語らず、静かに俺を見送った。


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