第9話 春風の帰る所
♢春風の帰る所♢
「父さん、ここがそうなの?」
あれから一ヶ月後の満月の晩。俺と父さんは街を離れ、近隣の森に来ていた。この森は魔物もいないわけではないのだが、斥候も得意な父さんの手にかかれば、一度も魔物に遭遇することなく目的地にたどり着いた。
「なんというか、こんな近場の何ともない場所とは思ってなかったんだけど」
俺の目の前には、木々が多少開けた広場しか無い。口振りや装備からして、そこまで遠方とは思っていなかったが、深山幽谷の秘境の地を想像していたものだから、多少の肩透かしを食らっている。
「言ったでしょ?始まりの地には普通には行けないんだ。そこへ至るには門を通る必要があるんだけど、門は意外とそこら中にあるんだ。ここが街から一番近場の門。一般的にはフェアリーサークルと呼ばれる場所さ」
父さんはそう言い広場の中心を指差す。そこには輪状に生えた背の低いキノコが並んでいる。
「このフェアリーサークルは、普段は何とも無いただのキノコの繁殖地。だけど、ハーフリングを始めとする一部の種族にとっては、時折これが門となるんだ。僕とハルトはハーフリングの一族の一つである春風のルドクシア族。この時期のこの晩のこの時間、フェアリーサークルは僕らにとっての門となるんだ」
そう言って父さんは俺の手を引き輪の中へ入る。するとキノコ達が淡く光だし、その光は立ち昇るように漂い始める。青とも緑ともとれる不思議な光だ。
「輪の外を見てはいけないよ。もちろん出てもいけない。今、輪の外は森じゃなくて世界の暗がりだ」
禁則事項は実行前に言って欲しい。既にちょっと見てしまった。
「…見ちゃったんだけど」
「まぁ、ちょっと見るぐらいは平気さ。気分の良いものではなかっただろ?」
僅かに見えた輪の外では、インクが水に溶けるかのように森の風景が捻じ曲がり、月明かりが差していたというのに、全てが暗闇へと溶け出してしまっていた。
「世界の暗がりってのはね、僕もよくわからないんだけど、『何も無い』が有るらしいよ」
何だよ何も無いが有るって。ど田舎かよ。そんなこと言って、セブンの一軒や二軒あるんじゃないの?
「ちなみに、輪の外に飛び出した人も今までに何人か居たらしいんだけど、運が良ければ目的地か出発地点に戻される。大抵はどこぞの遠方の別の門に飛ばされる。そして、運が悪いと体の表と裏がひっくり返るらしいよ」
父さんが珍しくおちょくるように俺を脅しつける。まぁあの風景を見て、わざわざ外に出ようとは思わない。
「さぁ光が収まってきた。もう着くよ」
光が収まるにつれ、辺りの景色がはっきりとしてくる。見てはいけないとは言われているが、目の端から入ってきてしまう。
「明るい…」
「ここはいつでも昼間だからね。もう輪から出ても平気だよ」
実際に輪の中に入っていたのは一分ほどであろうか。森の中という点では同じだが、それでも辺りの風景はガラリと変わっていた。前方には何本もの幹を束ねたような大樹。詳しい種類は解らないが、イチジクの木に似てなくも無い。
その木の麓に一つの人影が。
「おやまぁ懐かしい顔だねぇ。毎年開くってのに、とんと顔を見せないんだから」
「ええ。お久しぶりです、精霊様。ルドクシアのハルヴィニアが今、春を告げに戻りました」
金髪に尖った耳。街で見かけたエルフに似ている姿。違う点といえば、髪に何本もの蔦と葉が混じっているところと、腰が曲がり、皮膚が皺くちゃであることだろう。
俺が始めて会った精霊は、お婆ちゃんだった。
「春ってぇと、あれかい?子供こさえたのかい。その子がそうか。めんこいねぇ」
「バルハルトと申します。精霊様、よろしくお願いします」
「そんな畏まらなくてもいいさね。ほらこっちおいで。木の実をあげよう」
…わぁい。木の実だ。
俺は手を引かれて樹の根元に座らされる。精霊は綺麗なお姉さんであるとの思い込みによって、軽くダメージを受けもしたが、お婆ちゃんに大切にされるのもまぁ悪くは無い。前世の俺はお婆ちゃんっ子だったのだ。
「おや、この子はハーフリングだけじゃ無いね?相手は誰だい?」
「始まりの火のネルカトルの末の者です」
ネルカトルは母さんの一族の名前だ。領主の家もその系譜であるため、ネルカトル家を名乗っている。そのため、ネルカトルと言えば一般的には領主家を指すが、この場合は巨人族の系譜を示す名だ。
「巨人族が相手とは。これまた凄いのを相手に選んだね。よく子供ができたもんだよ」
「巨人族とハーフリングって子供ができづらいんですか?」
素朴な疑問を言う。両親は結構頻繁に仲良くしているのだが、未だに弟や妹ができる気配が無い。特に俺が風属性なもんだから、母さんは火を継ぐ子を求めている節もある。盗み聞きした話ではあるが、領主家のネルカトル家からも、火を継ぐ子を作るように催促されているらしい。巨人族の系譜としては、母さんの方が本流であるため、血の存続を心配されているのだ。
「なに、確かに属性の色が強く出る種族同士はちょっと子供ができづらいが、できないことも無いさね。バルハルトもお嫁さんは好きになった者で問題ないよ。婆ぁが心配してたのは…子供こさえるには大きさがね…まぁ坊には早い話さね」
「…精霊様、お忘れかもしれませんので一応伝えておきますが、僕は男ですので」
精霊様の目がサッっと父さんから逸らされる。
…どうやら父さんのような見た目はハーフリングでも珍しいらしい。全てのハーフリングを見てきた者が勘違いしていたのだから間違いない。
「それでなんだい?子を見せに来ただけじゃないんだろう?見た限り、早いようだが魔法が目覚めかけてるね」
「ええ。時期も合いましたので、目覚めを精霊様に見届けていただこうかと」
精霊の婆様が俺を持ち上げて、様々な角度から観察するかのように覗き込んでくる。意外と力強いな。
「こりゃ珍しいね。巨人族からは火も継いでるのに、火が熱となり、風に変換されている…。副属性として火が発現するのではなく、全てが風に集約され、極端な風属性となっているね。通りで目覚めが早いわけだ」
「え?属性って複数使えたりするんですか?」
てっきり一人一属性だと思ってた。
「なんだい。ハルヴィニア。あんたちゃんと教えてないのかい?」
「えぇ。魔法に関しては、魔法の目覚めまで待ってから教えるつもりでした。下手に教えると枷が掛かるとも言いますし」
そうだったのか。家に魔法に関する書物が無いのは、そのためだったのか。てっきり魔法を感覚で使う人達だから書物が無いと思っていた。
「下手に教えず、ちゃんと教えれば問題ないんだよ。全くもう」
精霊の婆様は俺に向き合い、説明を始める。
「いいかい?風なら扇。水なら
ただ、扇でも水しぶきを飛ばす程度ならできるし、松明程とは行かないが、火をつけて燃やしたりはできるだろう?適性属性程ではないが、小規模で簡単なことならできる属性。それが副属性さ。ここまではいいかい?」
俺は黙って頷く。
「適性属性は一人一つなんだか、例外がある。基本属性である火水土風とは別に存在する、原初二属性と呼ばれる光属性と闇属性だ。光属性は活性を、闇属性は停滞を司るんだが、そもそも生物である時点でこの二つは確実に持っている。
魔力による身体強化が誰にでも使えるのはそのためだよ。あれは一応、光属性による活性の結果さね。宿しているが故に有る程度は使えるが、操るように使うには適性が必要なんだよ。この二つの属性の適性は基本属性とは別でね、あれば所謂二属性持ちってことになるわけだ」
「つまり、俺にも光属性か闇属性に適性がある可能性があるの?」
「残念ながらバルハルトは風だけさね」
俺のデュアルエレメントへの夢は早々に破れた。
「まぁ後は種族魔法や種族特性だったり、固有魔法なんかも例外になるんだが、これはまたおいおいだね」
一応、種族特性は両親から聞いている。巨人族の特性である常時身体強化と各種状態異常耐性。ハーフリングの特性である感覚強化がこれにあたる。魔法よりも根源的なもの。種族として存在する段階で発生している魔法のような能力が種族特性だ。
「よし、じゃあバルハルト。そろそろ、あんたの魔法を見ようじゃないか。この洞の中にお入り。直ぐに婆ぁも行くから待ってるんだよ」
そう言って大樹に空いた洞に入れられる。多少奥に行くと小さなホール程はある空間にたどり着いた。不思議な空間だ。大樹といえども、明らかにこの空間は大樹よりも大きい。それに樹の幹で覆われているのに、何故か空間は光で満ちており、辺り一面を見渡すことができる。
「待たせたね。それじゃあ魔法を見せてもらおうか」
いつのまにか近くに精霊の婆様が居た。
「バルハルト。この世界が魔法でできているってのは知っているかい?」
「はい」
それは以前、父さんから聞いたものだ。全てのものに魂が存在し、その魂が自身の存在を魔法により顕現させる。その寄せ集めが世界であると。この顕現の過程で生まれるのが先ほど話していた種族特性だ。
「なら話は早いね。バルハルトも今、バルハルト自身を作り出してる。魂が魔法を使ってるんだ。そして重要なのが、魂の表面には精神ってもんがあることだ。今、見て聞いて感じているのがバルハルトの精神だよ」
精霊の婆様が諭すように語りかけてくる。
「心や思考の奥底にあって魂に繋がるのが精神だ。まずは精神で感じる自分自身を広げるんだ。そうすると魂は勘違いして、本来の自分自身以外も顕現させるんだよ」
「…自分を広げる」
「まずはほら、ハーフリングらしく感覚に身を委ね、風を感じてごらん」
俺は腕を軽く開き、耳を澄ますように感覚を広げていく。これは父さんとの剣戟で身に付いたもの。恐らくはハーフリング故の感覚強化。自分の周囲の空気も感じ取ることができる。
「そうそう、その調子。…今、バルハルトは周囲のことが手に取るようにわかるだろう?わかるってことは、言ってしまえばバルハルトの一部ってことだよ」
感覚が肉体の範囲を出て拡張する。ハーフリングは風属性だから、こんなことができるのか…。いや、逆か。ハーフリングはこれができるから風属性なのだろう。
「…魔力の流れはいいんだが、妙に活性が悪いねぇ?」
強化された感覚が精霊の婆様の小さく呟く声を拾う
「…この感じは?彫金の方で習ったのか?…バルハルト。あんた錬金術を習ってるのかい?」
その台詞を聞いて背中に冷や汗が浮かぶ。錬金術とは所謂科学のことだ。世界の仕組みを調べ検証し利用する学問。魔法の存在するこの世界でも、その立ち位置は変わらない。
「習っているわけじゃ無いですが、…人よりは詳しいかと」
「そこが原因かねぇ?バルハルト。あんたはまだ魔法を疑ってる。錬金術はうまく利用することで魔法の威力を上げることができるが、あんまり深入りすると魔法を阻害するよ。なんたって、錬金術的にはあり得ないことを起こすのが魔法なんだ。もっとできて当たり前だと信じながらやってごらん」
俺は再び感覚を強化する。
「そうそうそのまま。…風を感じて。風を想像して」
魔法はイメージか。前世の記憶を持つ俺の想像力はいかほどなのか。漫画やアニメの知識はイメージを補強すると言う人もいれば、寧ろ、そういった媒体のせいで想像力は昔の人より低下してるという人もいた。
「…なんか余計なことを考えてるね?」
…集中しよう
「難しく考えることはない。風の記憶を思い出してごらん」
風。風かぁ。
俺は前世では農家に生まれた。山が近いせいもあってか、天気予報が当てにならず、自分自身で風を感じて予測していた。あの頃は風と共に生きていた。雨の前の静かな風を思い出す。
前世での最後はバイクに乗っていたな。車体が切り裂く風の流れが好きでたまらなかった。俺はあの世界から、風と共に去ったのだ。
世界を渡るとき、風を感じた。自分自身を剝がすような嵐のなか、気付けば風が味方となっていた。そしてこの世界に風と共に生まれたのだ。
いつのまにか閉じていた目を開ける。目を開けてから、自分が今、目を閉じていても見えていたことに気付いた。
周囲には渦巻くように穏やかな風が吹いている。その風の全てが俺となり感覚を伝えてくる。
「いい風の目覚めだ。精霊たちも喜んでいるよ」
「精霊達?」
ここには精霊の婆様以外にも精霊がいるのだろうか。言われてみれば、確かに俺の風が何かを微かに感じ取る。しかし、微細というか薄過ぎて具体的にはわからない。
「私なんかよりも、ずっと小さな精霊さ。ハーフリングも含め定命の者たちは、精神を用いて魔法を使うけどね。精霊はその逆。木々や水など精神なき者が、なんらかの拍子に魔法を発動して、その結果産まれる精神が精霊なんだよ」
「精霊様も魔法から産まれたの?」
「そうだよ。最初のハーフリングが産まれ落ちる奇跡の魔法。その魔法の残滓が宿ったのが
なんと。始まりの地とはそういう事なのか。始祖と言うわけではないが、ある意味ハーフリングの母と言うわけだ。というかハーフリングの生誕方法すげぇな。魔法で産まれたのかよ。
「世界もまだまだ朧げだけど、もうあの頃程には幻想には包まれていない。新たな種族が産まれ落ちる程の奇跡は、もう起きないだろうねぇ…」
精霊の婆様が懐かしむように俺の風に手をかざす。
「…さぁハルヴィニアのところへ戻ろうか。奴も風が目覚めたことを感じ取ってるはずさね」
精霊の婆様が手を振ると、幹の壁に洞が空き、俺を外へと促した。俺は渦巻いていた風の勢いを落とし、歩きはじめる。風は俺に合わせて望むように形を変えてくれる。今は俺を僅かに覆う程度だ。
外に出ると、父さんが微笑みながら俺を待っていてくれた。
「精霊様。目覚めの立会い、感謝申し上げます」
「何言ってんだい。目覚めの立会いは私の数少ない楽しみなんだからね。遠慮なんかされたら困っちまうよ」
「ハルト。無事目覚めたようだね」
「うん。今はこう慣れないけど、一応思い通りに動いてくれる」
父さんが微笑みながら俺を抱きしめる。あぁ、前は微かにしか解らなかった父さんの風を感じる。静かで細やかだけど、優しく包み込むような風だ。
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