第25話 真相
放課後。僕は店に入ると、飲み物だけ注文していつものテーブルを目指す。「元カレぶっ潰す委員会」で話し合いをする際にはいつもこの店を利用していた。この一ヶ月足らずの間で何度お世話になったことか。
しかし、それも今日で最後になるだろう。
高山さんの話の内容がどういうものかは知らないが、僕は今日ここで一連の戦いからのリタイアを宣言するつもりだ。
理由は単純。恥ずかしながら、昨日の一件で心が折れてしまったからだ。
タイミングや男の発言からして、「僕と元カレたちとの戦い」と「昨日の件」が無関係であるとは思えない。
そもそも、僕が飛鳥井さんの彼氏に相応しくないということは始めからわかっていたことだった。僕など何の取り柄もないごく普通の高校生だ。思い返せば、これまでの勝利だってどれもお情けで得たものであり、真に実力で勝ち取ったものなど一つも存在しない。
だからリタイアする。そう伝えるのだ。これまで協力してくれた恭平と高山さん、蒼井先輩、僕のわがままを聞いてくれた吉木くん、安斎くん、そして飛鳥井さんには悪いが、これはもう決めたことだ。非難されることも覚悟している。これまで優しくしてくれた皆に失望されることを想像するだけで心が締め付けられる思いだが、それでも無理なものは無理だ。
僕の戦いはここで幕を下ろす。そう伝えるんだ。
そんな決意と共に、飲み物を持ったまま座れる席を探していると、いつもの席に人影が見えた。きっと高山さんだろう。先に来ていたのか。そう思って歩みを進める。
しかし近付くにつれて違うとわかった。
そして、そこにいるのが誰かわかった瞬間、僕の足は動きを止め、魔法にかかったかのように一歩も歩けなくなった。
「待ってたわよ」
懐かしい声がした。実際は最後にその声を聞いてから数週間程度しか経っていないが、それでも懐かしい気がした。
それも、だってそれは僕がずっと恋い焦がれた声だったのだから。
高山さんの代わりにそこに座っていたのは僕の想い人――飛鳥井美羽さんだった。
「な、なんで……」
「その話は追々。とりあえず座ったら」
「ああ、はい」
飛鳥井さんに促されて、僕は彼女の正面に座る。足の硬直は解けていた。
どういうこと? 僕の前には現れないんじゃなかったの?
状況が理解できない。僕の頭の中を疑問符が踊る。
「もうちょっと待っててね。陽菜と三浦くんが遅れて来るはずだから」
「えっと……」
「こうして会うのは久し振りよね。ちょっとお話しましょう」
「は、はい」
「ふふっ。そんなに緊張しないでよ」
混乱して声がうわずる僕に対して、飛鳥井さんは笑いながら語りかける。
なんだか、以前よりも気安い印象を受けた。
「私ね、対抗戦が始まってからの原田くんについて、陽菜からいろいろ聞いてたの。凄かったらしいじゃない。私の元カレたち相手に三勝したんでしょ」
僕は慌てて否定する。
「いや、違う。勝ってなんていない。飛鳥井さんの元カレの皆は本当に凄くて、僕なんか……」
僕なんかとは人格もスペックも何もかもが違う。彼らこそ飛鳥井さんの元カレに相応しい人間だ。僕が勝っているところなんてない。
そう思って否定したのだが、飛鳥井さんは僕の言葉など一笑に付す。
「何言ってるの。原田くんだって私の元カレでしょ。同じよ」
「…………」
「ああ、そっか。ごめんなさいね。まだ戦っている最中なのに『元』なんて言っちゃ駄目よね。無神経だったわ」
僕が黙ったことで勘違いしたのか、飛鳥井さんは見当違いな謝罪をした。
「いや、違う。違うんだ」
僕は慌てて訂正する。
「そういうことじゃなくて。僕なんかが飛鳥井さんの元カレを名乗るなんておこがましいってこと。皆の足下にも及ばないさ」
「そんなことないわ。原田くんだって私が認めた男性よ」
飛鳥井さんは心外とばかりにに言う。お世辞だとしても嬉しかった。
そうだ。この際だ。ずっと疑問だったことも訊いてみよう。
「飛鳥井さんはどうして僕と付き合ってくれたの?」
僕の質問を受けて、飛鳥井さんは顎に手を当てて考え込む。
「んー、どこから話そうかしら。……そうね。月島くんと別れてからの話をしましょう。あなたも会ったのよね、
「……うん」
薄々気付いていたがやはり、昨日の男も飛鳥井さんの元カレだったのか。そして名前は「月島信長」というらしい。
「会ってみてどう思った? 正直に言っていいわよ」
「……乱暴な人だと思った」
僕は少しためらった後、言葉を選びつつも正直に告げる。
すると、飛鳥井さんは真剣な表情で続けた。
「そうね。原田くんの感想は間違っていないわ。彼は乱暴な人よ。……私と付き合っていた頃もそうだった。学校では付き合っていることを秘密にしていたから大人しかったけど、デートで他の男の人にナンパされたときなんて彼がその男の人に殴りかかっちゃって警察沙汰になったわ」
僕と付き合った理由を訊いたのに、いったい何の話が始まったのか。聞き方によっては
「とはいえ、そんな乱暴な月島くんも私にだけは優しかった。まあ、私にとってはまったく嬉しくないことだったけどね」
「どうして?」
彼氏に優しくされているのだから、普通は嬉しいだろう。
「彼は自分の所有物だけは大切にする人だったわ。そして、彼は自分の所有物に近づこうとする人には容赦なかった。そんな彼に大切にされる私は、つまり彼の所有物だったってことなんでしょうね。彼女じゃなくてアクセサリーみたいな扱いよ。私はそれが嫌だった」
淡々と語る飛鳥井さんの顔には笑みはない。
僕は黙って耳を傾ける。
「最初は私も我慢してたんだけど、ある日限界になって別れたわ。恋愛にも懲りて、それから半年くらい誰とも付き合わない期間が続いた。初めて話した日、あなたの告白も断ったわよね。アレにはそういう理由があったの」
そういえば蒼井先輩が言っていた。僕と付き合う前に、飛鳥井さんがフリーだった期間が半年あったと。
「……だけど、いろんな男の人と付き合ってきた私の恋愛体質は変わらなかった。半年経って、誰かを愛したい、愛されたいって欲求が増してきて我慢できなくなったのよ。そこから先は原田くんも知っての通り。……そういうわけだから、こう言っちゃ何だけど、あの時は誰でもよかったのよ。月島くんのような、乱暴な人じゃなければ誰でもね」
「……そっか。……そうだよね」
その瞬間、幻想が壊れる音が聞こえた。
やっと目が覚めた。ああ、そうか。僕は自分が特別だとうぬぼれていたんだ。飛鳥井さんに幻想を抱いて意地になっていただけだったんだ。
それに気付くと少しすっきりした。
飛鳥井さんは続ける。
「そんなスタートだったけど、付き合ってからは楽しかったわ。あなたはとっても優しかったもの。もちろん、月島くんとはまったく違う優しさよ。温かかくて、とても心地よかった。デートであなたがくれた熊のぬいぐるみ、実はまだ部屋にあるのよ。別れたときに捨てようかと思ったんだけど、捨てられなかった」
僕は思い出す。初デートで何か贈り物をしたくなって、その時近くにあったゲームセンターのUFOキャッチャーで四千円もかけて取ったぬいぐるみ。今思えば、彼女の好みも訊かず、無駄に時間をかけただけの自己満足だった。それをまだ持っていてくれていたなんて。
「あなたは私にはもったいないくらいにとっても素敵な人よ。自信を持って」
「ありがとう」
飛鳥井さんにそう言ってもらえたのだから、もう悔いは無い。
認めよう。原田拓実はこの瞬間、失恋したと。そして、この恋は終わったと。
清々しい気分だ。僕はやっと飛鳥井さんの元カレになれた。
飛鳥井さんへの未練がなくなって、これで吉木くんとも、蒼井先輩とも、安斎くんとも対等になれた。
「そうだ! 二人ともまだ来ないみたいだし、ついでに白状しちゃおうかしら。私の予定ではあなたは安斎くんに負けるはずだったの。彼が勉強以外の勝負を持ちかけるわけがないし、どう考えてもあなたでは勝てないと思ったから」
「ひどいなあ」
そう言いつつ、ショックはなかった。彼女との恋はもう終わったんだ。
飛鳥井さんも僕が諦めたことに気付いているのだろう。そうでないと、ここまで赤裸々に話さないはずだ。
「ひどいって言ったって事実だもの。だって彼、毎回のテストで満点なのよ」
「確かに。そりゃ無理だ」
そんなこと恭平も高山さんも教えてくれなかった。きっと教えたら僕のモチベーションが下がると思ったのだろう。正解だ。
「だから、安斎くんがカンニングをしたと聞いたときには焦ったわ。そんなのデマだってわかってたけど、これでもし、何かの間違いであなたの勝利になってしまえば、いつか月島くんと戦うことになっちゃうかもでしょ」
「僕のことを心配してくれてたんだ」
「もちろんよ。……だけど結局、私は何も出来なかったわ。月島くんの行動すら予想できなくて、あなたに怪我をさせてしまった。本当にごめんなさい」
飛鳥井さんは深く頭を下げた。
その瞬間、僕は気付いた。
どうして、これまで無干渉を貫いてきた飛鳥井さんが今さら僕の前に現れたのか。
どうして、今さら「僕に告白した理由」を話してくれたのか。
どうして、飛鳥井さんは僕に別れを告げたのか。
その答えがすべてわかった。
要するに、自分のものに固執する月島くんから守るために僕と別れ、その月島くんに僕が怪我をさせられたから禁を破って自ら顔を出し、罪滅ぼしとしてそれまで秘密にしていたことを話したと。きっと、そういうことだろう。
なんと強く誠実な女性なのだろう。
多分、指摘しても飛鳥井さんは決して認めない。なら気付いていないフリをするのがマナーか。
代わりに僕は言う。
「謝らないでよ。飛鳥井さんは悪くない。こんなの僕の自業自得だ。……それより、月島くんのことどうするつもりなの? まさか、このままよりを戻すの?」
問うと、飛鳥井さんは笑って答えた。
「まさか、そんなわけないでしょ。昨日、彼に告白されたけど断ったわ」
「それって大丈夫なの?」
それで彼が納得するとは到底思えない。僕が知る月島信長は、飛鳥井さんと付き合うためならライバルを闇討ちすることもいとわない男だ。
「大丈夫よ。気にしないで」
――だって対抗戦を下りるつもりの原田くんにはもう関係ないことでしょ。そう暗に言われた気がした。確かに僕はもう、飛鳥井さんと付き合うための戦いに身を投じる権利も覚悟もない。
「……そっか。じゃあ最後に一つだけ良いかな?」
「どうぞ」
「僕たちは友達で良いんだよね」
すると、飛鳥井さんはさも当然のように答えた。
「何言ってるの。ずっと前からそうよ。中庭で会ったあの日からね」
「……うん。そうだった」
その言葉を聞けただけで、ここまでの頑張りに価値が生まれた気がした。
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