第9話 VS吉木大地(4)

 どんぶりに残った麺を食べきってから、僕は店員に替え玉を注文する。もちろん、二人前。

 店員の女性は一瞬、迷惑そうな顔をしつつも、なにも言わず注文を受けてくれた。

 しばらくすると僕の元にも替え玉の麺が届いた。

 先に注文していた吉木くんはもう食べ始めている。

 正直、あと一玉でもきついくらいだ。腹をくくる。

「諦めた方が良いんじゃないのか?」

 吉木くんが煽ってくる。彼の食べるペースは変わっていない。

「いや、大丈夫」

「本当か? 意地張らなくて良いんだぞ」

「張ってない」

 対抗して強がるが、麺を見ているだけで脂汗が出た。

 見ているだけではどうしようもないので、覚悟を決めて麺を投入する。とはいえ、長期戦を見越して、まずは一玉だけだ。

 吉木くんは麺が伸びる前に食べ切られる自信があるのか二玉同時に投入していた。

 こんな些細なことでも彼との差を見せつけられたようで、心が折れそうになる。

「なあ、拓実。大丈夫か?」

 恭平が心配して声をかけてくれる。だが、これは僕の勝負だ。

「大丈夫だよ。期待して待ってて」

「……そうか」

 そう言って心配そうにじっと見守ってくる。ありがたかったが、今の僕にそんなことを気にしている暇はなかった。

 急いで食べなくては。

 僕は麺を持ち上げ、息を吐く。そして、一息ですする。

「……げほっ」

 途中でむせかえったため、仕方なくかみ切った。満腹が近づいたことによって、すする力が確実に落ちている。ファストフード店で食べたポテトとナゲット、それとドリンクが今は心の底から恨めしい。

「大丈夫?」

 高山さんが僕の背中をさすってくれた。立会人としては良くないのだろうが、隣で苦しそうにしているのが見ていられなかったのだろう。

 小声で「ありがとう」と伝え、再び麺を口に運ぶ。

「そんな頑張らなくて良いと思うぞ」

「……いや、僕は飛鳥井さんが好きなんだ。諦めない」

 吉木くんの言葉に、口いっぱいの麺を水で無理やり流し込んでから答える。そんな僕の様子に吉木くんは呆れかえっているように見える。

「そうか。頑張れよ」

「言われなくても」

 とはいえ、僕のお腹は既に限界が近かった。汁を吸ってのびていた麺がお腹に直接響く。スープは冷めてきているうえ、そもそも一杯目の麺に吸われて減っている。もはや味のない麺を食べているような気分だった。

 僕が向かいのどんぶりを窺うと、吉木くんはもう少しで食べ終わりそうだ。僕の方はまだ半玉とプラス一玉残っている。

 大きく息を吐いてから一息で吸う。しかし、最初の吸引力はもうない。箸で無理やり、口に中へ運ぶ。いや、運ぶと言うより、詰めると言った方がしっくりくるかもしれない。

 恭平と高山さんは僕たちの会話に一切口を挟まず、勝負をただじっと見守ってくれている。

 麺と格闘すること約十分。

「よし、あと一玉……」

「ごちそうさま」

 僕が最後の一玉をどんぶりの中に投入するのと、吉木くんが食べ終わるのが同時だった。二人がしているのがもし早食い対決だったなら僕は負けていた。

 そうではないとはいえ、余裕そうな吉木くんの顔を見ていると焦りが増してくる。

 吉木くんは箸を置き、僕のどんぶりをのぞき込む。

「まだそんなに残ってるのか。もういいだろ。諦めろよ」

「嫌だ!」

 反射的に答える。

「まったく……しょうがねえな」

 すると、吉木くんは途端に哀れむような顔になった。さっきと同じだ。聞き分けがない子どもに言い聞かせるように、彼は優しく諭してくる。

「……俺だって意地悪で言ってるんじゃない。原田のためを思って言ってるんだぜ」

 耳を貸してしまったら決心が揺らいでしまう。そう思って、僕はわざと大きく音を立てながら麺をすする。

 だが、吉木くんはなおも説得を止めない。

「お前は充分頑張ったよ。だれもお前を馬鹿にしない。なっ? だからここでリタイアしようぜ」

「……」

「お前にとって飛鳥井は初めての彼女だったんだろう? だったらこだわる気持ちもわかる。誰だって初めての彼女は特別だよな。でも、飛鳥井以外にも女の子は沢山いる。次の恋を探そうぜ」

 吉木くんは優しい言葉で僕の心を揺さぶってくる。

 だが、僕にだって意地があった。

「リタイアなんてしない!」

 好き勝手言われて黙っていられない。僕は一旦箸を置くと、正面に座っている吉木くんを睨みつける。そして言い放つ。

「飛鳥井さんの代わりなんていないんだ。次の恋なんてありえない。……それに、吉木くんは誤解している。僕は飛鳥井さんを神聖視なんてしていないし、僕は飛鳥井さんと一緒にいたって駄目にはならない。それに、飛鳥井さんだって……」

「誤解しているのはお前だっ!」

「……」

 突然の吉木くんの怒号に、僕は二の句が継げなくなる。

「言うまいと思っていたが、お前のために言ってやる。いいか、よく聞け。……あの女に、お前と復縁しようなんて気はみじんも無いだろうぜ」

「おいっ! 止めろ」

 恭平がいさめる。だが、吉木くんは止まらない。

「だって考えてみろうよ。本当に付き合うつもりが少しでもあるなら、こんな条件出さないだろ」

「えっ……?」

「自分で言うのも何だが、俺はそんじょそこらの男子高校生たちよりもずっと優れていると自負しているし、結果だって出している。飛鳥井の元カレが何人いるのか知らないが、他の奴らだって多分それは同じだ。そんな俺たち全員に勝たないと付き合えない。それは実質、振られたようなものだとは思わないか?」

「そ、そんなこと……」

 口がもつれてうまく返せない。

「そういえばさっき、なんであの女がお前に告白したのかわからないって言ってたよな。あれだって『飛鳥井美羽は原田拓実と付き合うつもりがある』という前提さえ除けば、簡単に答えが出るじゃないか」

 ――やめてくれ。

 ――どうか、その先は言わないで。

 僕は心の中で懇願するが、吉木くんの口は止まらない。

「あまりにしつこいお前のアプローチに困ったあの女は、穏便に交際を諦めさせるために、あえて自分から告白して、いったん満足させてから振ったんだよ。だってストーカーにでもなられたら迷惑だからな」

「……」

 何も言い返せない。実は、その可能性には僕も思い当たっていた。しかし、意識して考えないようにしていたのだ。

 意識してしまうと辛すぎるから。

 降参してしまおうか。とうとうそんな考えが頭をよぎった。

 意地だけではどうにもならない。物理的に無理だ。こんなことをして何になる。誰にも望まれていないのだ。

 それなのに一人で舞い上がって周りを巻き込んで。僕はなにをしているんだろう。

 僕の頭の中でそんな否定的な考えが溢れる。溢れて溺れそうになる。息が苦しい。

「……そんなことない」

 すると、隣から力強い声が聞こえた。高山さんだ。さっきまであまり会話に参加しようとしていなかった彼女の声に三人の視線が集まる。

「美羽が原田くんと付き合ったのはそんな理由じゃない!」

「じゃあ、何でなんだよ」

 機嫌が悪そうな吉木くんに詰められ、高山さんは顔を伏せる。だが、黙り込むことはしない。

「それは知らない……。でも、少なくとも美羽はそんな陰険なことしない。振るなら正面から振る。親友の私が保証する」

「そんなこと言われてもなあ……」

 吉木くんは納得いっていない様子だ。

 その時。僕は机の下で高山さんが強く拳を握っていることに気付いた。身体は小刻みに震えている。何かに耐えているようだ。

 彼女は立会人だからどちらにも肩入れできない。でも、きっと親友を悪く言われて黙っていられなかったのだ。

 僕はハッと気付く。

 そうだ。僕が信じなくてどうする。ここで諦めてはいけない。そう思い、僕は再度奮起する。

「高山さん。ありがとう。僕は信じるよ」

「原田くん……」

「僕が証明してみせる。任せて」

 胸を叩いて笑いかける。思い切り叩きすぎて食べたものを戻しそうになったが、表情に出さないように堪えた。

「ありがとう」

「おいおい。原田、諦めるんじゃなかったのか?」

「いいや、諦めない。僕は負けられないんだ!」

 僕は宣言し、麺を勢いよくすする。最初の麺に吸われたせいでスープはほとんど残っておらず、麵自体の味しかしない。

 しかし、そんなことは関係無い。僕は止まらない。

 すると、テーブルの横に店員の女性がいたのに気付く。

「あっ、すいません」

 僕は反射的に謝る。

 うるさかっただろうか? 勝負に集中して周りが見えていなかった。それは他の三人も同じで、申し訳なさそうな顔になっていた。

 すると、女性はおもむろに僕のどんぶりをひったくった。

「ちょ、ちょっと待ってください。まだ下げないで」

 慌てて取り返そうとすると、女性はぶっきらぼうに言った。

「安心しなさい。スープを入れるだけよ」

「えっ?」

「本当なら追加料金貰うんだけどね。今日はサービスだよ」

 そう言って厨房に消えていく。そして戻ってきたときには僕のどんぶりに温かいスープが注がれていた。

「……あ、ありがとうございます」

「頑張りなよ。少年」

 女性は親指を立てて、すぐに去って行った。

 僕は早速、麺をすする。暖かくなったのと味がするというだけで、さっきとは比べものにならないくらい箸が進む。

 ここから先は気力の勝負だ。僕はただひたすらに箸を動かす。

「拓実、頑張れ」

「頑張って」

 高山さんも含め「元カレぶっ潰す委員会」二人で応援してくれている。力を貰って食べ進める。

 そうだ。諦めたりなんかしては駄目だ。応援してくれる人がいるのだから。

「マジかよ……まだ食べるのかよ」

 吉木くんのことはなるべく気にしないようにして、僕はただひたすらに目の前の麺を飲み込んでいく。満腹なんてとっくの昔に迎えていた。完全に許容量オーバーだ。それでも意地で箸を動かす。

 格闘すること二十分あまり。最後の一本を口に入れて、水で飲み込む。

「ごちそうさま」

 どんぶりの中にもう麺は残っていない。僕は替え玉二玉をなんとか食べきった。

 吉木くんはラーメンとごはん、おかずまで含めてとっくに食べきっている。ずっと待ってくれていたのだ。

「それで? まだおかわりする?」

 見たところ吉木くんにはまだ余裕がありそうだ。追加で替え玉を注文されたら勝ち目はない。

 だけど虚勢を張って僕は尋ねる。

 すると、吉木くんは大げさに肩をすくめた。

「いいや。参ったよ。勘弁してくれ」

「もういいの?」

「いいんだ。覚悟が伝わったからな。外野がとやかく言うようなことじゃない。俺はお前を応援する」

「吉木くん、ありがとう」

「もういいって」

 吉木くんは照れ笑いを浮かべる。

 これが本来の彼だった。吉木くんは友達思いで優しいのだ。僕は知っている。飛鳥井さんを好きでいるのを反対していたのだって、僕のことを思っての言動だった。

 ああ、敵わない。やっぱり吉木くんはかっこいいな。飛鳥井さんが好きになるのも当然だ。

 ただ、なんにせよ僕の勝利だ。

「また一緒に来ようよ。今度は勝負抜きで」

 店を出てから、吉木くんにさりげなくそう言うと、彼は露骨に眉をひそめた。

「それは勘弁してくれ」

「えっ……? どうして?」

 嫌われたのだろうか? 狼狽える僕。

 すると、吉木くんはニッと笑ってこう答えた。

「……お前の惚気はもう腹いっぱいだ。今度はお互い黙って食おうぜ」

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