第32話 その後

 月島くんと戦った翌日。僕は病院にいた。

 あの日、月島くんが去った後、緊張から解放された僕は安堵から突然気を失った。月島くんと対峙するにあたって無理していたツケが回ってきたのだろうと思う。

 気を失っていたので伝聞だが、地面に倒れた僕はその後、救急車で病院へ運ばれたらしい。目を覚ました時にはベッドの上だった。

 なんでも喧嘩の際に受けた頭部へのダメージに加えて、倒れた際にも頭を強く地面に打ち付けたらしい。医者が言うには、脳へのダメージは遅れて大事になることもあるそうだ。なので、夜遅かったことと病院のベッドが空いていたこともあり、昨日はそのまま病院に泊まることになった。

 現在の時刻は午前11時。いまのところ何も問題は起きていない。頭が痛むこともないし、ボーッとすることもない。アザはできているが、元気そのものだ。

 やはり救急車は大げさだったようである。これなら今日中に帰れるかもしれない。

 幸い、今日は土曜日。学校は休みだ。テスト返しが行なわれる月曜日までには退院できれば何の問題も無い。

 あれだけ頑張ったのだから、きっとそれなりの点数が取れているはずである。安斎くんとの勝負は消えてしまったが、努力の成果が確認できるというだけで楽しみだ。

 ……なんてことを考えていると、不意に病室の扉が開いた。僕の視線はそちらに吸い寄せられる。

「調子はどう?」

 そう言いながら遠慮がちに病室に入ってきたのは高山さんだった。

「元気元気。強いて言えば、殴られたところがちょっと痛むくらい」

「……そう。思ったより元気そうで安心したわ」

 高山さんの表情が緩んだ。彼女はそのまま椅子を出して座る。

 きっと僕のことを心配してお見舞いに来てくれたのだろう。嬉しい。

 ――嬉しいのだが、一つだけ気になることが……。

「んっ? ああ、他のメンバーなら後で来るって。私だけ先に来たのは訊きたいことがあったから」

 疑問が表情に出てしまっていたのか、高山さんはそう釈明する。

 それを聞いて僕は胸をなで下ろす。良かったぁ。嫌われてるのかと思った。

「そんなわけないでしょ。原田くんは今回一番の功労者だもん。みんな感謝してる」

 高山さんは笑って答えるが、僕は本当に心配だったのだ。僕は今回の件の功労者であると同時に、そもそもの元凶でもある。元はと言えば僕があんなことを口走らなければ、こんな大事にはならなかっただろう。恨まれていても文句は言えない。

「……ま、そんなことよりも。私は原田くんに訊きたいことがあって来たの」

 高山さんが唐突に身体をズイッと近づけてきて言う。

 そういえばそんなことも言っていた。わざわざ1人で先に来るほどだから、よっぽど訊きたいことがあったのだろう。

「なあに? 何でも答えるよ」

 促すと、高山さんは単刀直入に訊いてきた。

「原田くんはこれからどうするの?」

 漠然とした質問に、僕は首を傾げる。

「どうするの、とは?」

「月島くんを追い払ってくれたわけだし、私個人としてはもう一度美羽に告白する権利くらいならあげてもいいかな? って思ってるんだけど」

 驚いて言葉が出ない。

 なんとも魅力的な提案だ。思い返せば僕はこれまで、そのためだけに頑張ってきたのだ。一気にゴールが見えた。

「私にはその権限があるし、美羽もきっと了解してくれるはず。だから後は原田くんの気持ち次第。美羽のことをまだ想ってくれてるなら是非受け取ってほしいかな」

「……」

 僕は考える。

 数日前までの僕なら考えるまでもなく飛びついていただろうが、今の僕は違う。飛鳥井さんから真実を告げられて以来、心が揺らいでいる。「僕はまだ彼女のことが好きなのだろうか?」「初めての彼女だから執着しているだけではないだろうか?」「こんな気持ちのままで告白するのは飛鳥井さんに失礼なんじゃないのか?」考えれば考えるほど頭がこんがらがってきて、結論が出せないでいた。

 僕がずっと黙り込んでいると、それを見て高山さんが呆れたように言った。

「……美羽から聞いたよ。原田くん、美羽への執着を断ち切って、やっとになれたんだってね。おめでとう。……でも今見た感じ、まだ未練タラタラじゃん」

 まったくもってその通りだ。返す言葉もない。

「悩むくらいなら思い切って告白しちゃえばいいのに」

 僕は首を横に振る。それはできない。自分の気持ちに整理がつかないまま告白するのは誠実でないと思うからだ。もしかしたらこの気持ちは小汚い執着かもしれない。

「じゃあやめとく?」

 その問いにも僕は首を横に振る。飛鳥井さんのことを好きな可能性が少しでも残っているなら、告白できるチャンスを手放したくない。それに、ここで拒否するのは今まで協力してくれたみんなに失礼だからだ。

 高山さんは大きくため息をついた。

「どっちよ。……はぁ、まあいいや。感情に流されずに誠実であろうとするところも原田くんの良いところの一つだしね。じゃあ猶予をあげる」

 そう言って、高山さんはニヤリと笑った。

「……美羽から聞いたんだけど、別れた恋人への未練を完全に断ち切る確実な方法が一つだけあるらしいの。原田くん知ってる?」

 寝耳に水。それはまさに僕が一番求めていた情報だ。

「知らない。教えて!」

「焦らないで。ちゃんと教えてあげるから」

 すると、高山さんはやけに焦らしてからゆっくりと口を開く。

「……いい? 別れた恋人への未練を完全に断ち切る方法。それは、――

「新しい恋……?」

「そう。もっと好きな人ができれば自然に元カノのことは忘れられるはずでしょ」

「……確かに」

「名付けて『恋は上書き保存大作戦』。美羽より相性の良い相手が見つかったら美羽への未練は消え失せるでしょうし、他の人と付き合ってそれでも美羽のことが忘れられないなら原田くんはまだ美羽のことが好きってことの証明。これで晴れて告白できるでしょ。私が全面的に手伝ってあげる」

「どうしてそこまでしてくれるの?」

「そんなの、美羽のために決まってるでしょ」

 高山さんは当然とばかりに言う。わかっていたが少し寂しい。

「それに、私だって一応『元カレぶっ潰す委員会』のメンバーだから。私が責任を持って美羽の元カレ最後の一人、原田拓実の恋愛観を思いっ切りぶっ潰してあげようって思ったの」

 後付けの理由にしては上手いことを言っていた。

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彼女の元カレぶっ潰す委員会 シャクジュンジ @syakuji_jun

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