第22話 VS安斎敬一(2)

 試験最終日の放課後。

 全教科の試験が終わり、僕たち「元カレぶっ潰す委員会」の三人はファストフード店に集まった。

 その目的は、試験の打ち上げをするため――ではない。

 僕らがここに集まった目的は、安斎くんも交えて今後の話し合いを行なうためだ。

 その原因は月曜日に起きた事件にある。

 あの日、テストの合間の休み時間にもたらされたニュースはすぐに教室中に広まった。その中には信じる者、疑う者、それぞれいたが、無関心な者はいなかった。それだけ学年一位のカンニング疑惑はビッグニュースだったのだ。

 そうして大いに沸いた教室だったが、次の試験の試験監督の入室によって一時的に収まりを見せた。

 ニュースが真実でもガセでも自分たちの試験に影響はない。そんなことを気にするよりも目の前の試練に対処した方が建設的だと多くの生徒が気付いたのだろう。

 しかし、教室の中で僕だけはなかなか気持ちを切り替えることが出来なかった。

 僕は安斎くんと試験の点数勝負をしている。これでもし彼が本当にカンニングをしていたとして、この勝負はどうなるのか。そのことが気になって、僕は開始のチャイムが鳴っても試験に集中できなかった。

 その日の放課後、安斎くんのカンニング疑惑がどうやら事実であったことが知らされた。なんでも、彼のクラスメイト複数人が、カンニングを目撃したと証言したらしい。本人はカンニングを否定していたものの、目撃証言が複数あることから教師側は嘘をついているのは安斎くんの方だと結論づけた。

「面目ない。真剣勝負だったのに、こんなことになって……」

 少し遅れてやってきた安斎くんは、僕たちの前に現れるやいなや深く頭を下げた。

 初日にカンニングをしたことになっている彼は、今日の試験も受けていない。なので、学校帰りの僕たちに混じって1人だけ私服だ。チェックのシャツの上にセーターを着ている。

 そんな安斎くんだが、頭を下げたっきり動かない。

 どう声を掛けようか迷っていると、恭平が先にに口を開いた。

「それで、実際のところどうなんだ? カンニングをやったのか? それとも、やってないのか?」

 すると、安斎くんは勢いよく頭を上げた。そしてすがりつくような、それでいて訴えかけるような目を僕たちに向ける。

「信じて欲しい。小生はカンニングなんかしておらん!」

「大丈夫。わかってるよ」

 落ち着かせるため、僕はすかさず答える。

 確かに、初めて聞いたときには動揺したものの、これは絶対にフェイクニュースだと確信していた。一度話したきりだが、彼がそんなことをするとは思えなかった。

「私たちの中で信じていない人は一人もいないわ」

 高山さんが言い、恭平も頷く。

「かたじけない。……原田氏にはどうやって謝って良いものか……」

「いいんだ。安斎くんは悪くない。むしろ君は被害者じゃないか」

 椿西高校ではカンニングが判明した時点で全科目0点になる。それ以降のテストを受けることさえ出来ない。さらに、カンニングした生徒は大学の推薦入試を利用できなくなる。学校生活を送る中で課される可能性のあるペナルティとしては相当重い方だろう。間違いでそんなペナルティを課されてはたまったもんじゃない。

「そんなことより、勝負はどうするよ? 何か他の対決とか……」

 恭平が切り出す。

 今日、ここに安斎くんを呼び出した目的はそれである。飛鳥井さんとの復縁がかかっている以上、この対決がなかったことになれば僕は大いに困る。期限があるので次の試験に再戦というわけにはいかないが、何かしらの形で再戦をしなくては。

 すると、安斎くんはあっさりと答えた。

「小生の負けということで構わないでござる」

「いいの……?」

「原田氏が悪い人でないのはわかっているでござる。異論はない。……それに、今は他のことを考える余裕がないのでござる。再戦なんて、とてもとても……」

 そう言うと、安斎くんは悔しそうに唇をかみ、俯いた。

 励ましてあげたいと思ったものの、今の彼に何て声を掛ければ良いのか見当もつかなかった。それは他の二人も同じだったようで、その場にいた全員が黙り込む。

 これを本当に「勝ち」と言って良いのだろうか?

 疑問を覚えたが、これ以外の着地点も見つからない。

 こうして僕と安斎くんの勝負はなんとも歯がゆい幕切れを迎えた。


 ファストフード店を出ると、空はすっかり暗くなっていた。安斎くんと別れて「元カレぶっ潰す委員会」の三人で並んで帰る。今の彼らの気分に反して、道路脇に並ぶ飲食チェーン店の明かりや、車道を走る車のヘッドライトがいやに眩しく感じる。

「で、どう思う?」

 横を歩く恭平が尋ねてくる。

「安斎くんはカンニングなんてしていないと思う」

 自信を持って答えると、友秋は首を振った。

「そういうことじゃない。カンニングをしていないのは大前提だ。……俺が言ってるのは、どうして安斎がカンニング容疑をかけられてしまったのか、だ」

「一人なら見間違いで済むけど、今回は何人ものクラスメイトが一斉に彼のカンニングを訴えている。何かあると考えて間違いないでしょうね」

 やはり、今回の件は誰かが安斎くんを陥れようとして起こされたのだと見て間違いないだろう。しかし、肝心の犯人にまったく心当たりがなかった。

 カンニングを告発したクラスメイトが怪しいけど、何が目的なんだ?

 安斎くんの人柄からして恨みを買っているとは考えにくいんだけど。

 他人のカンニングを告発して何の得がある?

 安斎くんがカンニングをして得をするのなんて、せいぜい……。

 考えているうちに高山さんの家の前に到着した。

「それじゃあ、また明日」

 そう言って高山さんは家に中に入っていく。彼女が家の中に入ったのを確認して、僕たちは再び歩き出す。

「ほんと、どうなってるんだろうな。安斎を陥れたって何も得しないのに」

「……」

 言うべきか僕は迷う。

 実はさっき、僕は気付いてしまったのだ。安斎くんがカンニングしたことになって得をする人間が、少なくとも1人いるということに。

 安斎くんがカンニング疑惑で得をする唯一の人間、それはだ。安斎くんのテストが全教科0点になったことで、僕は彼に勝利した。限りなく敗色濃厚の戦いで勝利を得た。明らかに得をしているだろう。

 もちろん、僕がやったのではない。そうなると、僕が勝って得をする人物が、この悪質なカンニング騒動を仕組んだということになる。

 それはいったい誰だ?

 ……その時だった。唐突に後ろから肩を叩かれた。

 何気なく後ろを振り向いた瞬間、顔面に激しい衝撃が走る。

「……っ!?」

 何が起こったかわからない。

 そのままアスファルトに背中から身体を打ち付ける。肺の中の酸素が一気に口から漏れた。アスファルトの冷たさが身体に伝わってきて、殴られたのだという事実に、僕はやっと気付いた。

「テメエが原田だな」

 低く冷たい声。

 僕を殴ったのであろう男が僕の上に馬乗りになる。

 男は僕と同じ、椿西高校の制服を着ていた。ただし、そのまま着るのではなく着崩している。体つきは筋肉質で大柄。髪型はパンチパーマ。夜なのに色つきのグラスをかけている。

「何やってんだ!」

 遅れて状況を理解した恭平が男の腕を掴み、僕から引きはがそうとする。しかし、あえなく振り払われてしまう。僕も自力で脱出しようともがくが、身体が抜ける気配がない。

 通行人は遠巻きに僕らのことを見ている。しかし誰一人、助けに入ろうとする者はいない。

 薄情だとは思わない。きっと怖いのだろう。それほどまで、僕の上に馬乗りになっている男は凶暴性を備えていた。

 男が腕を振りかぶり、そのまま僕の顔面に拳を振り下ろす。口が切れた。血の味が口いっぱいに広がる。それでも男は拳を止めない。

「なあ、聞いたぜ。テメエを倒せば美羽と付き合えるんだろ?」

 僕は腕だけなんとか引き抜いて頭をガードする。しかし、逃げられないように固定されているので気休め程度にしかならない。

「オイ、お前たち! 何をしている!」

 もう駄目かと思ったその時、大人の声が聞こえた。警察だろうか。声の主はそのままこちらへ走ってくる。

 声が聞こえるやいなや、男が僕の上から飛び退いた。

 男が去る直前、「パシャッ」という音が聞こえた。おおかた、野次馬の誰かが写真でも撮ったのだろう。

 男がいなくなったのを確認して僕は立ち上がる。しかし、殴られたせいだろう、めまいがして再び倒れる。

 地面に頭を打ち付ける。

 それを最後に僕の意識は途切れた。

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