第21話 VS安斎敬一(1)

 中間試験の日がやってきた。

 今日までのつらい日々を思い出す。

 恭平、蒼井先輩と勉強会をしたこと。毎日無駄な時間を見つけてはそれらを全て試験勉強に充てたこと。テレビもゲームも漫画も我慢して今日から始める試験に備えてきたこと。

 思い返せば、こんなに勉強をした経験は生まれて初めてかもしれない。

 ――なんて、浸っている余裕はない。

 1科目目「古典」の試験開始まで約10分。

 僕は最後の詰め込みに入る。この直前の暗記で一点を拾える可能性があるのなら、やらない理由はない。これまでも勝利のためにやれることがあるなら僕は全てやってきていた。

 我が椿西つばきにし高校の試験スケジュールは少し特殊だ。テスト自体は月曜日から木曜日まで四日間で行なわれ、金曜日は通常授業。そしてテスト返しが次週の月曜日にまとめて行なわれる。

 つまり丁度一週間後の月曜日、テスト返しの日がこの戦いの決着の日である。

 繰り返しになるが、僕は今日まで必死に勉強を続けてきた。テスト前に焦って始めた付け焼き刃の知力ではあるものの、勉強量と熱意だけはかなりのものだと自負している。安斎くんの実力は伝聞でしか知らないが、これなら良い勝負になるのではなかろうか。そう思う。

 教室前方の扉が開き、試験監督の教師が入ってきた。数学の岩田邦夫いわたくにお先生だ。

 途端に教室内の空気が張り詰める。たかが中間試験、されど中間試験。緊張感は入学試験とさほど変わらない。それどころか、僕にとってはある意味、入学試験よりもずっと大事な試験だ。

 仲の良い友人同士で集まってテスト前の最終確認をしていたクラスメイトたちも、ゆっくりと席につく。

 しばらくして予鈴が鳴る。

 教科書をカバンにしまうと、岩田先生が問題用紙と解答用紙が配り始める。

 僕は頭の中でさっき詰め込んだ単語とその意味を反芻はんすうする。土壇場で入れた知識なんてどうせテストが終わればすぐに記憶から消去されてしまうだろうが、テスト終了まで覚えていれば充分だ。

 用紙が配り終えられ、教室に静寂が訪れる。教室の前方、黒板の上に掛けられた壁時計の秒針が進む度に「カチッ」っと鳴る。普段なら絶対に聞こえないほどのごく小さな音なのに、僕の耳にはその音がはっきりと届いた。

 だんだんと早くなる心臓の鼓動と対照的に、秒針の音は一定の間隔で耳に届く。その小さな音は彼の心を落ち着かせてくれた。

 試験開始が近付くにつれて教室の空気が再度張り詰める。

 1科目目は「古典」。試験範囲は『源氏物語』あおいの巻。光源氏ひかるげんじ正妻せいさい・葵の上が六条御息所ろくじょうのみやすどころに呪い殺される場面だ。

 別の女性を想い続けて正妻である葵の上をないがしろにする光源氏と、プライドが高く光源氏に対して素直になれない葵の上。そしてプライドを傷つけられ嫉妬に狂う六条御息所。三者の関係性は頭の中に入っている。

 問題用紙と解答用紙を配り終えた岩田先生は、教卓の前に立って自分の腕にはめた腕時計をじっと凝視している。

 ――そろそろだ。

 始まる瞬間を今か今かと待ちながら、集中力を一層高める。

 そして、

「それでは始め!」

 チャイムが鳴り、号令がかかる。皆が一斉にペンを取り、筆を走らせる。

 試験開始だ。


「そこまで」

 チャイムと同時に発された岩田先生の号令で僕はペンを置く。

 解答用紙は回収され、今は先生が枚数を確認している。そして不備がないことを確認し、教室を出て行く。

 先生が退室したことで緊張から解放され、教室の空気が緩んだ。そこかしこで友人同士の答え合わせが行なわれ始める。

 僕は息を吐く。正直言ってかなり手応えがあった。自己採点を信じるなら、それなりの点が取れているはずである。

「どうだった?」

 早速、恭平がやってきた。少し心配そうな表情を浮かべる彼に対し、僕はVサインを作って向ける。

「とりあえず全力は出した」

「それはよかった。でも最後まで気を抜くなよ。今日はまだもう一科目残っている」

「わかってるよ。でも、恭平たちのおかげだ。ありがとう」

 感謝を伝えると、恭平は恥ずかしそうに頬をかいた。

「終わったらなんかおごれよ」

「もちろん。……でも、お手柔らかにね」

 さて、これで残り八科目。

 僕は教科書を取り出し、次の科目の試験準備を開始する。まだテストは終わっていない。むしろ始まったばかりだ。気を引き締めなくては。

 廊下が少しやかましいことが気にはなったものの、今は少しの時間も惜しい。僕は再び教科書に目を落とす。

 次の教科は「日本史」。覚える語句が多いため、直前に覚えた単語一つでも点数に直結する科目だ。一層集中力を高める。

 すると突然、教室前方の扉が勢いよく開いた。扉の開放音が派手に響き、教室中の視線が扉に集中する。僕も思わず教科書から顔を上げて目を向けてしまう。

 そこにいたのはクラスメイトの男子だった。トイレから帰ってきたのだろうが、なぜか息を切らしている。

 そして男子は教室の中を見回すやいなや焦った様子でこう告げた。

「おい、大変だ! 隣のクラスでカンニングが見つかったらしいぞ!」

「誰だ?」

 別のクラスメイト男子が反射的に尋ねる。

 すると、待ってましたとばかりにクラスメイト男子はこう続けた。

「聞いて驚くなよ。なんと! あの安斎だ!」

「えっ……?」

 僕の口から間の抜けた息が漏れた。

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