第20話 勉強会

「なんていうか、話を聞いた限り。その安斎くんの口調って、時代劇と言うよりもいにしえのオタクって感じだよね。『同担拒否どうたんきょひ』ってあれでしょ? 他人とがかぶるのが許せないって人のこと」

「そうなんですか!?」

 てっきり古い言葉もしくは四字熟語か何かだと思っていた僕は、蒼井先輩からのその指摘に驚く。

 すると、蒼井先輩は僕の反応が嬉しかったのか、得意げに続けた。

「そうだよ。僕も決して詳しいわけじゃないんだけど、確か、アイドル界隈かいわいでよく使われる用語だったはず」

「はぇー、勉強になります」

「ついでに言うとね……」

「先輩、そのくらいで。もう充分なので」

 蒼井先輩が更なる知識を披露しようとしたところに、恭平が待ったをかける。

 なんだよ。これから面白そうなところだったのに。非難の視線を向けると、恭平からは呆れたようなジトっとした視線が向けられていた。

「……なぁ、俺が言うのも何だが、拓実にそんな余裕あるのか?」

 そう言われ、僕はハッと我に返る。

「ごめん。そうだった……」

 僕は謝る。

 そうである。今日、僕がここに来た目的は、オタク用語を勉強するためではない。安斎くんとの戦いに向けてテスト勉強をするためだ。

 僕は気合いを入れ直す。


 中間試験を一週間後に控えた金曜日。つまり昨日。

 僕のスマホに蒼井先輩からLINEが届いた。

『去年の問題用紙あるから明日うちに来なよ。ついでに勉強も見てあげるよ』

 なぜ僕と安斎くんの対決が中間試験のスコア勝負であることを知っているのかが気になったものの、それはとてもありがたい申し出だった。

 交渉が終わってから聞いたのだが、なんでも安斎くんはこの高校に入学してから行なわれたすべての試験で学年一位のスコアを取っているそうだ。

 独特な口調をしていでも、さすがは飛鳥井さんの元カレ。ハイスペックだ。

 正直、勝てる気がしない。

 だからLINEの文面を見て頭の中に浮かんだ疑問を一旦、完全に排除して、素直にその厚意に甘えることにした。

 そんな経緯で今日、午前中から蒼井先輩の家で勉強を見てもらっている。

 ちなみに、「元カレぶっ潰す委員会」は三人とも誘われていたのだが、高山さんだけ「私はパス。勉強は一人でやりたいタイプだから」と言って不参加である。

 

「……それで実際のところ、勝率はどの程度なの? 勉強を見た感じ、原田くんもそれなりの点取れそうだけど」

 蒼井先輩の問いに恭平は即答する。

「正直、絶望的っすね。せめて1科目だけなら絞って勉強すればいい勝負しそうですけど、全教科の合計ともなると普段から努力してるやつには敵わないっす」

「そっかぁ……」

 蒼井先輩はガクリと肩を落とす。その後、僕の視線に気付いて「まあでも、僕は原田くんを信じてるけどね」と強引に取り繕う。正直な人だ。

 フォローされると余計に惨めだが、気を遣ってくれたのは嬉しい。お世辞でも信じていると言ってくれる人がいるのだから、頑張ってみようと思える。

「そうだ! いっそのことカンニングしたらどうだ? もう優等生でいるのはやめるんだろ?」

 まるで名案とばかりに恭平が提案する。

「……いや、そんなズルはしたくないんだけど」

 わがままの範疇に収りきらない。そんなのただの不正だ。

 蒼井先輩も僕に同調する。

「そうだよ。カンニングはバレたら全教科0点だけじゃなくて、内申点にも響く。そこまでして勝ちたいなら止めないけど、リスクとリターンがあってないと思うよ」

「……わかってます。俺も言ってみただけですから」

 二人に却下されて恭平はしゅんとしていた。

 ちょっと罪悪感。

 んー、まあでも。恭平が僕のためを思って提案してくれたわけだし、少しくらい考慮するのもありかななんて? …………いやいや、少し考えたけどやっぱり駄目だ。ズルは良くない。

「正々堂々勝利しないとね。僕も協力するし」

 蒼井先輩はそう言って胸をたたいた。頼もしい。

 頼もしいのだが、

「先輩は、どうしてそこまでしてくれるんですか?」

 不意に気になって訊ねる。

 だってそうだろう。僕の勉強を手伝って、蒼井先輩にいったい何のメリットがあるというのか。一応、飛鳥井さんと復縁した際には彼女の真意を訊き、それを教えるという約束はしているものの、それだけだ。

 特に今回は僕の敗色濃厚。濃厚どころか真っ黒だ。戦う前から黒星が付いているようなもの。見限っても文句は言われない。ましてや先輩は受験生だ。

 なのに、蒼井先輩はどうして僕の手助けをするのか。

「原田くんが美羽ちゃんと復縁できるよう、協力は惜しまないって約束したからね」

 蒼井先輩は言う。

「そんなに気になることですか?」

 僕は問う。

 僕が飛鳥井さんと復縁した際に彼女に訊くと約束している内容は、「どうして飛鳥井さんは僕に告白してくれたのか」である。そんなの蒼井先輩には関係ないことのように思える。

「実は、ちょっと引っかかることがあるんだ。……原田くんは、美羽ちゃんの元カレが全員で何人いるか知ってる?」

 僕はかぶりを振る。

 飛鳥井さんの元カレを全員倒すと宣言した僕だったが、肝心の元カレたちの素性どころか、その人数すら僕は知らない。恭平も同じだ。必要になったら高山さんが教えてくれることになっていた。

 小出しでなく、すべての情報を一度に情報を開示してくれるよう高山さんに頼んだこともあるが、プライバシーだからという理由でにべもなく断られてしまった。それ以来、そのことを尋ねるのがタブーのようになってしまっている。

「僕の仮説を聞いてもらっていいかな?」

 蒼井先輩が語り始め、僕らは彼の語りに耳を傾ける。

 この時点ですでに、僕らの勉強の手は完全に止まっていた。

「たとえば、こんなのはどうだろう。美羽ちゃんは原田くんの提案を聞いて、4週間という期限を提示したんだよね? 一ヶ月じゃなくて4週間」

「そうですね」

「だったら、美羽ちゃんの元カレは全員で4人だ!」

 先輩は屈託のない笑みと共にそう宣言する。健康的な白い歯がきらりと光った。

「……いや、その推理はさすがに乱暴じゃないですかね?」

 恭平がツッコむ。

「そんなことないでしょ。4人だから4週間っていうのは立派な推理だよ。美羽ちゃんだって焦っていただろうし、きっと安直に連想したんだよ。それに、根拠は他にもあるんだよ」

「なら、そっちを先に聞かせてください」

「了解。まずは……男の勘ってやつだね。――って、ちょっと待って。勉強再開しないで! もうちょっとだけ聞いて。僕は期間だってわかるんだ」

「期間?」

 僕は思わず顔を上げる。

「そう。僕はね、女の子の顔を見ただけで、その子が彼氏持ちかどうかわかる能力を持ってるんだよ」

「本当ですかぁ?」

「その顔、疑ってるね。本当だとも。女の子は恋をすると綺麗になるんだ。美羽ちゃんの場合、その時期が五回あった。一回目は僕と付き合っていた頃。ゴールデンウィーク明けから夏休み。二回目は夏休み明けごろから十月中旬ごろ。この時の彼氏が吉木くんだったよね。三回目は十月下旬ごろから十二月中旬ごろ。四回目は冬休み明けごろ三月上旬ごろ。そして、原田くんと付き合っていた先月九月まで。計五回だよ」

 蒼井先輩は何も見ずにすらすらと言ってのける。

 しかし、恭平は疑わしげな視線を先輩に向けている。

「それ本当に合ってますか?」

「合っているとも。この場に美羽ちゃんがいないのが悔やまれるくらいだ」

 そう言われても恭平は納得できない。

「いや、おかしいですって。拓実が飛鳥井と付き合っていたのはたったの一ヶ月。先輩の見立てが正しければ、四人目と別れてから拓実と付き合うまで半年近く空いていたわけです。一年の時は一ヶ月と開けず付き合っていた、あの飛鳥井がですよ。それっておかしいでしょう」

「おかしいかな?」

 蒼井先輩は不思議そうに首を傾げる。

「恋愛は何が起こるかわからない。そういうものだよ。それまで彼氏の途切れたことのない女の子が半年間、彼氏を作らなくても何もおかしいことはない」

「……」

 言い切られてしまうと、恭平も言い返しにくい。

 蒼井先輩は続ける。

「まあでも、少なくとも何もなければそんなことにはならないよね。四人目と別れてから、美羽ちゃんに心境の変化があったのは確実なんだ。だからこそ、僕は美羽ちゃんがどうして原田くんに告白したのかが知りたってわけなんだよ。それを聞けば、自ずと空白の半年の謎も解けるだろうからね」

 ついに蒼井先輩の目的が判明した。だからここまでして僕を助けてくれるわけか。

 苦肉の策として提示した交換条件だったのに、期せずして大当たりを引いていたようだ。運が良かった。

 なんてことを思っていると、唐突に蒼井先輩が舌を出した。

「……なんちゃって。冗談だよ」

「へっ?」

 いたずらっ子のような笑顔。蒼井先輩は続ける。

「三浦くんの言う通り、4週間だから4人なんて乱暴な推理だ。実際には空白期間なんかなくて、その間も誰かと付き合ってたかもだし。そもそも、美羽ちゃんは中学時代にも彼氏いたらしいし。原田くんが戦わないといけない美羽ちゃんの元カレが少なくとも5人以上いるのは確定だろうね」

 冗談、だったのか。しかし、いったいどこから何処までが冗談なんだ? わからない。

 ――いや、そんなことを考えている余裕はない。余計なことは考えず、安斎勲位勝つことを考えないと。

「さて、無駄話をしすぎた。そろそろ再開しようか」

 蒼井先輩の号令で頭を切り換えて、僕はテスト勉強を再開する。

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