第16話 VS蒼井清司郎(6)

 ゲームは進んで第5フレーム目。ボウリングのゲームは10フレームまでなので、これが前半最後の回になる。

 現時点での僕と蒼井先輩の点差は15点。負けている僕が差を縮めようと追いかけているところだ。もちろん僕自身、差を縮めるだけで終わらせるつもりはない。最終的には追い越すつもりでいる。

 15点の差は大きいが、実は勝機がまったくないわけではない。

 まず、2ゲーム目に入ってから、蒼井先輩は明らかに調子を落としていた。1ゲーム目では景気よくストライクを連発していたのに、第2ゲームでは頻度を大きく減らしていた。最初は手を抜いてくれているのかと思ったが、蒼井先輩の表情からしてそうではなさそうだ。彼の顔には疲労の色が見えた。

 また蒼井先輩とは逆に、僕は少しずつではあるもののコツを掴んだことで、調子を上げてきていた。その結果、第4フレーム目では僕もスペアを獲得していた。

 スペアを獲得すると、そのフレームで倒したピンの本数10本と次のフレームの1投目で倒したピンの本数を合算したものがその回の得点となる。

 次の一投が勝負に大きく影響を与えることになるだろうことが予想された。

 運命の第5フレーム。まずは蒼井先輩の投球だ。

 蒼井先輩も前のフレームでスペアを獲得している。ここはなるべく少ない本数で抑えてもらわなくては。僕は願う。

 しかし、願いも空しく、彼が放ったボールは優雅な膨らみを描きながらピラミッドの頂点に直撃した。ストライク。もはや見慣れた光景であった。

 前フレームとの合計20点が蒼井先輩の得点として追加される。

 ――大丈夫。僕もストライク取れば差は広がらない。

 プレッシャーを感じつつも、必死に自分を励ます。恭平と高山さんが心配そうな顔で僕のことを見ている。彼らを安心させるためにもどうにか結果を出さなくては。

 ――ストライクを取らないと。

 ――ストライクを取らないと。

 ――ストライクを取らないと。

 ――ストライクを取らないと。


 …………あっ……。


 力みすぎたのか、僕のボールは一直線に溝に向かい、そのままピンに一切触れることなく奥の暗闇に落下していった。ガターだ。

「ドンマイ、ドンマイ。切り替えていけっ」

 恭平の励ましが後ろから聞こえてきた。

 しかし、彼らが今いったいどんな顔をしているのかを見るのが怖くて、振り向くことができなかった。

 ――落ち着け。さっきの失敗を取り戻すんだ。

 そう自分に言い聞かせて、後ろを見ないようにしつつ、次のボールを手に取る。

 そして僕は2投目を放る。

「……っ…………ふぅ」

 2投目ではなんとか9本のピンを倒すことができた。

 切り替えられたのは良かったが、そのぶん1投目のガターが僕の心に余計に重くのしかかる。

 肩を落としていたせいだろう、次に投げる恭平からすれ違いざまに「気にするな」と声を掛けられたが、僕はまだ目を合わすことすらできなかった。

 僕と蒼井先輩の点差は更に開いてしまった。


 第6フレーム目。

 蒼井先輩の投球。ここまでの疲れで集中力が途切れてきたのか、彼は端のピン三本を仕留め損ねる。

「よし、チャンスだ。いけぇ」

 恭平の声援に送り出されてレーンの前に向かう。しかし、足は重かった。

 現在の僕と蒼井先輩の点差は40点。僕がまだ6フレーム目を投げていないということを考慮したとしても逆転は絶望的である。

 今ここに僕を立たせているものは、ひとえに意地だ。もはや勝てるだなんて思っていない。逃げ出したくないからという最低限の意地だけでここに立っている。

 掴んだボールをやけくそで力一杯に投げると、当たり所が良かったようでドミノ倒しのように全てのピンが倒れた。

 ストライク。

 ちなみに、これがこのゲームにおける僕の初ストライクだった。

「……よしっ!」

 逆転できるだなんて今さら思わないが、それでも嬉しいものは嬉しい。反射的にガッツポーズが出る。

「やったな!」

 そう言って駆け寄ってきた恭平とハイタッチをしてから、僕はボックスに戻る。

「ナイスストライク!」

 ボックスに戻ると、蒼井先輩が声をかけてきてくれた。

 彼からもハイタッチも求められたので、気恥ずかしく思いつつもそれに応じる。

「ありがとうございます……」

 敵に祝われていると思うとなんだか複雑な気分だったが、蒼井先輩の表情からはそういった――例えば、からかってやろうという――思惑を感じられなかった。ならば素直に祝福を享受しよう。

 それに、ストライクが出たこと自体、すごく嬉しかった。何しろこのゲーム一発目だ。わがままを言えば、もう少し早く出てくれれば勝負を諦めずに済んだのに、とは思うがそこまで望むのは贅沢だろう。時間は戻らない。

「……どう? まだ諦めるには早いんじゃない?」

 蒼井先輩の口から不意に飛び出した、見透かしたようなその一言に、僕の呼吸が一瞬止まる。

 ここで黙れば彼の言葉に肯定したことになってしまう気がして、なんとか言葉を絞り出す。

「……どういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ。原田くん、勝利を諦めようとしてたでしょ。見たらわかる。だけど、やっと運も向いてきたみたいだし、諦めなければまだまだ逆転のチャンスはあるかもしれないよ」

 その言葉からは大きな余裕が感じられた。まあ、それも当然だ。だって現に蒼井先輩は圧倒的な勝者なのだから。

 それに対して僕は敗者だ。

 喧嘩を売られている。挑発されている。それがわかっているのに、言い返す力すら湧いてこなかった。自分で自分が恥ずかしい。何て惨めなんだ。

 そんなことを考える間も先輩は挑発を続けていた。

「……君の美羽ちゃんへの愛はそんなもんなのかな?」

 その時だった。飛鳥井さんの名前が出た瞬間、唐突に力が湧いてきた。

 愛の力というものがこの世に存在することを僕はこの時、確信した。

「わかりました。そこまで言われたら引き下がれません。やってやります」

 僕は言い放つ。

 すると、蒼井先輩は嬉しそうに口角を上げた。

「よく言った! まあ、とはいえ僕だって手を抜くつもりはないけど」

 言ってしまったならしょうがない。こうなったらやるしかない。

 僕に流れが向いてきているのは確かみたいだし、蒼井先輩の投球が乱れてきているのも事実だ。なにより、今の僕には愛の力がある。案外なんとかなるかもしれない。

 とはいえ、やっていては勝てそうにない点差と実力差だ。何の策もなく続けるのは無謀だろう。

 じゃあどうするのか? 

 僕は考える。

 そして、一つの回答にたどり着いた。

 そうだ。ここから先は先輩のアドバイスに従って、になればいいんだ。

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