一章 第十二組の三人

第一話 八朔院入学試験


 むせ返るほどの蜜柑のい匂いが辺り一面に漂う。木によって花や実をつける時期が異なるこの地——柑橘かんきつの蜜柑は、宮城きゅうじょうへと続く大路の端に厳重に木の柵に囲われながら瑞々しく植えられている。

 小さな白い花が健気に咲き、つややかな橙色の実が光を跳ね返して輝いている。


 水や食料を求めて物乞いをする、ぼろを着た男の横で、割れ物を扱うかのような手つきで観賞用の蜜柑を手入れする蜜柑師を横目に見て、桔平きっぺいは形の整った眉をひそめた。桔平は小ぶりな口の中で一つ舌打ちをし、背負っていた風呂敷の中から握り飯と水筒すいづつを取り出す。

 枝の先についた花弁を撫でるような柔らかな動きで、男の前に桔平はそれらを置く。濁った黒色のその瞳に怪しく光が宿り、覆いかぶさるような動きで男はそれらを掻き抱く。その男の動きを避けるように桔平は流水のごとく滑らかに歩き出す。

 背後で握り飯を貪る男の気配を感じながら、桔平は小さくため息をつく。


 これが偽善でしかないことは分かり切っていた。一時の飢えが満たされたところで、彼の生活そのものが変わるわけでもない。むしろ、さらなる渇望を生むことなど分かっている。それでも、無視して素通りすることが桔平には出来なかった。

 桔平は引きつったような笑みで空を見上げる。

 澄み切った青色をした空の端では灰を被ったような黒い雲がゆらゆらと揺れている。その黒雲など知らぬような様子で光を放つ太陽を、桔平はける。


 桔平は気を落ち着かせるように長く息を吐いてから風呂敷を背負いなおし、胸元の結び目を強く握りしめる。路の先に小さく見えている皇居を真っ直ぐ見て、桔平はしっかりとした足取りで歩いていく。

 豪奢ごうしゃな屋敷が増えてきたところで、敷地の周りが蜜柑の木で囲われた大きな建物が現れる。それまでよりも増して強く香る蜜柑の匂いに桔平は眉間の皺を深くする。小綺麗な衣装を身に纏った貴族たちが蜜柑に向かって最敬礼をしている姿に、桔平は絡まった糸を解くのに手こずっている時のような表情を浮かべる。

 あれら、、、が同級、ひいては同じ組になるかもしれないと思うと寒気がした。桔平は鳥肌の立った腕を擦り、建物——八朔院はっさくいんに視線を向け直す。


 柑橘の帝は柑橘かんきつしゅうという直属の軍を所持している。柑橘衆は、皇族及び宮中、柑橘で最も貴いとされる蜜柑を管理する農園の警備を担当する官職だ。その柑橘衆の育成を目的とする三年制の武人学校が八朔院だ。

 八朔院では十三歳から十七歳までの少年少女に入学試験の受験資格が与えられている。実力至上主義を謳っている八朔院の入試には、貴族から庶民までの柑橘中の腕っぷしに自信のある者が集まる。庶民が官職を得る唯一の手段であるため毎年二百人近くの受験生が集まるが、定員はたったの十二人とごく少数で、非常に難易度の高い試験だ。

 

 桔平は受験希望者の受付の列に並び、懐から銭の入った袋を取り出す。ぎっしり銭が詰まり変形している袋を揉みながら、桔平は列に並ぶ者たちを見遣る。

 桔平と同じように銭の袋を持っている者もいれば、二俵の米俵や布を四反担いでいる者もいる。銭が流通し始めたばかりの柑橘では、平民層に銭で支払うという感覚が浸透しきっていない。そのため高い受験料を大半の平民は米や地元の特産物で支払う。

 桔平は力を込めて袋を握りしめる。袋の中で金属同士が擦れる鈍い音が鳴る。


「何が、実力主義だ」


 桔平は喉の奥でそう呟く。銭が手に食い込むのを感じるが、桔平はそれを無視して力を強めていく。

 八朔院では入学金や入学後の授業料は国が全額負担しているが、受験料は受験者自身が支払うことになっている。並の平民の四人家族が三月みつきは優に過ごせるだけの額である受験料は、受験者の人数を制限しているといっても過言ではない。受験料の支払い能力がない者は受験資格を無論与えられない。無理をして受験料を貯めたところで、難易度の高い入試は受かる確率が低い。見込みの薄いものにわざわざ貴重な食料や収入源を賭ける者はそういない。結局、高い地位を求める貴族や平民の中でも上位の富裕層の受験者が多くなる。

 入試制度を変えればよいだけでないかという話が出てきそうだが、この受験料を元手に八朔院の運営が出来ているため、現在の仕組みを変えられないのも事実だ。つまるところ、が得するように制度は上手く出来ている。


 桔平は「お次の方、どうぞ」という声と同時に受付の机に袋を叩きつけるように置く。受付担当の者は不快という面持ちで、受験者の名簿から顔を上げる。桔平は垂れ気味の橙色の大きな瞳をキッと細めて、威圧的に目を細めた受付の者を見下ろす。受付の者は桔平の瞳を見た途端、視線をずらし下手くそな笑みを張り付けた。


「……こ、こちらに署名をお願い致します」


 桔平は唇を軽く噛みながら机の上の筆を持ち上げ、素早く流麗りゅうれいな字体で名前を書類に書き込む。桔平は長く息を吐きながら硯の上にゆったりと筆を置き、にこりと受付の者に笑いかける。


「これでいいか」

「た、確かに頂戴いたしました。受付は以上となります。どうぞ、試験会場へお入りくださいませ」


 机に頭が付くほどに深々とお辞儀をした受付の者を見て桔平は笑みを消す。桔平は受付から視線をずらし、地面を強く踏みこんで入試会場である八朔院の広場に向かう。

 訓練用に敷地を多くとっているらしい外の広場には、すでに多くの受験者が集まっている。緊張した面持ちで身体ならしをする者、緊張を紛らわすように知り合いと談笑する者と様々だ。

 桔平はそれらを眺めながら広場の端に移動し、柔軟を始める。桔平は柔軟をしながら、視線を前方に向ける。

 院の建物の近くに銅鑼どらが設置されており、そのすぐ横に入試の次第が掲示されている。その掲示には、の刻に入試の説明が始まるとある。

 柔軟を十分に済ませた桔平は身体全体から力を抜き、入試の次第を改めてゆっくりと見る。


 と、巳の刻を告げる時報の鐘が試験会場に響く。

 だが、入試の説明は始まる気配がなかった。辺りには受験生しか見当たらず、試験の説明をするような八朔院の関係者も見当たらない。

 周囲がざわつく中、桔平は耳を澄ませ警戒を強めていく。


 ざりっ、と地面を蹴る音を捉えて懐の短刀を取り出し抜刀する。首すれすれまで迫ってきていた足を間一髪で避け、桔平は短刀を胸の前で構える。

 攻撃してきた足の主である青年は桔平に避けられたことなど意に介さず、桔平の近くにいた者たちに手刀を打ち込んでいく。青年の鮮やかな身のこなしにほとんどの者が反応できず、意識を刈り取られている。

 刹那の出来事に桔平はこくりと唾を飲み込む。


 ——入試はもう始まっている。


 周りの音が小さく聞こえ、自分の心臓の音ばかりが聞こえる。

 桔平はゆっくり息を吐きだし、青年を睨むように見据える。桔平と視線が合った青年はそれまでの退屈そうな表情を一変させ、薄気味悪い笑みを浮かべた。


「僕の攻撃を避けるのだな、お前」


 桔平は思わず後退るが、その分、青年が距離を詰めてくる。青年は背を直ぐに伸ばし、笑みを深めて桔平を見下ろす。同年代の中でも小柄な方である桔平は上背のある青年から見下ろされ、呼吸が浅くなる。


「怯えることはない。先ほど避けたのも偶然なのだろう? 弱者は無理しなくてよい。強者である僕に大人しくひれ伏せ」


 そう言うと同時に青年は桔平の脇腹を目掛けて右足を振り上げる。余裕たっぷりに笑う青年の蹴りが入りそうになったところで、桔平は素早く屈み攻撃を避ける。青年が驚いたように目を見開き体勢を少し崩したところで、桔平は男の左足首に向けて短刀を持っている右手を振り下ろす。

 と、青年が桔平の右手を摑んだ。青年は桔平をそのまま空中に持ち上げた。表情をごっそり抜いた顔で、青年は小さく口を開いた。


「生意気だな、お前」

「それはどうも」


 桔平はにっと笑い、両足で男の鳩尾みぞおちを力いっぱいに蹴り上げる。桔平は男の拘束が緩んだところで、後方に宙返りをする。着地した後、その勢いを殺すように二、三歩後ろに下がり、青年から距離をとる。背負っていた風呂敷を投げ捨て、深呼吸をして短刀を胸元でもう一度構える。

 桔平は一拍置き、静かに駆け出す。

 青年が鳩尾を抑えて蹲っている間に、桔平は青年の背後に回り、短刀の峰を青年の首に向けて振り下ろす。が、あともう少しで首に当たるというところで、青年が振り返り桔平の腹を殴りつけてきた。

 桔平は攻撃を避けることが出来ず、その場に崩れ落ちる。腹を押さえて小さく蹲る桔平を青年は追い打ちをかけるように蹴り飛ばす。桔平は桃のように地面を転がっていく。

 青年は高笑いをしながら桔平に近づいてくる。青年は桔平の高めに結った長い髪を摑み、無理やり引っ張り起こした。されるがままの桔平に青年は満足げに笑う。


「弱者が無理をするからこうなるのだ。大人しくしていれば、一撃で済んだというのに、愚か者が」


 青年が大きく右腕を振り上げた瞬間、その顔面に誰かの蹴りが打ち込まれた。

 突然のことに対応できなかった青年が吹っ飛んでいったのを見て、地面に寝そべりながら桔平はぽかんと口を開ける。青年に攻撃されたところが痛む身体を無理やり起こそうとする桔平の背に誰かの手が触れる。

 反射的に身体を捻って手を振り払った桔平は、勢いよく顔を上げる。


「おっと、そんなに警戒されるとは。私に君への敵意はないから安心してくれ。私は君と同じ受験者だ。それとも、私が助けたのが不服だったか?」


 苦笑いを浮かべた声の主を、桔平はじっくりと観察する。

 女だ。年は桔平と同じ十三か少し上といったところだろうか。桔平よりも背は高そうだが、線は細く見える。健康的に焼けた肌と肩より上で切りそろえられた黒髪が、明らかに平民であることを示している。

 桔平は女から視線を外し、ゆっくり立ち上がりながら口を開く。


「……いや、助かった。一応礼を言う」


 くぐもった声でそう告げた桔平は女に背を向け、青年に蹴られた衝撃で右手から離れ、地面に転がっていた短刀をそうっと拾い上げる。短刀についた砂を振り落とし、桔平は改めて胸の前に構える。


「つれないな。女に助けられたのは気に入らないか? 何となく君——」

「そんなんじゃない。というより、呑気にしている暇はない。来るっ」


 桔平は地面を蹴り、女の首を狙った青年の手刀を短刀の峰で受け止める。桔平は飛び出した勢いで青年の手を弾き飛ばす。


「気に食わないな、お前。才は僕に到底及ばないくせに、なぜ降参しない? 女に助けられてなぜ平然と立っている?」


 青年は顔をぐしゃりとゆがめて、そう吐き捨てる。桔平は至極綺麗な笑みを貼り付け、青年の顔を見遣る。


「愚問ですね。入試を受けに来た、これだけで説明は十分でしょう。とても素晴らしい才能を持っていらっしゃるようなので、理解するのは簡単では? それに、この入試を受けに来るだけでも、相当な覚悟が必要だ。女だからと貶すことは、果たして正しいことでしょうか。俺は、愚か者がすることだと思いますがね、先輩、、


 青年は大きな舌打ちを零し、大ぶりな動きで桔平に殴りかかってくる。桔平はそれを難なく躱し、少し体勢が崩れた青年の鳩尾を短刀の峰で打つ。青年はその場に蹲ってえずきながらも、塵芥ちりあくたを見るような目で桔平を睨みつけてくる。


「お前の先輩になった覚えはないっ」

「おや、奇遇ですね。俺も言葉通りの意味では言ってませんよ」


 そう言って桔平は、腹を押さえている青年の手に向かって右足を蹴り上げる。が、青年にその足を掴まれ桔平は地面に転がされる。青年は八朔院生の証である琥珀色の石が鞘に埋まった刀を腰から引き抜き、桔平の喉元に当てる。首の薄皮が斬れ、紅い玉を作りながら血が溢れてきているが、桔平は青年の瞳を見ながらゆったりと笑みを浮かべる。


「俺とは比べものにならない才能、、を持っていらっしゃる先輩に本気を出していただけたようで、嬉しい限りです」

「……二度とその減らず口を開けなくしてやる」


 青年の刀を持つ腕を摑もうとしていた桔平の左腕を、青年は斬りつける。だらだらと血が流れだした左腕の痛みに、桔平は唇を噛む。その様子を見て口角を上げた青年が刀を振り上げたとき、刀が蹴り飛ばされる。

 刀は空中でくるくると回り、からんと乾いた音を立てながら地面に叩きつけられた。


「私もいること、忘れていませんか?」


 女はそう言いながら呆気にとられている青年の腹を蹴り上げる。青年が地面に突っ伏している隙に、女は桔平の右手を摑み身体を引っ張り上げる。桔平は女の顔をじろりと見上げて、小さく口を開く。


「どういうつもりだ」

「おっと、怖い、怖い。別にそんな顔をされるようなことををやった覚えはないけどな」


 おどけた口調でそう言う女に桔平は深いため息をつく。切迫した状況であるというのに、言いたいことをすぐに言わない女の姿勢には正直腹が立つ。


「で、結局何を言いたい」

「ああ、えっと、協力しよう! 一人よりも二人の方が助け合えるし。それに、あの人は先輩なんだろう? 経験値が私たちよりもずっと上だ。だから、それを補うには協力した方が合理的だろう?」


 そう緊張した面持ちで言い切る女に背を向け、桔平は女に短刀を放り投げる。慌てた様子で女が短刀を受け取ったのを横目で確認し、桔平は腕を胸の前で構える。


「……お前の言う通りにはする。気抜くなよ」

「わ、わかった!」


 女のその威勢のいい声を聞いて、桔平はふうと長く息を吐き出す。

 先ほど斬られたところから血が止めどなく流れている。正直、血を流しすぎているだろう。若干、目が霞んできている。そもそも青年との間の実力差は測り切れていない。その上この怪我では無論、長期戦は望めないだろう。


「——でも、勝算はある」


 桔平はそう口の中で呟く。

 同じようなところを集中的に攻撃されて、青年も消耗しているはずだ。二対一の今、桔平たちにも十分に勝てる見込みはある。

 青年が刀を拾うと同時に飛び出していった女に続けて、桔平は力を込めて地面を蹴る。女が短刀で青年の刀を受け止めた間を縫って、青年の鳩尾を桔平は右手で殴る。間髪入れずに桔平は左手でも殴りつける。傷にじんじんと響いたが、唇を噛んで堪えた。

 桔平の攻撃により青年の刀を握る力が緩んだ隙をつき、女は短刀を打つ。反応が少し遅れて青年がよろついたのを見て、桔平は足を振り上げる。桔平の蹴りが再び青年の鳩尾に入ったと同時に、女が短刀を振り上げる。が、女が振り下ろす前に、青年の刀に短刀を吹っ飛ばされた。勢いよく飛んでいった短刀に気を取られている女に、青年は脂汗を流しながらもニタリと狂気的な笑みを浮かべる。

 桔平は女に斬りかかる勢いの刀の軌道を見て、目を見開く。


「おい! 伏せろ!」


 そう叫びながら桔平は、伸びるように飛び上がる。女が伏せたことを空中で確認し、桔平は青年の刀を蹴り飛ばした。蹴った拍子に刃が当たり、脚から血が噴き出したことなど気にせず、桔平は身体を捻って青年を押し倒す。刀が近くに落ちた音を聞きながら、桔平は青年の両手首を地面に縫い付け腹に体重をかけていく。が、青年が少し腕に力を込めた拍子に桔平は体勢を崩し、逆に地面に転がされる。


「己の実力を見誤り、女なんかと協力するからこうなるのだ。この痴れ者が」


 笑いを噛み殺せてない声で青年はそう言い、手繰り寄せた刀を桔平の顔すれすれに突き立てる。桔平は荒くなってきた呼吸を整えながら、必死に張り付けた笑みを青年に返す。


「……これは、入試ですよ。手段なんて、選んでいられません。迷ったら、その瞬間に落ちてしまう。抗って、何が悪い」


 時々震えながらも力強い声色で言い切った桔平に、青年は唸りながら顔を大きく歪める。そんな青年の顔に女の蹴りが打ち込まれる。疲労が出てきて最初ほどのキレはないものの、不意打ちをくらい攻撃を受け流せなかった青年が痛みに悶えている間に、桔平はふらつく身体を叱咤しったして立ち上がる。


「すまない、助けが遅れた」

「別に。もう油断、するなよ」


 少しでも気を抜けば倒れてしまいそうになりながらも、桔平は歯を食いしばって地面を必死に踏みしめる。その様子の桔平に、女は唇を震わせる。


「おい、君。その怪我は……。血を流しすぎだ!」

「……うるさい。そんなこと……とっくにわかっている。気を抜くなって、言っただろう! 今は受かることだけ考えろ……。何のために、協力していると……思っている!」


 女が不安げに唇を噛みながらも頷いたのを認めて、桔平は前を見据える。

 鼻血を乱暴に拭った青年が地面から刀を引き抜き、構える。駆け出した女が青年の刀を短刀で受け止めた時だった。

 試験会場中に、銅鑼の音が響き渡る。


「終わり?」


 そう呟くと同時に気の抜けた女は短刀を握る手を思わず緩める。その隙を見逃さなかった青年は短刀を弾き飛ばし、女を蹴り飛ばす。青年はすぐに桔平に標的を変え、桔平目掛けて刀を振りかぶる。桔平はその攻撃を懐から出した短刀の鞘で受け止めようとするが、耐えきれず、また地面に転がる。青年は桔平の頭を鷲掴み、喉をさらす。青年は歪んだ笑みを浮かべて刀を振り上げた。


「——ま、まず、い」

おり。そこまでだよ」


 桔平の喉に刺さりそうだった刀を短刀で受け止めながら、そう誰かが言う。青年——伊織の刀を素早く奪い取り、その人は続ける。


「入試はもう終わったんだ。俺らの役割はもう終わり。これ以上は駄目だ。このまま戦えば伊織の勝ちなんだから、もういいでしょう? この子たちは伊織より弱いよ」


 その人はくすくすと笑い声を漏らしながらそう言う。口元は笑っているが、目は凍てつくように冷たい。桔平は短刀の鞘を強く握りしめ、じっと頭上の二人を見上げる。


右京うきょう……。だが、僕はこいつらを、せめてこいつを殺さないと気が済まない!」

「そんなこと、この子たちが入ってきてからも出来るでしょう? こんな子たちのせいで伊織が教官たちに咎められる方が俺は嫌だな。受験者に試験終了後も攻撃を続けるのはご法度でしょう?」


 右京と呼ばれたその人は、暴れる伊織を羽交い絞めにしながら絵に描いたような笑みを浮かべる。作り物めいたぞっとする笑みに、桔平は息をのむ。

 言いくるめられて言葉を詰まらせる伊織の首根っこを掴んだ右京は、ふいに桔平の方を振り向く。人当たりのよい笑みを浮かべた右京は、夜半よわの衣擦れのような声色で話し始める。


「この短刀、君のでしょう? 返しておくね。自分の得物を他人に預ける気が知れないけど……。何はともあれ、合格おめでとう。まあ、君の入学は歓迎しないけど。君みたいな分をわきまえない奴、俺は嫌いだから」


 右京は短刀を桔平に放り投げ、表情を削ぎ落とす。右京は伊織から手を離し、蹲み込んで桔平の頬をするりと撫でる。右京は爪を食い込ませるように桔平の顎を摑んだ。


「じゃあね、出しゃばりくん。今度会ったら、君に何をしちゃうか分からないけど」


 右京はニイっと笑い、手を離す。右京は伊織を引きずりながら、ひらひらと手を振って広場から去っていった。

 二人の背が見えなくなった後も八朔院の建物をしばらく見つめていると、急に肩を軽く叩かれる。勢いよく起き上がろうとすると、その人は自然な動きで桔平の背を支えた。


「……同じ組の者が手酷くやりすぎたようだ。すまない……俺から謝ろう。その傷は、早く手当てした方がいい。手伝いが必要か?」


 短髪の大柄な青年が太い眉を下げて、桔平の目をじっと見てくる。無表情でありながらもあまりに澄んだ青年の瞳に、桔平は身体を強張らせる。その様子を見かねて、青年は下手くそな笑みを浮かべる。

 顔のあちこちが硬く、時々表情を保てずに震えている青年の様子に、桔平は思わず噴き出した。いきなり笑い出した桔平に、青年は不思議そうに首を傾げる。


「笑ったら、傷に響く。やめた方がいい」


 そう淡々と告げた青年は、桔平を落ち着かせるように背中を撫でる。その鈍い反応に、桔平は笑いが止まらなくなる。深呼吸を何度か繰り返しやっとのことで笑いが収まった桔平に、安心したように青年は頷く。


「それで、改めて聞くが、手当ての手伝いは必要か?」

「……ええ、お願いします。それと、そこに転がっている、女子おなごの手当ても……」

「うむ、構わない。試験後の手当ても我々八朔院生の役目であるからな」


 再び下手くそな笑みを浮かべた青年に笑いそうになりながらも、桔平は懐から取り出した布で足の止血を始める。自分の血の鉄っぽい臭いに蜜柑のしつこいぐらいの酸っぱい匂いが混じり、桔平は眉を顰めた。

 強く吹いた風が木の葉を激しく揺らし、太陽は雲にその身を包まれた。

 

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